※この記事は2020年09月08日にBLOGOSで公開されたものです

安倍晋三首相(自民党総裁)の後任を決める党総裁選が8日、告示され、石破茂元幹事長(63)、菅義偉官房長官(71)、岸田文雄政調会長(63)の3氏が立候補した。7年8ヶ月に及んだ安倍政権の継承の賛否が争点となる見通しで、衆参両院議長を除く国会議員票394票と都道府県連票141票の計535票で争われる。

この日午後には立候補した3氏による所見発表演説会が行われ、石破氏は「成し遂げたいのはグレートリセット。もう一度この国の設計図を書き換えていく」、菅氏は「悪しき前例主義を排し、規制改革を全力で進める国民のために働く内閣をつくりたい」、岸田氏は「オール自民党でチームを組んで激動の時代、最高のパフォーマンスを繰り広げなければならない」と考えを示した。14日の両院議員総会で新総裁を選出し、16日に召集する臨時国会で指名選挙を実施して新首相が選ばれる。

石破氏「成し遂げたいのはグレートリセット」

衆議院の石破茂であります。この度の総裁選挙に立候補するにあたり、所見の一端を申し述べます。

冒頭、今回の台風で被災をされました方、命を亡くされました方、そして東日本大震災をはじめ、今なお苦難の中にあられる方々、復興復旧にあたっておられる多くの皆様方、心からお見舞い申し上げ敬意を表する次第であります。

私はずっと、政治とはなにか、自民党とはなにか、政治家とは何かを考えてまいりました。もういまから、35年も前のことになります。昭和60年夏のことであります。渡辺美智雄先生の政策集団の研修会が箱根でございました。

当時、私は27歳であったとおもいます。自分で車を運転して、箱根までまいりました。1時間半に亘る、渡辺先生の話をききました。「お前たちは、何のために政治家を志すのか。先生先生と呼ばれたいのか。ポストが欲しいのか。いい勲章が貰いたいのか。金が欲しいのか。そのような奴は政治家になってはならない、去れ」と。「よく聞け、政治家の仕事というのはたったひとつなのだ。勇気と真心を持って真実を語る。それだけが、政治家の仕事なのだ」。

私はあまりに感動したので、その時のテープをいただいて、議員になるまでの1年あまり、ずっと車でテープを聞き続けました。真実は自分で見つけなければならない。たとえ耳に痛くても、ウケなくても、ソレを語る勇気を持たなければならない。そしてわかってもらえる、わかっていただける真心を持たねばならない。

議員になって30余年あまり、今なお、そうあることができない、自分を心から恥ずるものでありますが、そうありたい、今もそう思っております。

自由民主党とはなにか。我々は、3年3ヶ月野にありました。300あった衆議院の議席は、119になりました。

東日本大震災、政調会長だった私は、お願いして宮城県女川の避難所に一晩泊まりました。多くの声をいただきました。我々は陳情するのが仕事じゃない。復興庁みたいなものを作ってくれ。多くの声をいただいたことをよく覚えております。そのときほど、我が党が政権にないことの申し訳なさ。心から思ったことでございました。

私達は新綱領を作りました。自由民主党はかくあるべし。谷垣総裁の元、徹底的な議論を行い、自由民主党かくあるべし、新綱領を作ったのであります。

自由民主党は、勇気を持って自由闊達に真実を語る政党でなければならない
自由民主党は、あらゆる組織と協議する政党でなければならない
自由民主党は、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させ、そういう政党でなければならない
自由民主党の政府は政策を条件を、あらゆる人に公平にするものでなければならない

新綱領を掲げ、我々は安倍総裁の元、一致して闘い、政権を奪回し、今日があります。自由闊達に真実を語る政党、あらゆる組織と協議する政党、政府を謙虚に機能させる政党、そして全ての人に公平な条件を作り政策を作る、自由民主党は常に、そういう政党であるかどうか、胸に問いかけていきたい、そのように考えております。

時代認識について申し上げます。「100年に一度」という言葉がよく使われます。100年前に何があったか。1914年から18年まで、第一次世界大戦でありました。

世界で1億人の人が命を落としたと言われるスペイン風邪。1918年から1920年まで、世界で大流行しました。1929年、大恐慌。1939年から45年まで、第2次世界大戦。それが100年前の出来事であります。

我々は、戦争を絶対に起こしてはならない。ウイルスで多くの人たちが命を落とすような、そのようなことがあってはならない。経済が破壊されるようなことは、絶対に防がねばならない。そういう認識でおります。

令和の政治を語る時に、平成とは何であったか、そのことに思いをいたさねばなりません。3つのモノがおわったか、もしくは大きく変わったのは、平成の30年でありました。

戦後が終わった。かつて田中角栄先生は、「あの戦争に行ったやつが、この国の中心でいる間は日本は大丈夫。そうでなくなった時が怖い。だからこそよく勉強してもらわねばならない」。一兵卒として、日中戦争に従軍された、田中角栄先生は、生前そう語っておられました。

私は、猪瀬直樹さんの「昭和16年夏の敗戦 日本人はなぜ戦争をしたか」それを読むように、多くの皆様方にお願いをいたしております。

昭和16年夏、20年ではありません。帝国政府は総力戦研究所を設立をし、陸軍海軍あらゆる官庁、日本銀行、同盟通信。30代の秀英を集めて、もし戦争をしたらどうなる、徹底的な討議をおこないました。

全てのデータは開示をされた。国力の差、経済力8倍、鉄鋼生産力は12倍、自動車の生産台数に至っては100倍違う。全てのデータは開示をされました。

出た結論。昭和16年の夏。何があってもこの戦争だけはしてはならない。そういう結論が出ましたが、なぜ戦争になったのかということであります。

国民には正確なデータが知らされていなかった。メディアは戦争を煽った。そして、権力とメディアが癒着をし、さらには、そういうことをすれば予算が削られる、そう恐れた軍部もあった。

反軍演説をした但馬の代議士、斎藤隆夫。衆議院を除名になった。反対したものはわずかに7名である。

それぞれが保身に走る。個の利益を全体の利益に優先した時、国は悲劇の道を歩む。そのようなことを、決して繰り返してはならない。

戦後が終わったということを、私達はもういちど、心にきざまなければなりません。

民主主義、終わったとはいわないが大きく変質を遂げた、それが平成だったと思います。大勢の人が参加をしなければ民主主義は成り立たない。正しい情報が有権者に与えられなければ民主主義は機能しない。少数意見が尊重されなければ民主主義は機能しない。

私たちは民主主義がきちんと機能するように、大勢の人が参加できるように、正しい情報が与えられるように、少数意見が尊重されるように、民主主義を守っていかねばなりません。

資本主義、大きく変質を遂げたと思っております。株価は上がった、有効求人倍率はすべての都道府県で1を超えた。企業は空前の利益をあげた。素晴らしいことであります。

しかし他方、格差が拡大してはいないだろうか、一部の人だけに利益が及んでいないだろうか、東京一極集中が進み、集中の利益は、毀損されてはいないだろうか。

新しい資本主義というものを考えていかねばなりません。地方であり、農林水産業であり、女性であり、サービス業であり。その持てる力を、最大限に引き出していかねばなりません。

21世紀は、端的に申し上げますが、世界の人口が倍になり、日本の人口が半分になる。それが21世紀であります。少子化は進み、高齢化は進み、あと20年で介護にかかるお金は2.4倍。医療にかかるお金は1.7倍。

この経済を維持していかなければ、日本の福祉、幸せを維持していくことはできない。私は、企業は株主だけのものではない。経営者だけのものではない。従業員であり、家族であり、地域社会のためであり、新しい公益資本主義。これを世界に先駆けて、日本は広めていかなければならないと思っております。

利潤だけを目的にするのではない、日本各地でいろいろな取り組みが始まっている。循環型、そして里山の資源、それを最大限に活かし、サブシステムとしての、里山資本主義、それを日本から、確立をしていきたい、そのように考えております。

消費性向の高い、所得の低い方々、年収350万円、地方で、中小企業で、サービス業で、一生懸命働いておられる方々、そういう方々の、雇用と所得、これを増やしていかなければなりません。

潜在力を最大限に引き出し、GDPを維持し、引き上げ、生きていてよかった、日本に暮らしていてよかった、そう思っていただける方を増やしていきたい。

以上が私の歴史認識であります。これから総裁選を通じて、各論について各候補が議論を致します。どうぞ皆さん聞いてください。国民の皆様方、お聞きください。

各論についていくつか申し上げます。

コロナ対策であります。私は、感染者は増加をしているが、重症者は増加をしていないので、医療現場は逼迫していない、そういう認識にはたっておりません。医療現場がどれほど困難な中にあるか。

コロナに対応する医療関係者、2倍3倍のストレスを抱えております。収益は悪化をしています。その中で歯を食いしばって命がけで、戦っているのが医療関係者の皆様方です。それで今日があるのです。

医療現場に対する支援を最大限、行っていかなければなりません。あわせて、守っていかなければならないのは社会です。医療と経済、二者択一ではない、守らねばならないのは社会なのであります。だとするならば、経済的支援の拡大と、強制力を伴った措置の導入と、このことは真剣に検討されてしかるべきであります。

感染が収束したら特措法の改正、その立場に私は立ちません。早期に収束させるために、特措法の改正、そのために、政治は政府だけで行うものではない。議会の智恵をいかに借りるか、それが国民に対して、政治が果たすべき責任である。そのように考えます。

災害は忘れる間もなくやってくる。そういう時代です。私は、防災省は必要だと。心からそう信じます。日本全国、1724市町村、それぞれで防災の体制が違っていいのですか。同じようなスキルを持たねばならないのではないですか。

知識は、伝承され、継承されなければならないのであって、優秀な人達が、各省庁からやってくる、2年経ったら帰る。どうして、蓄積と伝承ができるのですか。どうして、教育が普及するのですか。

どこにあっても同じ体勢、そして24時間365日、防災を考えるそういうような部署。縦割りを廃し、日本国のために、絶対に必要なものである。私はそのように固く信ずるものであります。

地方創生大臣を2年務めました。食糧を作り、エネルギーを作り、出生率の高い地方が滅んで、政治であり、金融であり、経済であり、文化であり、メディアであり、その中心の東京ではありますが、食料を作らず、エネルギーを作らず、出生率は全国最低。そこに、人があつまる、モノが集まる、金が集まる。そういう日本国は持続可能なものなのですか。

私は地方に雇用と所得、そのことは絶対に必要だと思います。おかしくないですか。鉄道が発達し、道路が発達し、航空路が発達し、情報網が発達すればするほど、東京一極集中はなぜ進むのですか。国がそういう仕組みになっているからです。

明治維新後、わずか50年。日本は世界の強国になった。敗戦後わずか20年で、GNPは世界第2位になった。そのために東京一極集中は人為的に行われたものであります。

ふるさとは志を果たして帰るものではない。志を果たしにふるさとに帰る。東京の負荷を減らしていかねばなりません。東京の集中の利益を、限界を超えたとするならば、首都直下型地震、少子高齢化、東京の持っている負担をいかにして減らすか、地方にいかにして雇用と所得をもたらすか。地方創生に私はもう一度全身全霊で取り組み、新しい日本を作ってまいります。

憲法について申し上げます。どうか平成24年、党議決定をした自民党憲法改正草案、もう一度みんなで読もうではありませんか。起草員の一人として携わりました。なんで政党の役割が憲法に記されていないのですか。わが自由民主党は日本国の中心として日々、努力をしてきた。

政党は権力による弾圧があってはならない。最大限自由が保障されなければならない。しかし、国民から政党助成金をいただいている。そうであるならば党の金をどのように使ったのか。政党の意思はいかに決せられるべきか。そのようなことを国民にきちんと示す、権利だけ享受する主体というのはありえません。政党法の制定が必要であります。

合区の解消。参議院選挙は間違いなく再来年にはやってくる。鳥取、島根、高知、徳島、合区の厳しさ、苦しさ、これを解消するために憲法改正が必要である。そうしなければ地方はどうなるんですか。地方に厚く、そういうことを申し上げているのではない。

合区の解消、そのために時限性のある課題には取り組むべき。最高裁判所裁判官、総選挙の際に誰がその名前を知っているのか。この仕組みで本当に三権分離は成り立つのか。その仕組みは法律で定めていかねばなりません。

自衛隊は国の独立を守るためのものです。そして、その行動はすべて国際法に則ってやるべきものです。あいては外国の国家主権ですから、国際法に則って行動するのは当然だ。その国において最強の組織であればこそ、司法立法行政による厳格な統制は必要である。当たり前のことであります。

憲法改正は国民が決めるものである以上、わが党は先頭に立って、議論を深め、一刻も早く憲法改正に取り組むべきものであります。私はこの34年間、ひたすら愚直に生きてきました。

もっとお利口さんに立ち回ることもできたのかもしれません。ひたすら愚直に生きてまいりました。今回、納得と共感を掲げました。「そうだね」と国民が言ってくださる。「一緒にやろう」と言ってくださる。それが納得と共感であります。いまこそ納得と共感の政治をやりたい。

そして成し遂げたいのはグレートリセット。もう一度この国の設計図を書き換えていくことであります。そうしなければこの国は次の時代に生き残ることはできない。やらねばならないのはグレートリセットである。国のあり方をもう一度みなさんとともに考え直し、作り直していきたい。

国民は政治を信じていないかもしれない。しかし、我々は国民を信じているのか。これを言ってもわからない、これを言えば票が減る。そう言って真実を語らない政治家は国民を信じていないのではないか。国民を信じない政治家が国民から信用されるはずがない。

わが自由民主党は国民政党として、日本国のために、次の時代のために全身全霊で臨んで参りたいと決意を申しのべて所信の一端といたします。ありがとうございました。

菅氏「規制改革を全力で進める国民のために働く内閣をつくりたい」

ただいまご紹介をいただきました菅義偉であります。どうぞよろしくお願いを申し上げます。

まずはじめに、この自民党総裁選挙にのぞむにあたり、党総裁として約8年、内閣総理大臣として7年8ヶ月に渡って重責を担われ、今日の礎を築いてくれました安倍晋三総裁に対し、この場をお借りし心からの敬意を表明すると同時に、その卓越した指導力と判断力にあらためて最大限の賛辞を送らせていただきたいと思います。

また、引き続き、楽観を許さない新型コロナウイルス、この目に見えない敵と戦いのために昼夜を問わず、全力で取り組んでおられます医療、介護関係者をはじめとする全ての方々に深く感謝を申し上げるとともに、この感染症によって命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈りを申し上げます。

そして今般の台風10号など、この夏の一連の災害でお亡くなりになった方々のご冥福を申し上げますとともに、心からお見舞いを申し上げる次第でございます。

第二次安倍内閣が発足して以来、内閣官房長官として、総理のもとで日本経済の再生、外交安全保障の再構築、全世代型社会保障制度の実現というこの国の未来を左右する重要課題に取り組み、今年に入ってからは新型コロナウイルス感染症の拡大というかつてない事態に真正面からとりくんでまいりました。

こうしたなかで陣頭指揮をとってこられた安倍総理が道半ばで、退かれることになり、総理の無念な思いを推察するものであります。しかし、この国難に当たって、政治の空白は決して許されず一刻の猶予もありません。

この危機を乗り越え全ての国民の皆さんが安心できる生活を1日も早く取り戻すことができるために、一人の政治家として安倍政権を支えてきたものの一人として何をなすべきか熟慮してまいりました。そして私は、自民党総裁選挙に立候補する決意を固めたのであります。

安倍総理が進めてきた取り組みをしっかり継承し、さらに前に進めたいと思っております。

今取り組むべき最優先の課題は新型コロナウイルス対策であります。なんとしても欧米諸国のような爆発的な感染拡大は阻止をします。

そして国民の命と健康をまもります。そのうえで、社会経済活動の両立をはかってまいりたいと思います。そのためにも、年初以来の新型コロナウイルス対策の経験を生かし、メリハリの効いた感染対策を行い、検査体制を拡充をし、必要な医療体制を確保してまいります。来年の前半までに全ての国民の皆様にワクチンが行き渡ることができるようにその確保を目指してまいります。

同時に、依然厳しい経済環境の中で、雇用を守り、事業を継続させることがまさに最優先であると考えます。最大200万円の持続化給付金、公庫や銀行による最大4000万円までの無利子・無担保の融資、こうした経済対策を迅速に必要な方にお届けをしたいと思っております。

さらにGoToキャンペーンなどを通じ、感染対策をしっかり講じることを前提に、観光などダメージを受けた多くの方々を支援していく考え方であります。今後も躊躇なく対策を講じてまいります。

私の原点について少しだけお話をさせていただきたいと思います。

雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京まで出てきました。町工場で働き始めましたがすぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を経て2年遅れて法政大学に進みました。

一旦は民間企業に就職しましたが、世の中がおぼろげに見え始めた頃に、もしかしたらこの国を動かしているのは政治ではないか、そうした思いにいたり、縁があって横浜選出の国会議員小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のときです。

秘書を11年務めたころ、偶然にも横浜市会議員選挙に挑戦する機会に恵まれました。直前まで公認を得られない厳しい選挙戦でありましたけれども、38歳で当選をさせていただきました。

地方政治に携わるなかで、市民のみなさまがたの声にお応えをしていくためには地方分権を進めていかなければならない、そうした思いで国政を目指し、47歳で当選をいたしました。まさに地縁血縁のないゼロからのスタートでありました。時を経て、いま私はここで自民党の総裁選挙に立候補し、みなさんを前に所見の演説をさせていただいております。

50数年前、上京した際に、今日の自分の姿はまったく想像をすることもできませんでした。私のような普通の人間でも努力をすれば、総理大臣をめざすことができる。まさにこれが日本の民主主義じゃないでしょうか。

世の中には国民の感覚から大きくかけ離れたものが数多く、当たり前でないことが残っております。

例えば赤坂の迎賓館。私は総務大臣になって初めて素晴らしい施設に入ったときに、田舎の両親に見さしてやりたい。こう思いました。しかし当時は年間で10日間しか開放しておりませんでした。

迎賓館は国民の財産です。官房長官になってすぐに、公務で使っていない期間は国民に開放するように指示をしました。現在では、年間で270日以上開放されています。京都の迎賓館も同じように開放をいたしました。

そして、災害対策のダムの活用です。台風がくる前に事前放流ができるダムは国交省が所管するダムだけでした。ところが、同じダムでありながら経産省が所管する発電用ダムや、農林省が所管する農業用のダムはこの事前放流を行うことができませんでした。

省庁の縦割りが原因だったんです。その見直しをおこなうことで、全国のダムの事前放流をできるようにしました。その量はなんと従来の約2倍です。今回の台風10号でも九州を中心に75か所のダムで事前放流を行って、下流の水位を下げることができました。

さらに、例を挙げるならば、高すぎる携帯料金、電話の料金です。公共の電波の提供を受けているのにもかかわらず、大手3社は市場で9割の寡占状態を維持し20%もの営業利益を上げ続けています。このような事業者の既得権益を取り払い、競争がしっかり働くようにさらに改革を徹底したいと思います。

現場の声に耳を傾け、何が当たり前なのか、見極めて判断をし、そして大胆に実行する。私の信念は今後も揺らぎません。

私の中には横浜市会議員時代も国会議員になってからも、地方を大切にしたい、日本のすべての地方を元気にしたいという気持ちが脈々と流れております。この気持ちを原点として、政策を実行してまいりました。

第一次安倍政権では、当選4回で総務大臣に就任をいたしました。地方から都会に出てきた人たちの多くは生まれ育ったふるさとに何らかの形で貢献をしたい。ふるさとと絆を保ちつづけたい。そう思っているに違いないと考えて、自ら自分の中に温めておりましたふるさと納税を官僚の大反対を押し切って成立をさせました。今では多くの国民のみなさまにご利用をいただいております。

また、官房長官として、力強く進めてきた外国人観光客、いわゆるインバウンドや、農産品の輸出の促進、さらには最低賃金の全国的な引き上げなども、「地方活性化したい」、その思いからであります。今後もこれらの取り組みを強化し、頑張る地方を応援するとともに、被災地の復興の支援をしてまいります。

私たちが8年前に政権を奪還して以来、安倍政権の中で一貫で取り組んできたのが経済の再生です。金融緩和、財政出動、成長戦略を柱とするアベノミクスは今後も継承し、さらなる改革を進めてまいります。

政権発足前は1ドルは70円台、株価は8000円台、企業が経済活動を行うのは極めて厳しい状況でありました。現在はこの新型コロナウイルスの中にあっても、マーケットは安定した動きをみせております。安倍政権発足以来、人口減少の中で、就業者数は400万人以上増えました。そして、下落し続けてきた地方の地価は27年ぶりに上昇に転じました。

バブル崩壊後最高の経済状態を実現したところで、新型コロナウイルスが発生しました。まずはこの危機を乗り越えたうえで、新型コロナウイルスによって明らかになったデジタル化やサプライチェーンなど新たな目標について、集中的な改革、必要な投資をおこない、再び力強く経済成長を実現したいと思っております。

外交及び安全保障の分野については、我が国を取り巻く環境が一層厳しくなる中、機能する日米同盟を基軸とした政策を展開して参ります。国益を守り抜く、そのために自由で開かれたインド太平洋を戦略的に推進するとともに、中国をはじめとする近隣国とその安定的な関係を構築いたします。

戦後外交の総決算を目指し、特に拉致問題の解決に向けた取り組みに全力を傾けてまいります。弾道ミサイルなどの安全保障上の脅威、自然災害、海外に在留する日本国民へのテロの危険、これらのさまざまな緊急事態や危機に際し、迅速、かつ的確に対処してまいります。

環境対策、脱炭素化社会の実現、エネルギーの安定供給にも取り組んでまいります。

憲法改正は自民党立党以来の党是であります。私たち自民党はすでに4項目のたたき台を提示しております。引き続き、憲法審査会において、各党がそれぞれの考え方を示した上で、与野党の枠を超えて、建設的な議論を行なっていくべきだと思います。しっかりと挑戦していきたいと思います。

私たちはまず、新型コロナウイルスの対応のためにあらゆる英知を結集します。その上で、新型コロナウイルス下で浮き上がったのはデジタル化の必要性であります。ようやく解禁されたオンライン診療は今後も続けていく必要があると考えます。子供達の教育のために、GIGAスクールも強力に進めます。

行政のデジタル化についてはマイナンバーカード、不可欠にもかかわらず、普及が進んでおりませんでした。だからこそできることから前倒し措置をします。複数の役所に分かれている政策を強力に進める体制として、デジタル庁を新設をいたしたいと思います。

また、長年の課題である、少子化対策です。昨年から幼稚園、保育園、大学、専門学校の無償化を進めています。今後、保育サービスを拡充し、長年の待機児童問題に終止符を打ちたいと思っております。

さらに、出産を希望する世帯を、広く支援をするために不妊治療への保険適用を実現いたします。安心して子供を産み育てる社会、女性が健康で活躍することのできる環境を整備してまいります。

私が目指す社会像というのはまず自助・共助・公助、そして絆であると考えております。自分でできることは、まず自分でやってみる。そして、家族地域で御互いに助け合う、その上で政府が責任を持って対応する。そうした国民の皆様から信頼される政府を目指したいと思っております。

目の前に続く道は決して平坦ではありません。しかし、私が自民党の総裁になったあかつきには行政の縦割りを打破し、既得権益を取り払い、悪しき前例主義を排し、規制改革を全力で進める国民のために働く内閣をつくりたいと思います。

みなさまのご理解とご協力を心からお願いを申し上げます。

岸田氏「現代的な課題にしっかりと分断から協調へとのぞんでいく」

このたび自民党の総裁選挙に立候補いたしました岸田文雄でございます。浅学非才ではございますが、全力、全霊全身をかけてこの選挙に臨んでいきたいと存じます。どうかよろしくお願いを申し上げます。

そして冒頭、私からも先日の台風10号によって、被災された皆様、すべての皆様方に心からお見舞いを申し上げたいと思います。土砂災害など二次災害の危険もまだ残っております。

警戒を緩めることはできませんが、こうした災害が次々と起こるこの時代にあたって、防災減災、あるいは国土強靭化三カ年計画などこうした取り組みの実施継続、拡充、こうしたものをしっかり進めることによって、国家100年の大計に立って、この防災についてもしっかり考えていかなければならない。こうしたことを強く感じます。

その上で、所信について申し上げます。私が国会に議席を始めていただきましたのは1993年、第40回衆議院選挙、日本国で最後に中選挙区制度で選挙が行われた選挙でございました。その選挙によって私たち自民党は野に下りました。初めて野党を経験いたしました。

その時の自民党党本部の姿、私は今でもついこのあいだのように生き生きと思い返すことができます。あの時、年末、予算のシーズンであるにもかかわらず、自民党の党本部、駐車場はガラガラでありました。受付の女性、あるいは守衛の皆さんも手持ち無沙汰の様子をされておられた。

また時の幹事長はのちに総理大臣になられます森喜朗総理でありましたが、当時の森幹事長も幹事長室で暇を持て余しておられた、そういった印象、大変印象深く覚えております。それから我々自民党は16年後、ふたたび野に下りました。

この時の選挙の結果、これはまことに悲惨なものでありました。当選することができた議員119名、半分以上の同志が涙をのむ大惨敗でありました。

この選挙の結果ののち、我々の野党時代ではありますが、当時の谷垣禎一自民党総裁は、生声プロジェクトというプロジェクトを打ち上げられました。ようは全国国会議員が山奥深く、あるいはどんな離島であっても自ら足を運び、現地の皆さんと車座になって少人数で徹底的に意見交換を行う。こうしたこの座談会、400回500回と繰り返して、多くの国民の皆さんの声を直接聞き取るこうした努力を続けました。

こうした国民の皆さんの声を聴く力をエネルギーに変えて、そしてそのエネルギーでもって2009年、我々自民党は与党に返り咲き、そして第二次安倍政権がスタートをし、この7年8ヶ月の安倍政権時代がスタートをした、こういったことでありました。

私はあのとき、政治における聞く力のエネルギーの大きさ、これを改めて痛感しました。そしてひるがえっていま、わたしたちの国はどういった状況にあるのか。

新型コロナウイルスとの闘いの中で、医療現場においては最前線で多くの関係者が大変な努力を続けておられる。また多くの事業者が明日も事業を維持できるのか、不安の中で懸命に努力を続けておられる。

また、多くの高齢者が医療や介護、こうしたサービスを受けられるんだろうか。不安に思っておられる。若者も、将来の不安のなかでなかなか結婚に踏み切ることができない。あるいは、子どもを持ちたいと思っても、なかなか持つことができない家族がある。さまざまな悩みが、声が日本中に溢れています。

私はいまこうした日本において、政治の聞く力、多くの国民のみなさんの声を丁寧にしっかり聞き、そしてそれを政治のエネルギーに変える、こうした聞く力をしっかりと再確認をして新しい時代に向かっていかなければならない、こういう風に思います。

そして、安倍総理が先日退陣を表明されました。安倍総理の7年8ヶ月の政権、この7年8ヶ月は日本の歴史にとっても特筆すべき時代であると思います。

かつて日本の経済は六重苦といわれた。また外交崩壊とまでいわれた日本のありようが、この7年8ヶ月経済においても外交においても、これは大変な成果をあげることができた、時代を大きく転換させた7年8ヶ月であったと思います。

「安倍総理は数々の輝かしいレガシーを残された」。この評価は、平素であるならば政治家に対して皮肉っぽく、そして批判の言葉を繰り返すイギリスの経済誌「エコノミスト」の安倍総理に対する評価であります。かつて日本の総理でここまで海外から評価された総理があったでありましょうか。

安倍総理が退陣を表明されたいま、あらためて安倍総理が7年8ヶ月にわたって国家、国民のため孤独に耐え、プレッシャーに耐えながら、身を粉にしながら努力をされてこられた。このことに改めて敬意を表し申しあげたいと思います。

私も政調会長として、外務大臣としてチーム安倍の一員として仕事をすることができたことを誇りに思っています。そしていま、私たちはこの安倍総理の残された成果、この輝かしい成果を土台として次の時代を考えていかなければいけない。こういった立場にあります。

そうした私たちにいま襲い掛かっているのが新型コロナウイルスの猛威であります。医療崩壊を防ぎ、国民の命を守る。そして、国民の生活、事業、そして雇用を守る。感染症対策と経済対策、これを車の両輪としてしっかり進めていく。そしてそれを実現するためには医療におけるPCRと同時に、経済、社会を回すPCRをしっかり充実させなければならない。

また、秋冬のインフルエンザ感染蔓延を前にして、医療機関の経営をしっかり安定させなければならない。ワクチン、治療薬、一刻も早い開発につなげなければならない。そのためには、我が国は事業規模230兆という世界最大規模の経済対策を用意したわけでありますが、これをしっかり実施することと合わせて、事態の変化に機動的に対応していかなければならない。

いま、コロナとの闘いは日本だけでなくして、世界が取り組んでいます。日本だけではなくして、アメリカをはじめ世界が大型の財政出動を行っています。

なおかつ経済の厳しい状況を考えると、金利はなかなか上げることができない。こういった状況のなかにあっては、このタイミングにおいては、我々は必要であるならば、思い切った財政措置も引き続き考えていかなければいけない。こういった立場にあるんだということも感じます。

ぜひこうした新型コロナウイルスとの闘い、まずは政治の大きな責任としてしっかり続けていかなければなりません。しかしながら、この新型コロナウイルスとの闘いのなかで、我が国のもつ様々な課題、こういったものも浮かび上がってきました。

例えば経済。アベノミクスによって間違いなく大きな経済の成果が得られました。GDP、企業収益、雇用。どれをとっても大きな成果が確認をされました。これは素晴らしいことです。

ただこの成長の果実、いつか所得の中間層へ、いつか中小企業・零細企業へ、いつか地方へ、という課題がありました。

そこへ新型コロナウイルスの猛威が襲い掛かった。結果どういうことになったのか。株価引き続き2万3千円を維持しています。資産は守られている。しかし、一夜にして所得が8割、9割消えてしまった、蒸発してしまった方もおられる。ITに対応できる企業と対応できない企業、接触型産業と非接触型産業。間違いなくコロナとの闘いにおいて格差の問題。これは、我々政治の立場から真剣に向き合わなければいけない課題として浮かび上がってきているのではないか、これを感じます。

この格差の問題については、成長の果実の分配、税制等における分配についても考えていかなければいけない。また中間層への支援というのは日本だけでなくして、アメリカをはじめ世界各国の課題として浮かび上がっています。中間層への支援、教育、あるいは住宅、こういった部分の支援が最も効果的だ。こういった議論も行われています。最低賃金の引き上げ、こういったものも考えなければなりません。

また加えて、資本主義そのものについても考えなければいけない。こういった時期がきています。儲け、あるいは効率最優先の資本主義、新自由主義というものが批判され始めてからも久しいわけでありますが、いまESG投資ですとかSDGsですとか、世界的にこういったものが注目されている時代にあって、私たちは改めて人にやさしい、公益に資する、持続可能な資本主義を考えていかなければいけないのではないか。日本においても昨今、渋沢栄一が再評価されている、こういった動きもこうした流れの一環ではないかと思います。

資本主義というもの、資本と労働、カネと人、これが大きな要素だといわれています。このカネの部分ではなくして、人の部分にしっかりと注目をする。分配を考えていく。こういった資本主義をいま考えていく必要があるんではないか、こうした問題意識ももちます。

また経済においては、財政とそして金融、この2つのエンジンで経済の成長を引っ張ってきた。しかし、持続可能性ということを考えたら、もうひとつのエンジン・成長戦略。新しい時代の成長のエンジンをしっかりふかしていかないと、持続可能性を維持することができないのではないか。こんな問題意識があります。21世紀の石油といわれるビッグデータや、あるいは5Gをはじめとする最新の技術。こういったものをしっかりと結びつけることによって新しいエンジンをつくる。

そして、こういった考え方は地方においても大変有効な考え方であります。地方においても従来から都市と地方の格差という問題が、問題意識としてありました。いま新型コロナウイルスとの闘いのなかで、デジタル化、リモート化、あるいはテレワーク。東京や大都市にいなくても働くことができるんだ。あるいは、東京や大都市にいなくても情報が得られる。医療や教育を受けられる。これを私たち日本人は改めて実感をした。これが今の状態だと思います。

過度の東京や大都市への集中は感染症との戦いにおいても問題だ。これも考え直していかないといけない。こうした意識が広がっている今こそ、地方にとってのチャンスがめぐってきた。こういったことではないかと思います。

データや最新の技術をそれぞれの分野に結びつけることによって、ドローン宅配や自動運転やリモート診療、リモート教育、スマート農林水産業、さまざまな成長のエンジンに、地方のエンジンに結びつけていく。これはチャンスではないか。こういったことを強く感じています。

40年前、田園都市構想という構想が大平総理に打ち出された、こういった時代がありました。「田園に都市の便利さを」「都市に田園の豊かさを」「こうした個性あふれる都市を全国に作ろう」。こういった構想でございましたが、この構想に40年ぶりに命を吹き込むチャンスを私たちをいま得ているのではないか、こんなことを思います。

そうして、こうした成長戦略、あるいはデジタル田園都市構想、こうした構想を考えるにつきましても、この我が国の官民挙げてのデジタル化、そしてその上に21世紀の石油と言われるデータをしっかりのっけることによって、こうしたエンジンをしっかりとふかしていかなければいけないのではないか。

デジタル化を進めることによって、この省庁の垣根をはらう、全国民間にも広げていく、もちろんこれは大事ですが、そのうえにデータがしっかり乗ってこそ、成果につながる。よって、この制度の組織の名前はさまざまではありましょうが、私はデジタルの部分についてはDX推進委員会、そしてデータの部分についてはデータ庁、こういったものを考えてもいいんではないか、こんなことが言われています。

そして、外交の部分についても日米関係、日中関係、これはともに大事ではありますが、やはり世界の分断、この保護主義、自国第一主義、あるいはブロック経済。こういったものが進む中にあって、日本のように資源のない国、島国、人口が減少する国が生きていくとしたならば、この2国間関係、もちろん大事ではありますが、やはりマルチ外交、これが大事になってくるのではないか。

自由や民主主義、こうした基本的な価値を共有する国々とともに、地球規模の課題、環境やエネルギーや平和、こういった問題にしっかりと取り組んでいく。こういった外交、そのなかで日本というような国は存在感を示し、そして、「日本みたいな国は大事な国だな」と言ってもらえるような国を目指す、これが分断が進む国際社会における日本の生きる道ではないかと思います。

このように国の内外に格差や分断が進む、この現代的な課題にしっかりと分断から協調へとのぞんでいく。これがいまから望まれるのではないか。そしてこうした課題を解決するためにはあらゆる課題が国民の協力なくして結果を得ることができません。

国民の協力を引き出す政治が今求められている。国民の協力を引き出すためには、政治の信頼と、そして冒頭申し上げました、政治の聞く力。これをしっかり取り戻さなければなりません。

いま、日本は国難にあります。こういったときだから、保守の政治が重要になってきます。歴史や文化を大事にしながら、歴史の教訓に思いを巡らし、徹底的な現実主義に基づいて、変えるものを変えていく。こうした保守のあり方があるからこそ、保守は激動の時代において成果を上げ、国民をまとめることができます。

これがいまできるのは自由民主党だけであるということを我々はしっかりと胸に、国民の皆さんに政治を訴えていかなければなりません。そして最後に、個人的なことを申し上げて恐縮ですが、私はこれまでの人生、本当に多くの失敗を繰り返してきました。例えば学生時代、私はですね、同じ大学の入試に三回失敗しました。また野球をやりましたが、様々な失敗に出会いました。国会議員になってからもさまざまな失敗を繰り返しました。

その中で得たもの、これはチームに参加する、協力してくれる人の心がわかるようになった。こう言ったことです。ぜひ、激動の時代、自民党はオールスターで、そしてこのオール自民党でチームを組んで激動の時代、パフォーマンス、最高のパフォーマンスを繰り広げなければなりません。そのために自分が輝くのではなくして、チームのひとりひとりを輝かせる。こういったリーダーを目指したいと思います。

ぜひ激動の時代、ともに、みなさんとともに政治を前進させるために、ご理解ご協力、心からお願い申し上げて、話を終わらせていただきます。ありがとうございました。