「流れ星のように権力の座から滑り落ちた政治的ピエロ」中国は安倍首相の辞任劇をどう見たか - 木村正人
※この記事は2020年09月04日にBLOGOSで公開されたものです
[ロンドン発]第2次内閣発足からの連続在任期間が2799日を超え、歴代最長だった佐藤栄作を抜いて単独1位を達成した安倍晋三首相が8月28日、持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に突然、辞任を表明しました。安倍首相は辞任の理由を次のように説明しました。
「政治において最も重要なことは結果を出すことだ。病気と治療を抱え、体力が万全でない苦痛の中、大切な政治判断を誤る、結果を出せないことがあってはならない。国民の皆様の負託に、自信を持って応えられる状態でなくなった以上、首相の地位にあり続けるべきではない」
「戦後レジームからの脱却」を唱えて登場した安倍首相は集団的自衛権の限定的行使容認、特定秘密保護法の制定を強行し、国内左派から厳しい批判にさらされてきました。しかし、英米から見た場合、靖国神社への参拝を除いて、安倍首相の外交・安全保障政策は高く評価されました。
安倍首相は、中国のインフラ経済圏「一帯一路」に対抗する「インド太平洋」戦略を主導しました。11月の米大統領選が近づき、ドナルド・トランプ大統領が“反中十字軍”キャンペーンを展開する中、当の中国は安倍首相の辞任表明をどう分析しているのでしょうか。
中国共産党機関紙系の国際紙「環球時報」英語版をみてみましょう。
<安倍首相の後継者は中国政策を継続するのか>
8月29日、王広涛・復旦大学日本研究センター特定研究員
「安倍首相と麻生太郎副総理兼財務相と二階俊博自民党幹事長の支持を得た候補者が勝つ可能性が高い。安倍首相の中国政策がほとんど継続されなければ中国も日本も恩恵を受けない。後継者が穏健な中国政策を継承できるかどうかが長期的に日中関係の鍵となる」
「この8年間、安倍政権には2つの異なるステージがあった。前半は対立と封じ込め。後半は“正常化”への回帰を強調した。2017年以降、両国の指導者は互いに相手国を訪問し、第三者市場での協力や通貨スワップなど、経済と貿易の分野で幅広いコンセンサスに達した」
「選挙政治と国際情勢はポスト安倍の候補者全員を中国に対してある程度批判的にする可能性が高い。岸田文雄政調会長は中国に対してより批判的であり、香港国家安全維持法問題に異議を唱えている」
「タカ派の石破茂元幹事長は中国への批判的な発言をほとんど行っていない。自民党“親中派”の親玉、二階(俊博)氏の支持を取り付けようとしているようだ。しかし次期首相に誰がなっても中国との対立政策を追求する可能性は低い。国益に沿った日中関係を継承し、発展させるだろう」
首相後継者の大本命として菅義偉官房長官が急浮上する中で、親中派のボス、二階氏の動向はある程度、日本の対中政策を左右するかもしれないが、米大統領選の結果を経て今後、アメリカの対中政策がどう変わるのかが最大のポイントとなる。
イギリスでも日本でも同じだが、アメリカの意向に反して親中政策をとった政権は必ずと言っていいほど崩壊している。
<日中関係は米国の影響を受け、後退するかもしれない>
8月30日、環球時報チーフリポーター
「河野太郎防衛相の中国に対する姿勢はますますタカ派になり、これは日本の国益というよりむしろアメリカの戦略的目的に役立っている。安倍首相の後継者がそのような姿勢にどの程度影響を受けるのか、それともハイジャックされるのかは依然として分からない」
「黒竜江省社会科学院北東アジア研究所長は、残念ながらアメリカと日本国内の保守勢力からの圧力を受け、次の日本の首相はアメリカ主導の電子スパイ同盟『ファイブアイズ』に加わり、ワシントンのために中国の監視を行う6番目の目になるかもしれないと予測している」
「北京の軍事専門家は“アメリカは西太平洋で中国に挑むことはできないことを理解している。このため中国を封じ込めるためのゲームに参加するよう同盟国を促している。アメリカは、自らは傷つくことなく同盟国と中国の間に摩擦や対立が起きるのを欲しているのだ”と語る」
「日本の政策決定者がミサイル防衛システムだけでなく中距離ミサイルも配備するよう求めるアメリカの圧力に応じた場合、アメリカが将来、中国への攻撃を仕掛ければ、日本は中国の弾道ミサイルの標的になるだろうと軍事専門家は指摘している」
最近の河野防衛相の「シックスアイズ」発言はスタンドプレーというより、安倍政権下の防衛政策に沿ったものだと筆者はみる。この流れは日本の首相やアメリカの大統領が誰になっても大きくは変わるまい。中国は今後、日本への中距離ミサイル配備計画を巡って日本国内左派の反米感情を煽ってくる可能性が強い。
<日本の政治的な激震のあと日米関係はどこに向かうのか>
8月30日、黒竜江省社会科学院北東アジア研究所長
「安倍首相の在任中、平和憲法改正の議論より日米関係がより強固なものになった。グローバル戦略と地域戦略の観点から見ると、アメリカのインド太平洋戦略は日米が共通の目標を達成するための強力な絆になった。世界と地域の問題に関与する日米の共同能力が拡大された」
「日米の防衛協力は目覚ましい進化を遂げた。アジア太平洋問題へのより高いレベルの介入と、陸海空にわたる軍事協力が含まれる。日本は自衛隊の展開力を海外に広げた」
「安倍首相の辞任は日米関係に影響を与えるだろう。第一に現在固まっている日米関係の不確実性が高まる。第二にアメリカの外交および経済構造が一時的に影響を受ける可能性がある。第三にその後の防衛協力交渉と地域展開に影響を与えるだろう」
「ワシントンは新しい日本の首相を受け入れるためにより多くの努力を求められる。安倍首相は朝鮮半島や南シナ海問題に日本が関与する機会を作り出すことで利益を得たが、防衛力展開における戦略的柔軟性と自己決定権の追求はアメリカに警戒心を抱かせている」
「安倍首相の後継者は、アメリカが日本に中距離ミサイルを配備することを望んでいる厄介な問題を管理する方法を考え出す必要がある。おそらくワシントンとの将来の防衛協力は、日本にとって災難の揺りかごになるだろう」
「しかし、そのような不確実性があっても、第二次大戦後、日本は対米関係を重視してきたので、日米関係は大きく変わることはない。二国間関係の方向性と世界情勢における両国の戦略的利益は、安倍首相の辞任によって質的に変更されることはない」
安倍首相はバラク・オバマ前大統領、トランプ大統領と2代続いて米大統領と良好な関係を築いたことはイギリスでも高く評価されている。次の日本の首相が同じレベルの対米関係を築くのは至難の業だ。外交・安全保障政策では対米関係の維持強化が最大の課題となる。
<日本の首相に対する中国の見方は東アジアの変化を反映している>
8月31日、中国人民大学重阳金融研究院の王文院長
「この14年、安倍首相のイメージは劇的に変化した。初めて首相になった時、中国は小泉純一郎首相が引き起こした緊張を和らげるため安倍首相を頼った。しかし靖国参拝と歴史教科書問題は大きな不満をもたらした。多くの中国人民にとって安倍首相は流れ星のように権力の座から滑り落ちた政治的ピエロだ」
「安倍首相が再登板して経済政策アベノミクスを唱えた時、中国メディアには軽蔑と批判があった。しかしデータは日本経済が持ち直したことを示しており、安倍首相は日本歴代最長の首相となった。現在中国では安倍首相はある程度、尊敬に値する日本の政治家とみなされている」
「日本の首相に対する中国人の認識の変化は、東アジアの権力構造の劇的な変化を反映している。今や中国は国力の増大により自信と穏健さを増した。06年に安倍首相が就任した時、日本経済は世界全体の10分の1を占め、中国経済は日本の61%に過ぎなかった」
「現在、中国経済は世界全体の約16%を占め、日本経済の約3倍。私たちの世代の中国人はパナソニック、東芝、日立など日本ブランドを見て育った。しかし現在、日本ブランドは世界の家電市場から撤退している。“日本はハイテク”というのは過去のイメージだ」
「安倍首相の歴史的な貢献は、中国の台頭と米国の衰退の激動の下での円滑な戦略的移行にあると私は考える。日本がもし将来、再びアジアに目を向けるなら、安倍首相は真の出発点となるはずだ。偉大な政治的英雄は時代だけでなく国民の合意に支えられる必要がある」
「その観点からは、歴史における安倍首相の地位は、佐藤栄作、田中角栄、中曽根康弘など前任者の政治的地位に勝るとは考えにくい。言い換えれば、安倍首相は自らの志を挫折させた悲劇的な人物だ。中国は安倍首相の後継者が日中関係を変えるかどうかについては心配していない」
「中国が発展し続ける限り、安倍首相の後継者が誰になっても日中関係は徐々に友好的になり、安定しているはずだ。日本は常に強い方に傾いてきた。アメリカがアジアから完全に撤退する一方で、中国、日本、韓国を核として東アジアが統合するという歴史的な潮流となる」
今の流れが続く限り、21世紀は間違いなく「中国の世紀」になる。アメリカの民主党大統領候補ジョー・バイデン前副大統領が西側諸国の力を結集して中国の横暴を食い止めることができなければ、世界は自由と民主主義、人権が蹂躙される「暗黒の世紀」を迎えることになる。