ヘルタ・ベルリン戦でゴールを決めたMF原口元気【写真:Getty Images】

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【ドイツ発コラム】ドイツ最高峰のリーグで、ダービーで存在価値を示す原口は希少

 シェラルド・ベッカーの右クロスに反応してダイビングヘッドを突き刺した原口元気は、祝福に集まるチームメイトへ「こっちだ!」と指差しして、ベルリン・オリンピアシュタディオンの小さな一角に陣取るアウェーサポーターたちの下へ走り寄った。

 思えば原口は、これまで在籍してきたクラブのいずれも同じ行動を起こしている。この選手にとってファン、サポーターの存在は自らの足を前へ進める導火線であり、その熱いモチベーションをたぎらせる原動力でもある。

 2022年4月9日のブンデスリーガ第29節、原口元気は自身2度目の“ベルリンダービー”のピッチに立っていた。前回は昨年11月、ウニオンのホームスタジアム「シュタディオン・アン・デア・アルテン・フェスステライ」での一戦で、ウニオンが2-0で快勝した。

 この試合で先発して後半37分までプレーした原口は、「ブンデスリーガでのベルリンダービーで、ヘルタとウニオンの両クラブでプレー経験のある初めての選手」という称号を得た。しかし、これにはからくりがある。

 ヘルタがその大半をブンデスリーガ(1部)で過ごしてきた一方で、ウニオンは2018-19シーズンの1部・2部入れ替え戦で悲願のブンデスリーガ初昇格を果たしたクラブである。したがって、ブンデスリーガでのベルリンダービーの歴史はまだ3シーズンしか紡がれておらず、原口が得た“勲章“はその期間限定の事象なのである。

 それでも、ドイツ最高峰のリーグで、しかもダービーで、その存在価値を示せる日本人選手は希少だ。そして原口もまた、その栄誉と価値を身に沁みて認識している。

 今回の第29節を戦う前の両クラブのブンデスリーガ対戦成績は2勝1分2敗の五分。収容人数7万6243人のオリンピアシュタディオンへ詰めかけたダービーマッチの観衆は実に7万4667人に及んだ。まさにフルハウスの空間で、値千金の先制ダイビングヘッドを決めた原口の勇姿にアウェーのウニオンサポーターが熱狂し、ホームのヘルタサポーターが苦虫を噛み潰す姿は鮮やかなコントラストを描いていた。

浦和時代からダービーで強さを発揮

 原口はJリーグの浦和レッズに在籍していた時代から、ダービーマッチで強みを発揮してきた。

 浦和のアカデミー組織で育った彼は同じく埼玉県をホームタウンとする大宮アルディージャとのライバル関係を熟知していて、激しい対抗意識を燃やすサポーターの思いを自らのプレーで体現してきた。

 なかでも、原口と浦和サポーターとの強固な結びつきを示した「さいたまダービー」は、2011年6月11日のJリーグ第14節、NACK5スタジアム大宮での一戦ではないだろうか。

 このゲームの直前にクラブとの3年の契約延長を締結した原口は、1-2のビハインド状況で後半33分に相手DFを引きずるようなドリブルから最後は倒れ込むようにして左足シュートを放って起死回生の同点ゴールを決めた。

 当時20歳だった原口が浦和との契約を延長した理由は、「ゼロ円移籍で浦和を出ない」という揺るぎない意思からだった。その気概に触れた浦和サポーターは、試合で掲げた横断幕にこう記した。

「若いレッズはお前の背中を見て育つ。ありがとう、原口元気」

 このゲームから約3年後の2014年5月、原口は公約どおりに浦和に移籍金を残し、ドイツ1部ブンデスリーガのヘルタと4年契約を交わした。

 ヘルタ時代の原口はクラブのサポーターズソングであるロッド・スチュワートの『セイリング(Sailing)』を好んでいた。ちなみに『セイリング』は浦和のオフィシャルサポーターズソングである『We are Diamonds』の原曲でもある。ヘルタサポーターが奏でる歌の調べに心を奮い立たせ、原口はクラブエンブレムを胸に抱くことの意義と責任を常に感じていた。

 ブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフへのレンタル移籍を経て新たに契約を交わしたハノーファー96では原口自身、大人しい印象のあるハノーファーサポーターに若干の物足りなさを感じていた。当時の彼は下位に低迷して2部降格を余儀なくされるチームの中で、適正ポジションを見出せずに喘いでいた自身の境遇もシンクロして情熱の維持に苦しんでいたようにも思う。

 しかし、2部での戦いに移り変わってからの原口はトップ下、もしくはインサイドハーフという新たなるポジションでの能力を見出され、ここからプロサッカー選手人生の第2のステージへと到達する。この頃の原口は得点後に両手を挙げてサポーターを鼓舞するような仕草をたびたび見せていて、ハノーファーサポーターもその熱意に呼応してボルテージを高めていた。

闘う姿勢でサポーターの心を掴む

 そして今季、原口はドイツの首都ベルリン、旧東ドイツのケーペニック地区を本拠地とするウニオンへの移籍を果たす。2部のハノーファーから1部のウニオンへの移籍はいわゆる“個人昇格”であり、ウニオンのウルス・フィッシャー監督もすぐさま原口を重要な中軸に据えた。

 フィッシャー監督は原口を純然たるインサイドハーフとして評価し、特に攻守両面での肉弾戦を厭わないファイターとしての素養を見初めていた。約8年前のヘルタでのデビュー戦で、相手DFに叩き潰されて右肩関節を負傷した原口はもういない。ブンデスリーガの中では華奢で小柄な彼が局面勝負に挑んで相手を数メートル吹っ飛ばす姿に、この選手がたどってきた長く険しい、それでも意義深い道のりが見える。

 ウニオンのサポーターが原口のプレーに心を奪われるのに時間はかからなかった。労を厭わず、献身的で犠牲的でありながら、激しい闘争心を兼ね備えている。すべてのウニオンの選手を「フッスバル・ゴッド(サッカーの神様)」と称するウニオンサポーターは、オリンピアシュタディオンのスタンドに「我々のベルリン」と書いた横断幕を掲げ、毎試合“神様“たちに勝利を託す。その意思を十全に汲み取った原口は、ダービーマッチ直前のオリンピアシュタディオンで敵チームのサポーターズソング「セイリング」を聞き、その歌声に別の意味で奮起して自らのタスクに邁進する覚悟を決めていた。

 原口にはダービーマッチが似合う。それは、この選手がクラブの歴史とサポーターの思いを自身に投影させ、そのエモーションをピッチで具現化できるからだ。その振る舞いを見た者は、改めてこの選手の魅力に気づく。原口の先制ダイビングヘッドでフルスロットルに達したウニオンはヘルタの追撃を1点に抑え、アウェーで4-1の大勝を果たした。サマータイムに移って20時を過ぎてようやく夕闇が迫るなか、ウニオンの背番号24が威風堂々と勝利の余韻に浸っている。

 この充実感は何物にも代えがたい。確かな手応えを抱きつつ、原口元気のプロサッカー人生は、これからも、熱く真摯に時を刻み続ける。(島崎英純/Hidezumi Shimazaki)