「ぼくは、学校のじゃまものなんだ」いじめを手紙で訴えた男子中学生。SOSを無視され、3度の自殺未遂。車椅子生活に 埼玉県川口市 - 渋井哲也
※この記事は2018年10月26日にBLOGOSで公開されたものです
埼玉県川口市立中学校の男子生徒・政則(15、仮名)が、入学当初から悪口や仲間はずれなどのいじめが続き、自殺を3回図った。政則は、何度もいじめを訴える手紙を学校側に送った。しかし、学校側は適切な対応を取らず、いじめは止まなかった。3度目の自殺未遂で重体となり、現在は車椅子生活だ。
男子生徒の母親・玲香(43、仮名)は、筆者の取材に応じた。提出した手紙の内容には、SOS、つまり自殺のサインと思われる内容が書かれていた。
学校に行くべきか、どう接するべきか。頭の中で作戦会議
母親の玲香によると、政則は2016年4月に中学校に入学、同時にサッカー部に入った。サッカー部の同級生や上級生から悪口を言われたり、仲間はずれにされた。政則は学校に行くことを渋るようになる。
「朝、政則は学校に行ってないことがありました。探すと、公園にいました。学校に行くべきか。いじめている相手とどう接するかを考えて、頭の中で作戦会議をしていたようなんです。私が見つけると、政則はそのまま学校へ行きました」(玲香)
この頃、玲香は、政則がいじめを受けているのではないかと感じ始めていた。
「カバンにスパイクの跡があったんです。間違って踏まれたものではないように見えました。話を聞くと、いじめのことを話しました。私は『無理して学校に行かなくていい』と言いました」
相談した担任は、ストレートに指導。その後、見えないところでいじめが…
政則は中学でサッカーを始めた。上手でなくても当たり前だ。しかし、同級生や先輩から「下手くそ!」「ちゃんと取れよ!」と言われたり、いじめのターゲットにされていく。玲香は顧問の教師に、政則がされていることを伝えた。顧問は「知りませんでした、気をつけます。すみません」と答えた。しかし、その後もいじめは続いた。
政則は、担任に相談した。すると、クラスメイトの加害者に対してストレートな物言いで指導をしたというが、その後は、担任が見えないところでのいじめが始まった。校外学習では一人で弁当を食べることにもなった。玲香は担任に電話でいじめのことを伝えるが、「本当にわかっているのか、電話を早く終わらせようとしている感じだった」と振り返る。
「サッカー部の友達からいじめられている」手紙を担任に渡すが…
この頃、自由ノートで政則と担任がやりとりをしていた。いじめのことを知ってか、担任は「がんばれ、がんばれ」と書いていた。政則は「これ以上、どう頑張ればいいんですか?」と本人が書いていたという。夏休みの宿題としての作文「人権について」にはこう書いている。
<ぼくは、小5、6、今もいじめられて、かげで悪口やなかまはづれをされています。ぼくの存在って、存在なんてなくなればいいと思います>(原文ママ)
夏休みが明けの9月、政則は、何度か担任に手紙を書いた。
<ぼくは、サッカー部の友達からいじめられている。特にAくんが周りに言うと、BとCとDとEとFとGとHとI、2年の先ぱいたちに仲間はずれにされたり、むしされたり、かげ口を聞こえるようにする。...(中略)...1年1組のJ先生に話をするとすぐにあいてに言う。ってまた見えないところでいじめられる。だからJ先生に話したりするのが怖い>(9月1日、筆者注:アルファベット部分は実名が書かれているが、匿名にした)
書いた手紙は翌日に渡していた。手紙を渡した翌2日には、玲香と担任が電話で話をしている。そのとき、玲香によると、担任は「話しやすい先生に話せばいい。今後、いっさい。僕に相談しないように」と言っていたという。それに玲香は怒った。この光景を見て、政則はこう書いた。
<今日も先生からでんわがあった。母さんが言えないぼくのかわりに話を先生にしたのに先生は僕をみすてた。母さんが怒っている姿を見て、すぐにわかった。ぼくは学校に行ってはいけないんだ>(9月2日)
手紙を出し続けるも対策なし。そして自殺未遂
さらに手紙を出し続ける。
<ぼくの教室がないからクラスも先生いない。だからぼくは学校には行けない。...(略)...ぼくはこれからどうしたらいいのか分からない。ぼくは消えたい。ぼくの事を死ねばいいと、消えてほしいとと思ってる...(略)...ぼくは消えるから。母さん、じいちゃん、ばあちゃん。こんなぼくでごめん。もうぜったいゆるさない。...>(2016年9月11日)
<Aは、教室ではふつうに話しているのに、部活では、なんでひどい事ばかりするんだろう。ぼくはすごくすごく消えたい>(2016年9月12日)
この一週間後・9月19日、政則は、自室で首吊り自殺を試みる。意識不明になっているのを家族が発見する。学校にも連絡した。この時点で、いじめに関するSOSだと気が付いていないのか、学校は、特にいじめに対する対策も、自殺に関する対策もすることはなかった。
このとき、校長が自宅を訪ねてきた。本人の様子を聞くことなく、「こういうことがあると報道される。マスコミに話さないで」と、口止めしたという。玲香は「SOSに気がつかなかったのですか?」と校長に聞いた。
すると、校長は「あれ(手紙)がSOSですか?」と言ったという。校長は手紙を読んでいないのか、読んでいたが、いじめの調査をするつもりはなかったのか。散々出していた手紙は、校長には響かなかった。
政則は未遂後、不登校になった。すると、別の生徒がいじめのターゲットになったという。
「学校に死んでわかってもらう」2度目の自殺未遂も自室で
また、政則は10月になっても担任には手紙を送った。
<学校は、いじめがないって言ってるけど、いじめられていたぼくはなんだろう。きょうとう先生からもれんらくない。だれも先生は、こない、ぼくは、学校でじゃまで早くてん校してほしいだと思う>(2016年10月19日)
10月26日の夜、2回目の自殺を試みる。また、自室で首吊りをしようとた。この未遂前、学校に当てた手紙にはこう書いていた。
<やっぱり、ぼくは、学校のじゃまものなんだ。いじめられたぼくがわるい。学校の先生たちはなにもしてっくれない。口だけ。電話もない。ずっと、考えたけど、学校は、ぼくに消えてほしいと思ってる。...(略)...学校にいじめたれた事を死んでわかってもらう。口で言わないとじめにしてくれない。紙に書けるなら口で言えると言ったきょうとう先生。うまく口じゃつたえられないから手紙なんです>(2016年10月26日)
「こう書いたのは、教頭に『口で言わないとわからない』と言われたからだそうです」(玲香)
2度の未遂後、ようやくアンケート調査。結果は「いじめなし」
学校側は11月、ようやく、いじめの有無に関するアンケート調査を始めた。教頭から結果を伝える電話がかかってきた。そこで教頭は「いじめはない」と言った。玲香は、アンケートの原本を「見てない」というが、これを受けて、政則はまた手紙を書いた。
<ぼくのいじめは、なかった事になってるんですね。死んでぼくがいじめられた事を分(か)ってもらいます>(2016年11月25日)
ただ、学校が、動き出す瞬間があった。保健センターの保健師が学校に働きかけたからだ。一般論として、自殺対策の現場で保健師が関わることはあるが、中学生の自殺未遂でかかわるのは珍しい。
政則の弟が未就学児で、保健師が自宅に来ていたから、一回目の未遂のときから関われた。そんな中で、合唱祭が終わってから、学校から手紙が届いた。しかし、クラスがまとまってきていると書かれていたために、自尊心が傷つけられた。
<いままで、学校からの手紙がなかったのに。ほけんセンターの人たちがきたら、学校の先生たちは、何かをしてくれる。しんじられない。学校は、ぼくにいなくなってほしいから、合唱さいがおわってからいろいろな手紙がきた。1年1組のせいとじゃないから手紙もなかった。ぼくのいないのにクラスがまとまってできたって書いてあった。ぼくはそこにいないのに>(同日)
これまで学校が政則になにもしていなかったためか、政則は不信感が湧くだけだった。
3回目の自殺未遂。「2年生になっても解決しない」
正月明け、一度、学校へ通った。数日後、クラスで絵馬を飾ることになった。政則は「いじめがはやく解決しますように」と願い事を書いた。すると、担任は「それは飾れない」といい、政則の絵馬は飾られなかった。政則は「やっぱり、いじめを解決してくれないんだ」と思い、再び、学校へ行かなかくなった。このあたりは、適切な指導をしてない結果の不登校ではないだろうか。
3回目の未遂は2017年4月10日。2年生のクラスが決まったときだ。自宅近くのマンションから飛び降りた。近所に住む看護師がおり、心肺蘇生をしたことも影響してか、命をとりとめた。
「前の夜は元気でした。“友達が同じクラスになった”と言っていたんです。その友達に一緒に学校に行くかどうか返事をすることになっていたんです。電話でもいいと言ったんですが、直接、友達に伝えることになったんです。“お母さんも行こうか?”と聞いたんですが、“お母さんがいたら話せないこともある”というので、一人で行かせました。友達の家とは逆方向になるマンションに向かったようです。心配と怒りがうずまいていました。しばらくは喋れないんじゃないかと思っていました」
実は、遺書もあった。「2年生になってもいじめが解決しない」などと書かれていた。未遂から5ヶ月後、退院できた。
しかし、今でも車椅子生活だ。この3度目の未遂後、これまでの手紙を読でんだ新任の校長は「いじめがあった」と認めた。玲香は「ようやく理解してくれた」と思った。
調査委が設置されたのかの説明はなし
いじめ防止対策推進法では、いじめ(または、その疑い)を起因とする不登校や自殺、自殺未遂があれば、「重大事態」とみなすことになる。そして、重大事態となった場合は、学校や市教委は調査委員会を設置する。しかし、玲香は、それらのことは何も説明を受けてない。
「政則が1年のときは市教委から連絡ありません。(担当者と)しゃべってもいません。ただ、1年のときの担任は、何かと言うと、“第三者委員を入れますから”と言っていました。説明もなしに、呪文のように言っていたんで、学校側の味方の人をいれるのかなと思っていました。しかし、“第三者委員を入れました”という報告はありません。それに、前の校長とは1回目の未遂後に話しただけです」(玲香)
このいじめによる自殺未遂は、10月3日、読売新聞が埼玉版で報じた。また、各社の取材に12日、応じている。それらによると、2017年10月に調査委を設置、11月までに3回の委員会を開催後に中断された。ただ、今年8月から調査委を再開したなどと書かれている。報道が事実であれば、被害者本人や保護者の同意なしに、調査委を設置、中断、再開したことになる。
しかし、18日、筆者の取材に応じた玲香は「(重大事態や調査委などの)説明はいまだにないし、呼び出しもありません。聞き取りが可能か本人への確認もありません」と話している。政則は現在、登校したり、しなかったりを繰り返している。加害者の一部はすでに謝罪をした、という。
「嘘はついてほしくない」と母親
政則は現在、3年生となった。3階のクラスルームがあるが、学校側は車椅子生活を考慮して、一階での授業を可能にしている。車椅子ユーザーとしての対応はなされている。ただし、今年7月、政則は担任に「いじめはどうなっていますか?」と聞いた。すると、担任は「いじめは解決できない」と応えたという。政則の、学校への不信感は増している。
玲香もこう話す。
「3回目の未遂のあとは、あのときは、政則が正気に戻るかでいっぱいいっぱいでした。学校側はいろんなことを言ったとしても、覚えていません。アンケート調査をするかどうかの話は聞いていません。今はどうしたいのか考えられない。ただ、嘘はついてほしくないです。聞いてないことを聞いたと言って欲しくないです」
川口市では、中学生のとき、いじめの結果、自傷行為をしたり、不登校になったりしたことで、当時の生徒が市を相手に損害賠償裁判が行われている。訴訟当事者の当時の生徒が自傷行為をした時期と、政則が自殺未遂をした時期は、ほぼ同じ頃の出来事だ。