伝説のクソゲーや違法開発者 ゲームの栄枯盛衰描く刺激的ドキュメンタリー(さやわか) - BLOGOS映像研究会
※この記事は2020年10月09日にBLOGOSで公開されたものです
ネットフリックスで配信される映像作品には、刺激的な味付けがされていることが多い。
最近のドキュメンタリー作品でいうなら私設の動物園でトラなどの野生動物を大量に飼う、型破りな男を描いた『タイガーキング:ブリーダーは虎より強者?!』のように、登場人物の常軌を逸した行動や、銃や麻薬もじゃんじゃん登場する衝撃的な事件を追い求める作品が豊富なのだ。
ドラマにせよ、ドキュメンタリーにせよ、地上波のテレビ番組では見られないような、ネット発ならではの見ごたえを重視しているということなのだろう。
『ハイスコア:ゲーム黄金時代』も、そうしたネットフリックスらしさを味わえる、刺激的な作品だ。
第1話から「伝説のクソゲー」 ゲーム業界の栄枯盛衰描くドキュメンタリー
これは70年代後半から90年代末にかけての、ゲーム業界の栄枯盛衰を描いたドキュメンタリー。と言うと、懐古ノリに満ちた、中年ゲーマーを歓喜させるだけの作品かと思うかもしれない。だが実際に視聴してみると、実はそんな生やさしい内容ではない。
そもそも第1話の冒頭からしてふるっている。最初に語られるのは「伝説のクソゲー」こと『E.T.』についてだ。1982年に米国の家庭ゲーム市場が冷え込み、ゲーム会社アタリが経営危機に陥った「アタリショック」事件の遠因とされるゲームだ。
『E.T.』は、当時大ヒットしていた映画を題材にし、セールスも期待された作品だった。だが主人公である宇宙人を穴に落としてはそこから脱出するという、あまりに理不尽かつ爽快感のない内容だったため大コケしたのだ。
歴史上の汚点となってしまったこのゲームは、なぜ生み出されたのか。取材陣はその謎に迫りながら、ゲーム業界の勃興期を描き出していく。
ここがうまい。もちろん『E.T.』開発者のインタビューが映像で見られるというだけでも、マニアックなゲームファンにとっては面白いだろう。しかしそのエピソードを使って、ちゃんとゲーム業界の黎明期について解説を加えるのだ。
とはいえ、その軌跡は最終的にクソゲーである『E.T.』を生むまでのものになるわけだから、品行方正かつ健やかに成長していったゲーム業界の姿が描かれるわけではない。
業界の古参クリエイターとしてにぎやかに登場するのは、既存ゲームのパクリや改造で身を立てた開発者たちばかりだ。
「何でもあり」の違法な開発者たちの魅力
彼らがやったことは、もちろん今なら(そして当時でも)違法行為としてそしりを受けるものばかり。だが、このドキュメンタリーはそれについて必ずしも否定的でない。むしろはっきりと、面白がっている。
実際、面白いのだ。
たとえばマサチューセッツ工科大学の学生だったダグ・マクレーは、自らの住まう学生寮に市販ゲーム機を設置してゲームセンターを運営していた。それだけでも型破りな話だろう。しかしマクレーが特に面白いのは、プレイヤーが慣れてきて、ゲームオーバーになりにくくなると収益が下がると身をもって知った結果、仲間とともに、設置していた市販ゲーム『ミサイル・コマンド』の改造に乗り出したことだ。
言ってしまえば彼らは、自分たちのゲームセンターの利益のために、著作権を侵したことになる。しかもマクレーたちはその改造キットを量産販売し、莫大な富を手にする。
彼らは『ミサイル・コマンド』の販売元であるアタリ社に訴訟を起こされるが、最終的に同社は、自社の商品を改造した者たちの能力を認め、雇うことにしたのだ。
その成功で波に乗ったマクレーたちが同じように『パックマン』の改造も販売元に認めさせたことで生まれたのが、今では正式にシリーズ作品として認められている『ミズ・パックマン』だ。
ユーザーの勝手な改造がイノベーションを生み出し、公式サイドがそれを取り込んでいくという流れは、ゲームの世界では今日にいたるまで定着している。マクレーたちの例は、その端緒と言っていい。
ゲーム史の本道ではないかもしれないけれど、確実にそこにいて、歴史を作ることに参画していたパワフルな人々。彼らのめちゃくちゃなやり方には、黎明期だからこそのパワーと輝きがある。
戦後の闇市のような、あるいはインターネットの初期のような「何でもあり」な感じ。その自由さが、何だかうらやましく思えてくる。
任天堂公式テレホンセンターの従業員も 描かれるゲーム史の裏舞台
以降も、このドキュメンタリーには、世界で最初にR O Mカセット型のゲーム機を作ったジェリー・ローソンや、ズルいほど任天堂対策を重ねた広報戦略によって米国で「メガドライブ」を成功させた米セガのトム・カリンスキーなど、誰もが知っているゲーム史では、あまり語られない人々に詳しく語らせる。ファミコンゲームの攻略を助ける、任天堂公式テレホンセンターの従業員だった人まで出てくるのだ。
もちろん『スペースインベーダー』を作った西角友宏など、歴史的ゲーム作品を手がけた人物も数多く登場する。今日的なRPGの源流のひとつ『ウルティマ』シリーズを作った”ロード・ブリティッシュ”ことリチャード・ギャリオットら、伝説的なクリエイターが次々に現れるのは、単純に見ていて楽しい。
輝かしいクリエイターたちのインタビューは貴重なものではある。だがそれでも、やはり、このドキュメンタリーは、そんな超メジャークリエイターたち以外の人たちにも、積極的にスポットライトを当てようとしているようだ。
『ストリートファイターⅡ』にしても「ゲーム大会」における素人ゲーマーたちの戦いを熱く語って、今日のeスポーツ人気までを視野に入れた歴史を描き出している。また対戦格闘でいうなら、血みどろの残虐描写が大人気となった結果、米国議会聴聞会でやり玉にあげられた『モータルコンバット』への言及も非常に多い。
『モータルコンバット』は結果的にゲーム業界に表現規制の流れを生み、レーティング基準などが生まれるきっかけとなった。しかし皮肉にもそのおかげでこのゲームは世界中で知られる作品となり、ますます人気となった。そうした社会との衝突、それ自体がゲームの歴史となる。その事実を、このドキュメンタリーは指摘する。
ことに残虐さや荒唐無稽さ、人種、性など、ゲームにおける表現の多様性は、このドキュメンタリーの後半では大きなテーマになっていく。
LGBTQや黒人をゲームに取り入れた表現の立役者たち
LGBTQがテーマのRPG『ゲイブレード』の作者ライアン・ベストや、アメフトゲームに黒人選手を登場させるため尽力したゴードン・ベラミーなどは、おそらく商業的なヒットやゲームシステムの革新だけに注目するゲーム史では、あまり語られない存在だろう。
しかし彼らは、確実に「ゲームの表現を更新した」と言うべき人々だ。他社製品の改造やハッキングでゲーム黎明期を作り上げたクリエイターたちと同様に、あるいはゲーム大会に参加した多くの素人ゲーマーたちと同じく、ゲーム史には欠かすことのできない、確実に時代を作った者たちなのだ。
彼らはメジャークリエイターたちとは異なる場所に存在する「日陰者」などではない。彼らも、メジャーなクリエイターと一緒に、等しく同じ立場で、歴史を支えてきた。
残虐さで知られるFPS(ファーストパーソン・シューティング)ゲームの代表作『DOOM』の作者ジョン・ロメロのように、彼らのような存在が、今日の大人気ジャンルの始祖になる可能性だってある。いや、むしろゲーム史は、そういうことを繰り返してきたはずなのだ。
つまり、品行方正なばかりでなく、ダーティーな表現や、法的にグレーなものや、思い切ったマーケティング手法などが繰り返され、その中で揉まれながら、ゲームは発展してきた。
品の良さと猥雑さが渾然一体だからこそゲームは面白い
ドキュメンタリーの中にも登場するように、あの任天堂だって、『ドンキーコング』が映画『キングコング』をパクったとして訴えられたり、ゲームボーイを無断でハッキングした開発者の技術力を認めて『スターフォックス』を生み出したりしてきたのだ。
こうしたエピソードは、マニアックなゲームファンからは、玄人好みの「笑える話」として消費されることが多い。かつてエニックスや光栄がアダルトゲームを作っていた時代がある、みたいな話も同様だろう。
そういう話を、単純に「黒歴史」みたいな言い方で面白がることもできる。しかし、本当は、歴史に黒も白もないのだ。ゲームは、品の良さを見せることもあるが、一方では猥雑さも漂わせるジャンルとして発展してきた。そのことは否定しようがないし、否定する必要もないだろう。
そして僕たちは、それらが渾然一体となったジャンルだから、ゲームのことが好きなのだ。これからもゲームは、そのように、超メジャーな領域と、表現の幅を広げていく領域の、両方を備えながら発展してくれるに違いない。このドキュメンタリーには、そんなメッセージがある。
◆筆者プロフィール
さやわか
評論家、マンガ原作者。著書に『僕たちのゲーム史』、『一〇年代文化論』『文学の読み方』(星海社新書)、『AKB商法とは何だったのか』(大洋図書)、『キャラの思考法』(青土社)など。近著に『文学としてのドラゴンクエスト』『名探偵コナンと平成』(コア新書)。マンガ原作に『キューティーミューティー』(LINEコミックス、作画・ふみふみこ)。TwitterのIDは@someru。