立正大立正高・内田和也監督インタビュー(前編)

 日大三高の主力として、2001年夏の甲子園で全国制覇を果たした内田和也。同年ヤクルトから4巡目で指名されプロ入りするも結果を残せず、その後、西武でもプレーしたが6年間のプロ生活で一軍出場はゼロ。引退後はサラリーマンを経たのち、高校の教員となり、野球部の監督として甲子園を目指している。内田和也に高校野球にかける思いを聞いた。


高校時代に全国制覇の経験を持つ立正大立正高の内田和也監督

元プロ監督のメリット

── 2007年限りでプロ野球選手を引退後、どのような人生を歩んだのですか。

「コンサルティング会社でサラリーマン生活の傍ら、夜は早稲田大のeスクールを受講しました。高校を卒業して即プロ入りしたので、大学資格+教員免許取得ということで、都合5年かかりました」

── なぜ高校教員の道を。

「日大三高野球部の小倉全由(まさよし)監督の影響を受け、18、19歳の頃から『将来は高校野球の監督をやりたい。こういうチームをつくってみたい』と漠然と考えていました。ただ、私が現役引退当時は、学生野球資格回復制度の関係で、教諭歴2年を満たさないと指導ができませんでした」

── とはいえ、立正大学付属立正高等学校(以後、立正大立正高)には、野球部の監督として招かれたわけではないのですよね?

「そうなんです。よく勘違いされるのですが、順序的には立正大立正高の教員になったのが先で、その後、野球部の指導を任されるようになりました。だから最初の頃、野球部以外の生徒や保護者の方に『えっ、内田先生って高校時代に甲子園で優勝しているんですか?』とか、『元プロ野球選手だったんですか?』と驚かれました(笑)」

── 内田監督にとって、人生のターニングポイントとは?

「トライアウトです。2006年にヤクルトから戦力外通告を受けました。『プロで活躍しろよ』と言ってくれた(日大三高の)小倉監督や親、友人などみんなの期待を裏切った申し訳ない気持ち、情けない思い......。私のほかにも同じような気持ちでいる選手がいっぱいいたと思います。そんな選手たちを集めて行なわれるトライアウトのあの重苦しい雰囲気は、今も忘れません。結果、西武から契約をしてもらうことになったのですが、あきらめない大切さであるとか、そういうことを学んだ気がします。高校生の進路指導をしていて、私のトライアウトや、高校の同級生の近藤一樹(プロ17年目にして最優秀中継ぎ投手のタイトル獲得)の話に、生徒たちは耳を傾けてくれます」

── 高校時代の全国制覇の経験に加え、元プロ野球の高度な知識や技能を有しています。指導における説得力があるのはメリットだと思います。

「日大三高の選手は、高校卒業後は大学野球やプロを目指すというのが当たり前でした。ただ立正大立正高の選手は、いわゆる普通の高校生で、大学で野球を続ける子も決して多くありません。当初はそのあたりの考え方のズレに苦労しました。ただ私が恵まれていたのは、プロで野球を学ばせてもらったことです。

 ヤクルト時代は、投手では伊藤智仁さん、石川雅規さん、捕手は古田敦也さん、内野手は宮本慎也さん、岩村明憲さん、外野手も飯田哲也さん、青木宣親さん、稲葉篤紀さんら超一流の選手が揃っていて、技術はもちろん、野球への取り組み、考え方の部分で学びました。西武では中村剛也、栗山巧が同じ歳で、あと帝京高校出身の河田雄祐さん(現・広島ヘッド兼守備走塁コーチ)には『(同じ東京の)日大三高出身だよな』と本当にいろいろ教えていただきました」

── たとえば、どのようなことを?

「河田さんは一つひとつのプレーを分解して教えてくれるんです。たとえば、『外野守備の一歩目とはこういうこと』であったり、『送球までの動作にはこういう意味がある』といったことや『セーフティーリードの取り方』などです。最高峰の正しい野球技術を高校生たちにフィードバックしてあげられる。私が指導者として心がけているポリシーは、自分の子どもが少年野球をやる時にお父さんコーチとして自信を持って技術を教えてあげられる。そのあたりがメリットではないでしょうか」

目指す野球は10対0で勝つ

── 現在の部員が立正大立正高を選んだ理由は、どういうところにあると思いますか。

「大田区で、総合大学の付属校で、校舎に隣接するグラウンドを持つのはウチくらいです。あとは、私が監督を務めさせていただいていることもあって、『もしかしたら』と甲子園も視野に入れている選手たちですね。ただ、中学時代は悔しい思いをした選手が多く、彼らがそれをバネに活躍してくれています。現在部員は90人で軟式出身と硬式出身が半々です」

── グラウンドがあるとはいえ、長方形の人工芝で、決して恵まれているわけではありません。

「スペースと時間は限られているので、効果的に使用しようと考えています。90人を半分に分け、半分はシートノック。半分はバント練習、ティーバッティング、フリーバッティングをします。水曜日と金曜日は野球部がグラウンドを1日3時間全面使用できますが、月曜日と土曜日はサッカー部との共用で1時間半ずつ。火曜日と木曜日はグラウンドの脇で投球練習、ティー打撃、サーキットトレーニング、もしくは練習を休みにします。そして日曜日は遠征です。

 強豪校の野球部は恵まれた環境にありますが、『知恵と工夫で甲子園に出る』というのが私のモチベーションになっています。あと、プロ野球の投手から理学療法士に転じた栗田聡さん(1986年広島ドラフト1位)が知り合いで、選手のコンディショニングの面倒を見てもらっています。そのおかげで、選手のパフォーマンスはかなり上がりました」

── 正式に監督に就任してからの戦績は、2017年夏が東東京大会4回戦進出、2017年秋ベスト8、2018年夏2回戦、2019年夏ベスト8、2020年夏4回戦、2021年夏4回戦と、まずまずの結果を残されています。

「ベスト8に残った時は好投手がいて、守り勝つチームでした。ただ、ベスト4の壁は厚いです。これまで関東一高に2度負けていますが、向こうは"負けない野球"をやります。打てない時でも、走塁、守備力が鍛えられていて、少ないチャンスをモノにして守り勝つ。こういうチームが全国でも勝てるんだと」

── 内田監督が目指す理想の野球とは?

「小倉監督がよく言っていた『10対0で勝つ野球』です。そこを目標にして、選手の能力を大きく伸ばしたいと思っています。高校時代、私の同期には千葉英貴(投手/ドラフト横浜6位)、近藤一樹(投手/近鉄7位)、都築克幸(二塁手/中日7位)、さらに原島正光(外野手/明大→日立製作所)がいました。ただ、これだけのメンバーがいるからといって、ラクに勝てるわけではありません。それぞれが努力して、チームとしてまとまっていけないと果たせない。だから"10対0"で勝つというのは、ものすごく深い意味があると思っています」

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