プロ野球ドラフト会議の楽しみ方 選手の表情や言葉に隠れた本音に注目 - 岸慶太
※この記事は2019年10月17日にBLOGOSで公開されたものです
「プロ野球ドラフト会議」が始まりました。選手の将来と球団の今後の成績を左右する1年に一度の大切なイベントですが、プロ野球に興味がない人にとっては面白くもなんともないかもしれません。
ところが、選手にとってはくじ引きで人生を左右される一大事。どの球団が人気選手の交渉権を得たかという結果以上に、意中の球団に引き当てられて喜んだり、もしくは会議で指名すら受けなかったりと、その表情や人生模様に思わず感情が揺さぶられるかもしれません。
ドラフト会議の楽しみ方を考えてみました。
「よっしゃ!」のガッツポーズが見られるのは1位指名だけ
ドラフト会議と言えば、監督や社長など球団の代表者が箱に手を入れてくじを引き、当たりを引いた人が「よっしゃ!」と控え気味に叫んでガッツポーズ。そんな光景がおなじみかもしれません。
ところが、このくじ引きは「1位指名」の選手だけで行われていて、会議の冒頭でしか見ることができません。
ドラフト会議の仕組みはこうです。毎年、ドラフト会議では、甲子園を沸かした高卒ルーキーや、大卒の即戦力投手などに指名が集中する傾向があります。そこで公平性を保つために、一人の選手について各球団がくじ引きを行い、当たりを引けば選手との交渉権を得ることができます。
ここで、はずれを引いた球団は1位指名されなかった選手を指名していくことになります。いわゆる「外れ1位」で、ここでもくじ引きを行います。それでも、外れれば、また別の選手を選ぶ。12球団がそれぞれ1位指名を終えるまでそれが繰り返されていきます。
1位指名に漏れても… 大人気の原監督に真っ向勝負のカープ川口投手
ここでも、一つのドラマがあります。巨人の原辰徳・監督。プロ野球に詳しくない人でも名前と顔が一致する数少ない選手かもしれません。古い話ですが、1980年のドラフト会議の話です。
原監督は端正な顔立ちで人気を集め、高校野球の地方大会にも多くのファンが集まる現象は「原フィーバー」と呼ばれました。東海大学でも安定した実績を残し、ドラフト会議の目玉でした。
予想通り、読売ジャイアンツ、大洋ホエールズ、日本ハムファイターズ、それに広島東洋カープの4球団が競合して指名。入団した巨人でスター街道を進み、今年からは2回目の監督を務め、名実ともに巨人を代表する選手になりました。
同じセリーグで、くじを当たり損ねた広島に「外れ1位」で指名されたのが社会人に進んだ川口和久投手です。指名を受けることを周囲に漏らしていなかったため、思わぬ指名に所属していた企業も準備がままならず、作業着姿にジャンパー、トンボ眼鏡という姿で職場にいる川口投手がテレビに映し出され、当時のカープファンからも失笑が漏れたそうです。最近ではなかなか見れない光景ですが、選手の予期せぬ姿が見られたのもドラフトの醍醐味です。
川口投手はカープに入団後は安定して実力を発揮。1995年にFA移籍したジャイアンツ時代を含め、通算139勝を挙げ、うち39勝がジャイアンツ戦。1位指名はなりませんでしたが、原選手が所属するジャイアンツキラーとして活躍し続けました。
カープ新井は6位指名でも最優秀選手 ドラフトがすべてではない
話をドラフトに戻します。
1位指名の選手をくじで指名した後は、各球団が相次いで選手を指名していきます。これが「ウェーバー制」です。
選ぶ順番は2019年のペナントレースの結果で決まり、今年はセ・リーグ6位のヤクルト、パ・リーグ6位のオリックス、セ・リーグ5位の中日と続き、最後に、セ・リーグ首位の巨人、パ・リーグ首位の西武の順です。
3位指名以降は指名する球団の順位が、西武、巨人から始まり、最後がヤクルトと、2位指名の時とは逆になります。
3位指名ぐらいになると、野球好きでも知らない選手も出てきます。結局は上位指名の選手しか活躍しないかというと、そんなことはありません。
FA移籍した阪神タイガースから広島東洋カープに“出戻り”という形で復帰し、3連覇に貢献。全国の野球ファンに惜しまれながら、2018年度に引退した新井貴浩選手は最優秀選手に1回、本塁打王と打点王にも輝いています。そんな新井選手はまさかの6位指名です。
ドラフト会議までの逸話は興味深いものがあります。県立広島工業高時代には甲子園に出場できなかったものの、進学した駒澤大学では一定の輝きを見せました。それでも、プロ注目とはならず、どうしてもカープに入りたかった新井選手が頼ったのは大学の先輩だったカープの野村謙二郎選手(元監督)でした。
野村選手の自宅を訪れ、スイングを見せてやる気を示しました。このことで晴れて入団となりましたが、当初は守備がいまいちという下馬評。そのため、期待は高くありませんでしたが、持ち前の努力で頭角を現しました。
ドラフトの上位指名がすべてではないということを示す典型例かもしれません。その意味では、2005年に始まった育成選手枠はアマチュアで日の当たらなかった選手にチャンスを与えた制度と言えます。
明日も分からぬ新人時代 育成枠から這い上がる選手も
育成選手は3桁の背番号を付け、1軍の試合には出場できません。上位選手の様に1億円と言った高額な契約金はおろか、もらえるのは、推定100万円程度の「支度金」です。プロでも現状以上に結果を出さねば後がなく、いわばいばらの道です。
それでも、活躍する選手が出てくるところがプロ野球の面白さです。
2011年のドラフト会議は早稲田実業高校で「ハンカチ王子」として親しまれ早大に進んだ斎藤佑樹投手が日本ハムで1位指名された年でした。その年に育成の4位指名でソフトバンクに入団したのが千賀滉大投手です。当初は、注目もされませんでしたが、「お化けフォーク」を武器にソフトバンクで活躍する姿は、まさにサクセスストーリーです。
他にも、広島東洋カープが2018年日本シリーズで苦しめられた「甲斐キャノン」。パ・リーグを代表する甲斐拓也捕手(ソフトバンク)も、千賀投手と同期入団ですが、指名は育成6位。そんな育成枠のバッテリーが苦労してレギュラーをつかみ、強豪チームを率いるようになるまでの過程がソフトバンクファンを惹きつけるのかもしれません。
指名を2度拒否し“巨人愛”貫いた長野選手
ドラフトには数々の批判もあります。その最たるものは、指名された球団以外への入団が事実上閉ざされることでしょう。
広島東洋カープの長野久義選手は現在34歳。プロ野球デビューは25歳とやや遅めです。その背景にはドラフト制度の弊害があります。
日本大学の卒業を控えた2006年ドラフトで日本ハムから4位指名を拒否して、本田技研工業に就職。さらに、08年ドラフトで2位で千葉ロッテから指名を受けたが、これも拒否。背景には強い“巨人愛”がありました。ドラフト制度のしがらみの中、「1回の野球人生は好きな球団で」との思いでした。
09年ドラフトで晴れて巨人から1位指名を受け、入団。1年目から新人王に輝く活躍ぶりで、巨人を代表する選手に育ちました。19年シーズンからは巨人にFA移籍した丸佳浩選手の人的補償として、まさかの広島東洋カープに移籍。あれだけこだわった巨人を離れざるを得なくなりましたが、不平不満も漏らさず球団の文化も戦い方も異なるカープで懸命に試合に臨む姿はカープファンの誇りになっています。
指名の瞬間の表情は? 選手の本心があらわに
意中の球団に指名されなかったり、縁もゆかりもない土地の球団に入ることになったり。ドラフト会議は紛れもなく、選手の今後を左右します。目当ての選手の獲得に向けて動くスカウトの姿も忘れてはいけません。
カープのエースと言えば大瀬良大地投手です。2013年ドラフトでカープ、阪神、ヤクルトが指名し、晴れてカープに入団しました。阪神の和田豊監督(当時)、ヤクルトの小川淳司監督(監督)と並んで、カープでくじを引いたのは野村謙二郎監督ではなく、まさかの田村恵スカウトでした。
今から25年前の夏の甲子園。準優勝を果たした鹿児島の樟南高校の捕手を務めました。小柄ながらトレードマークの黒縁眼鏡で安定したリードを見せ、かわいらしい表情の福岡真一郎投手と甲子園を沸かせました。
言わずもがな“市民球団”と言われるカープは年俸も高くはなく、野球環境が特別に優れているわけではありません。最近は人気も上がり、状況は変わりつつありますが、はっきり言って“貧乏球団”。ファンの一人としては指名された選手が笑顔を浮かべ、低額年俸にそっぽを向くことなく順調に入団してくれるかだけでも不安なわけです。
カープファン喜ばせたスカウトの5年間の努力
ところが、大瀬良選手。心配をよそに、ドラフト会議の映像を見て満面の笑みを浮かべてくれました。その背景には5年間にわたって大瀬良選手のもとを訪ね続けた田村スカウトの苦労と、それによって生まれた信頼関係がありました。カープの交渉権獲得が決まった後のインタビューで、「頭が真っ白で、何も答えられません」と硬直した様子の田村スカウトに涙がこぼれそうになりました。
選手の野球人生を決めるスカウト。意中の球団に指名されたりされなかったりと運命は分かれます。指名された瞬間の表情や、言葉に注目してみるのも面白いかもしれません。また、会議にかからなかった選手もいます。野球にかける彼らの姿も熱く訴えるものがあります。
すっかりオヤジのスポーツとなった野球ですが、今の横浜、5年ほど前からのカープは若い人のファンも格段に増えています。ドラフトで気になった選手や、苦労を重ねてプロテストに合格した選手。球場に足を運んでそんな彼らの成長を見るのもおすすめです。ひいきの選手が活躍し、歓声を浴びる姿を見る瞬間は何とも言えません。