羽生結弦の出現で活況の日本フィギュア界、その裏にあるリンク減少問題の現実とは【写真:Getty Images】

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「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#91 “フィギュア界のこれから”へ3つの提言

「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載。注目競技の一つ、フィギュアスケートは「フィギュアを好きな人はもっと好きに、フィギュアを知らない人は初めて好きになる17日間」をコンセプトに総力特集し、競技の“今”を伝え、競技の“これから”につなげる。五輪2大会に出場し、「THE ANSWER スペシャリスト」を務める鈴木明子さんは大会佳境を迎えた今だから伝えたい、未来への3つの提言を行う。

 第1回は「スケートリンク減少問題」。全国にあるリンクは全盛期だった1980年代から3分の1以下に減っているとも言われ、昨年は東京で4か所しかなかった通年スケートリンクのひとつ、高田馬場の「シチズンプラザ」(1972年開業)が閉鎖。拠点としていたクラブ生、近隣の大学生スケーターらに打撃を与えた。光熱費など維持費がかかるといわれるスケートリンクの運営。日本フィギュア界の強化、普及・発展を目指す上でも避けられない課題について、今もプロスケーターとして活動する鈴木さんが思うこととは――。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 スケートリンク減少問題は今に限らず、私がスケートに携わってきた中で、ずっと実感している問題でした。日本のフィギュア界にとって転換点になったのは2006年トリノ五輪。荒川静香さんが優勝したことで一気に注目され、人気競技に。それでも、この問題は一向に解決しませんでした。

 私は今、現役時代に所属し、練習拠点としてお世話になっていた名古屋のスポーツ施設「邦和スポーツランド」でアドバイザーを務めていますが、関係者の皆さんが「バンクーバー五輪、ソチ五輪の時期は一般のお客様もスケート教室を希望する子供たちも物凄く多かった」という時期ですら、年間通して氷を冷やし続けるスケートリンクは維持費などの負担が大きく、運営し続けるには様々な工夫が必要で、非常に難しいのが現状です。

 羽生結弦選手が五輪連覇を達成した2018年の平昌五輪でちょっと盛り返しましたが、以前のバンクーバー、ソチの2大会と比べるとかなり厳しい。コロナ禍の影響もあり、子供会などの地元コミュニティの団体のお客さんの予約がかなり減少してしまった。これが、私が知っている現実です。

 私の競技人生で見ても、ホームリンクとしていた施設は4つ閉鎖。最初は6歳でスケートを始めて1年あまりのこと。原因は主に老朽化。建て替えれば使用できても、どうしても維持したいほどではない。リンクの新設に立ち止まり、一歩を踏み出すことができない。すごく問題に感じます。

 スケートリンクの減少がもたらす影響は、フィギュア界にとっても大きいものがあります。選手、コーチの練習する場所がなくなれば、海外に比べ、ただでさえ自由に練習できる環境が少ない中で、技術力の向上がより困難に。こうして五輪のように大きな大会があり、子供たちが「フィギュアスケートをやってみたい!」と思っても近くにリンクがなければ、ずっと“テレビで見るだけのもの”になってしまいます。

 時が過ぎて熱が冷めれば、結局、人の心は遠のいてしまうもの。それが悪循環となり、リンクの新設につながらず、選手の練習環境も整わない。実際、今も昔も遠くのリンクまで通う選手も少なくなく、中学や高校の受験というタイミングが来ると「じゃあ、スケートをやめようか」となる。

「好きだけど、続けられない。環境的に難しいから」。そんな理由でスケートを離れる選手をたくさん見て来ました。

「保育や教育に、スケート体験を」

 問題解決のためにフィギュア界もできることを少しずつ取り組み、多くのスケーターが体験教室などのイベントを行っています。

 私も何か大々的なことを打ち出すより、まずは身近な場所でこうしたイベントが定期開催されることが、スケートの普及・発展のきっかけの一つになると思います。加えて、まずはスケートに触れるという意味でアイデアとして持っているのは「保育や教育に、スケート体験を」です。

 東北地方などでは珍しくありませんが、体育の授業にスケートを取り入れる。もちろん、地域のリンクの有無もよりますが、遠足という形を取ってみてもいい。特に夏は気温が高くなり、熱中症のリスクもある時代。実際に滑る子供たちも見守る先生・保護者も快適に過ごすことができます。

 氷の上で行うスケートは「非日常」の象徴。“できないことが、ひとつずつできるようになる”という喜びは、他の競技と比べても大きいもの。まずは氷の上で立てた、片足で立てた……そうやって小さな成功体験を積み重ね、得られる達成感には大きな価値があります。それがスケート以外でも“やったことのないことにチャレンジしてみよう”という一歩につながれば、子供の教育にも意味があることです。

 もちろん、全く怪我のリスクがないわけではありません。しかし、最初は肘当て、膝当て、ヘルメットから始め、無理な滑り方さえしなければ、誰でも楽しめるスポーツ。スーッと氷に乗って、風を感じられる覚は何にも変えられません。

 海外に目を向けると、スケートが文化として根付く国もあります。その一つがオランダ。フィギュアスケートよりスピードスケートが盛んですが、リンクにはおじいちゃん、おばあちゃんも当たり前のように滑り、人であふれている。こんな風にスケートが日常に溶け込むといいなと思いました。

 また、現役時代に毎年遠征していた米国のデトロイトのリンクは毎年本格的なアイスショーを開催。出演するのはクラブの小さな子どもから五輪に出る選手たち。私も一度出演させてもらったのですが、照明や大道具まで使った本格的なショーに驚きました。地域の方にリンクに足を運んでもらえる素敵な機会になっていると感じました。

生涯スポーツとしてフィギュアスケートがブームに

 日本のリンクでは一般利用の客足が落ちる中、「大人のスケート教室」に流行りの兆しがあり、人数が増えています。テレビで見ていたフィギュアスケートのファンの方たちが「自分も滑ってみたい、滑るなら週に1回でも」と。本当に、皆さん一生懸命にやられています。

 大人からすれば趣味のひとつかもしれませんが、子供たちと根っこは同じ。大人になって“できないことが、できるようになる”という喜びはもちろん、体の軸をしっかりさせるためにもうちょっと陸でトレーニングしてみようかなと思うようになれば、健康の観点からも良いこと。スケートは子供が小さいうちに習うものという感覚から、生涯スポーツとしての習い事のスケートがもっとブームになってほしい。

 大人たちがスケートを楽しむにしても、実際に試合に出るとなると、現実的ではありません。でも、前述のデトロイトでは地域の方を集めた発表会の場があり、趣味からさらにモチベーションも上がっていく。こうした試みも、日本が参考になるひとつかもしれません。

 今大会も94年ぶりとなる五輪3連覇を目指した羽生結弦選手などが注目され、大いに盛り上がりました。しかし、このブームを一過性のもので終わらせないためには今、未来について考えることであり、そのひとつに「スケートリンク減少問題」は存在しています。

 まずは、こうした問題があることを多くの方に知ってもらうこと。それが、フィギュア界にとって大切な第一歩だと思います。

鈴木 明子
THE ANSWERスペシャリスト プロフィギュアスケーター
1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)