※この記事は2022年02月21日にBLOGOSで公開されたものです

「ウクライナ侵攻計画はすでに始まっている」英首相

[ロンドン発]ボリス・ジョンソン英首相は20日、英BBC放送のインタビューで「計画はある意味すでに始まっていることをすべての証拠が示している。ロシアは1945年以来、ヨーロッパで最大の戦争を計画している。ウラジーミル・プーチン露大統領は非論理的に考えている可能性がある」と指摘した。

米政府の推計ではウクライナ国境に親露派勢力を含め16万9千~19万人のロシア軍が展開している。一方、ロシア政府系通信社スプートニクは、ウクライナ軍が17日以降、東部紛争の停戦を目指すミンスク合意で禁止されている迫撃砲を使って東部ドンバスの親露派地域への砲撃を繰り返しているためロシアへの住民の避難と19日には総動員を発令したと報じた。

プーチン氏は、ドンバスの親露派地域で暮らすロシア系住民約72万人にロシア国籍パスポートを発行しており、約70万人をロシアに避難させると発表している。ウクライナ軍がドンバスの親露派地域を攻撃しているとデッチ上げる偽旗作戦をロシアが開始して“自衛権発動(自国民保護)”の口実にしようとしていると米英両政府はみている。

ウクライナ政府は16日、ロシアが銀行2行とウクライナ国防省へサイバー攻撃を仕掛けていると非難した。本格的な戦端こそまだ開かれていないものの、ロシアによるウクライナ侵攻計画はジョンソン氏が指摘するようにすでに始まっているとみた方がいいだろう。北京冬季五輪が閉幕し、プーチン氏は中国の習近平国家主席に気遣う必要もなくなった。

しかしプーチン氏が地上部隊をウクライナに侵攻させれば、ウクライナ軍やウクライナ国民の激しい抵抗に遭って泥沼の市街戦となり、旧ソ連崩壊のきっかけとなったアフガニスタン侵攻(1979~89年)と同じ轍を踏む恐れが大きい。それでもプーチン氏を戦争へと駆り立てるものは一体、何なのか、考えてみた。

歯向かう者は許さない

2000年に大統領に就任、チェチェン制圧に乗り出したプーチン氏は露紙ノーバヤ・ガゼータの記者アンナ・ポリトコフスカヤさん、イギリスに亡命した元ロシア連邦保安庁(FSB)幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏らに厳しく批判される。06年10月、ポリトコフスカヤさんはモスクワで射殺され、翌11月、リトビネンコ氏はロンドンで毒殺される。

リトビネンコ氏毒殺には国家が関与したとしか考えられない放射性物質ポロニウム210が使用され、英内務省の公開調査委員会は16年の報告書でプーチン氏が承認した疑いを指摘している。筆者はリトビネンコ氏の妻マリーナさんや、プーチン氏とサシでランチした元クレムリン番記者エレナ・トレグボワさんから取材したことがある。

1998年、24歳のトレグボワさんはFSB長官だったプーチン氏に誘われ、モスクワ市内の寿司レストランでランチする。2年後、大統領になったプーチン氏はジャーナリストを遠ざけるようになり、トレグボワさんは記者会見で当局の取り締まりを逃れて幅を利かせているオリガルヒ(新興財閥)について質問しないよう釘を刺されたという。

それでも政権に厳しい質問を続けたトレグボワさんはクレムリンを出入り禁止になる。プーチン氏との寿司ランチを暴露する回顧録を出版した翌年の2004年、パーティーに出掛けようとしたところ廊下に仕掛けられた爆弾が爆発。ポリトコフスカヤさん射殺事件のあとトレグボワさんはイギリスに亡命した元財閥を頼って祖国を脱出する。

その元財閥がつけてくれたボディーガードは、後にリトビネンコ氏を毒殺したロシア人工作員だったのだ。プーチン氏は自分に歯向かう者は絶対に許さない残忍さと執念深さを持つ。昨年、プーチン氏は「ロシア人とウクライナ人の歴史的統一について」という論文を発表、「ロシア人とウクライナ人は一つの民族であり、統一性を持っている」と強調した。

これに対し北大西洋条約機構(NATO)加盟を目指すコメディアン出身のウォロディミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領は「プーチンは時間を持て余しているに違いない」と皮肉った。ゼレンスキー氏はクリミア奪還を求める外交イニシアチブ、クリミア・プラットフォームを立ち上げ、プーチン氏の神経を逆なでした。

なめられたプーチン氏は自分の面子を守るためゼレンスキー氏に鉄槌を下さずには置かないだろう。

プーチン氏は「弱き強者」なのか

旧ソ連時代も独裁者は存在したが、共産党独裁だった。だから1961年のベルリン危機も62年のキューバ危機も乗り越えられた。しかしウクライナに侵攻したプーチン氏はバルト海に面した飛び地領カリーニングラードと同盟国ベラルーシで挟み撃ちにする形でバルト三国に侵攻するかもしれない。その時は第三次世界大戦の引き金になるだろう。

『弱き強者 プーチンのロシアにおける権力の限界』の著者で米コロンビア大学のティモシー・フライ教授は昨年9月、英シンクタンク「ヘンリー・ジャクソン・ソサイエティ」でのイベントで「プーチン氏の支持率が80%だった頃、ロシア経済が活気づいていた頃、クリミア併合の余韻に浸っていた頃に比べ、いまはプーチン疲れが広がっている」と指摘した。

「プーチン氏は何か一貫した世界観や歴史的な要請というよりも状況に対応している。反米欧主義はもっと表面的だ。反米欧主義を唱えている政府関係者の多くは自分の子供をロンドンやニューヨークに留学させたり、欧州で不動産を購入したりしている。イデオロギーや個人的な思い入れの深さをプーチン氏の行動から読み取るには注意が必要だ」

「独裁の形態には一党独裁、軍事独裁、個人主義独裁などいろいろある。一党独裁では指導者は党のために引退でき、軍事独裁では軍に退いて快適な生活を送ることができる。個人主義独裁ではソフトランディングは期待できない。政権交代はしばしばより暴力的で、主な結果は通常、投獄か、追放、それとも死だ」

「プーチン氏は2つの異なるグループをある程度満足させる必要がある。2つのグループを満足させることは往々にして相反する。例えば独裁者にとっては側近が汚職に手を染めて豊かになることは好都合だ。しかし同時に、側近が利権を貪り過ぎて経済が悪化し、民衆が街頭に繰り出すようなことがないよう独裁者は注意しなければならない」

プーチン氏は民衆の不満を外に向けさせ、こうした相反を克服するためクリミア併合に続くウクライナ侵攻を計画したとみることもできる。プーチン氏はロシア国内やベラルーシ、カザフスタンで高まる民主化の動きを恐れている。それは中国による香港の民主派弾圧やミャンマーのクーデターとも共通する独裁者心理だ。

プーチン氏は15年前からNATO拡大に反発していた

プーチン氏はジョー・バイデン米大統領に対してNATOを1997年の状態に巻き戻すよう求めている。テロとの戦いでジョージ・W・ブッシュ米大統領(当時)と蜜月時代を築いたプーチン氏はいずれ自由主義陣営入りするとみられていた。しかし2007年2月のミュンヘン安全保障会議で不満を爆発させている。

「アメリカがあらゆる面で国境を踏み越えている。他国に押し付ける経済・政治・文化・教育政策に現れている。誰が喜ぶのか。NATO拡大は相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為だ」。旧東欧諸国とバルト三国に同盟国を広げたNATOの東方拡大に真っ向から反発したのだ。

08年4月、ルーマニア・ブカレストでのNATO首脳会議でウクライナとグルジア(現ジョージア)の加盟に向けた意思への歓迎が表明されたが、プーチン氏はブッシュ氏に「ジョージ、ウクライナが国ですらないことを理解しなければならない。領土の一部は東欧に、その大部分はロシアに帰属する」という不吉な言葉を残している。

そして08年8月、北京五輪の間隙を突いてロシア軍はグルジアに侵攻する。翌9月のリーマン・ショックに端を発する世界金融危機で唯一の超大国アメリカと中国の逆転による地政学上の地殻変動は早い時期に起きるとプーチン氏は判断したのだろう。北京冬季五輪に合わせた中露共同声明を事実上の相互不可侵協定とみる向きもある。

バイデン氏を揺さぶり、トランプ氏復活を期待

バラク・オバマ米大統領(当時)がシリア軍事介入を撤回したのをみて、ソチ五輪直後の14年2月にクリミア併合を強行、ウクライナ東部紛争に火をつける。昨年8月、アフガンから無様に撤退したバイデン氏もプーチン氏に足元をみられている。米中間選挙でバイデン氏が敗北すればドナルド・トランプ前米大統領の復活があるやもしれない。

英有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のロシア・ユーラシア担当上級研究員ナイジェル・ゴールド=デイビス氏はプーチン氏を戦争に向かわせる理由を3つ挙げる。

プーチン氏は何も学ばず、親露派を拡大できなかったウクライナでの失敗をすべて忘れている。第二にコロナ危機で顔を合わせる人がほとんどいなくなったプーチン氏の思考は硬直化している。第三に、もうすぐ70歳になるプーチン氏は自分のレガシー(遺産)を切実に考えるようになり、ウクライナへの執着を強めている。

そしてコロナ復興による需給逼迫でロシア経済と財政のカギを握る原油・天然ガス価格が高騰していることもプーチン氏を強気にさせている。グルジア紛争前もクリミア併合前も原油価格は1バレル=100ドルを超えていた。いま原油価格は100ドルを突破し、ウクライナ侵攻の機は熟したというわけだ。