大人も子供も、疲れているときには一時的に選択肢を減らしてみる - 紫原 明子
※この記事は2018年10月13日にBLOGOSで公開されたものです
9月に入ってしばらく雨や嵐が続きました。毎年こんな調子でしたっけ。
天気の影響が少なからずあるんじゃないかと思っているんですが、今年は周りに心身の不調を訴える人が相次ぎました。
娘がコンビニで遭遇した出来事について書いた前回の記事(「娘がコンビニで遭遇した事件から考えた、困難を抱えた人と生きていくこと」)は、思いがけず多くの方に読んでいただきました。親の綴る娘の話ということで、主観や思い込みが混じっているはずだという、うがった捉え方をされても仕方がないと思って書きましたが、その実多くの方が、考えるべき問題として受け止めてくださり、ありがたく思いました。
…少し脱線しましたが、とにかく娘にとっては夏休み中にはそんな出来事もあったり、今年3月に小学校を卒業し、知っている友達が誰一人いない中学校に進学したということもあったりで、ちょっと疲れが出てしまったようです。2学期に入ってからしばらく、朝スッキリと体を起こすことが難しくなってしまったのです。日によっては食欲不振や吐き気、頭痛を訴えることもあり、遅刻や欠席も増えてしまいました。
幸い、学校の先生もとても親身になって心配してくださり、学校の生活に何かストレスがあるんじゃないか、あったとしたらそれを軽減できる方法はないかということを考えていただくことができました。
同時に家での生活も見直しました。真っ先にやったことは娘の部屋の掃除です。
娘は“部屋が片付いていると落ち着かない。これを維持しなきゃいけないと気持ちが焦るから。散らかっている方が落ち着く”という独自理論を持っており、ならばどうぞということで長らく好きなようにさせていたわけですが、体の不調とともに今回、片付けを「行政代執行」しました。
というのも、心が疲れているときには、毎日生活するのに必要不可欠な思考や判断をミニマムにしたほうが良いだろうと思ったからです。
特に重点的に整理したのは洋服です。娘の通う学校には制服がなく、“学生らしい装い”をして登校することになっています。“学生らしい”といっても、そんなに紋切り型なイメージを強いられるわけでもないようなので、元気な間はパフスリーブとか、くるぶし丈のスカートとか、それなりに通学ファッションを考えて楽しんでいました。
けれどもそんなふうに自由に楽しむというのは、自分の気持ちや欲求を自覚し、何を使ってどうするをゼロベースで考え、実行することです。それなりに体力や精神力を要するので、心身に余力がないとだめなのだろうと思いました。
そこで一時的に“学校に着ていく服”の数を絞って、組み合わせをパターン化。それをクローゼットの中の、最も見えやすく、手に取りやすいところに置きました。ついでに、ベッドの位置との兼ね合いで微妙に開閉しにくかったので、クローゼットのドアも外しました。
また、学校まで車で送ることも増えました。普段は地下鉄を乗り継いで通っており、車よりもこの方が遥かに早く着くのですが、都心らしい課題として乗り換えに工夫がいるんです。遅刻せず家を出られれば良いんですが、時間がいつもと少しでも変わると、乗り換えの駅や路線など、最適なルートが都度変わってしまいます。
思えば私も子供の頃、中学・高校と6年間電車通学しましたが、気をつけるのは“快速には乗らない”というただ一点のみでした(学校の最寄り駅が普通列車しか止まらなかったので)。ホームも、1番線、2番線と2箇所しかなかったんです。そのかわり、電車も40分に1本しか来ず、不便さもありました。
一方都内では、山手線なんて朝のラッシュ時には3分おきに来たりして、とても便利な反面、多数の路線が複雑に入り組んでいます。東横線は途中から副都心線になるし、半蔵門線は途中から東武伊勢崎線になるし、同じ車両に乗っていても途中から別の路線になったりします。さらに、それぞれに普通と特急と準特急と、快速とか通勤快速とか…なんだかよくわかんないけど種類も無数にあります。
乗り換えられるといっても、1つの駅でホーム間がものすっっっごく離れていたりもします。これに乗った方が早いとか、どこで乗り換えたほうが楽とか。思わぬトラップにひっかからないよう、小さな判断を何度も重ねる必要があるのです。
元気なときなら使い倒せる便利な道具も、疲れているときには手に余るものとなってしまいます。その点私が車で送れば、多少時間がかかっても、座って無になっていれば目的地に着くのです。あいにく去年思い立って車を手放してしまったんですが、近所に何箇所かカーシェアステーションがあって本当によかったです。カーシェア、安くて本当に便利です。
とにかくそんなこんなで、思いつく限りの色々なことをやった結果、先週あたりからまた、娘の朝の目覚めも少しずつ良くなってきました。完全回復したと言えるためにはもう少し様子を見なければなりませんが、食欲も出てきたし、元気になってきました。
日常での些細な決断を減らし、自分を休ませる
選択肢が多いことは豊かさの表れで、特に都心で暮らす私たちは、個々の細かな都合や欲求応じて、便利で、自由度の高い暮らしを享受しています。
だけどこの豊かな暮らしというのは、色んな服を着るとか、何を食べるとか、毎日無自覚に下している無数の決断と、その決断を下すために行う膨大な量の情報処理に支えられているものでもあります。
そして大きなトラブルがあるように見えなくても、実はこの裏側の処理でぐったりと疲弊して、あるとき遂に自分を稼働させることが難しくなってしまうことは、大人・子供問わず、誰にでも当然のように起きることだろうと思います。
スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていた話などから、「決断コスト」という言葉は広く知られるようになりました。どんなに些細な決断にも、感情的コストが払われているのです。だからこそ少し疲れたときには、一時的に日常の決断の数を少なくする。生活の中で、思考停止してもやり過ごせることの割合を高くする。そうやって決断コストを下げ、感情への負荷を下げて、自分を休ませるということが必要なのだろうと思います。
田舎で暮らすという選択を考えないこともないんですが、田舎育ちの私はそれでも尚、東京で暮らすメリットを無視できず。また、私の仕事や長男の学校のこともあるので、引っ越しにはなかなか踏み切れないところもあります。未来が極めて予測しにくい中で、大人にとっても子供にとっても、また、今と、これからのためにも良い生活はどんなものなのか。なかなか難しい問題です。
ところで余談ですが、娘の不調と向き合う中で「起立性調節障害」という疾患を知りました。朝起きられない、立ちくらみ、めまいなど、さまざまな症状を伴う、思春期の子供に見られる症状ということです。
※以下引用
1.概要
・たちくらみ、失神、朝起き不良、倦怠感、動悸、頭痛などの症状を伴い、思春期に好発する自律神経機能不全の一つです。
・過去には思春期の一時的な生理的変化であり身体的、社会的に予後は良いとされていましたが、近年の研究によって重症ODでは自律神経による循環調節(とくに上半身、脳への血流低下)が障害され日常生活が著しく損なわれ、長期に及ぶ不登校状態やひきこもりを起こし、学校生活やその後の社会復帰に大きな支障となることが明らかになりました。
・発症の早期から重症度に応じた適切な治療と家庭生活や学校生活における環境調整を行い、適正な対応を行うことが不可欠です。
日本小児心身医学会 より引用
http://www.jisinsin.jp/detail/01-tanaka.htm
朝起きられない、学校に行けないというと、つい学校生活や心の問題などを気にしてしまうけれど、体の問題である可能性もあるんですね。こちらの疾患は、小児科で検査してもらえるとのことです。