フィギュア女子フリーで銅メダルを獲得した坂本花織、鈴木明子さんが語るメダルの価値とは【写真:Getty Images】

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「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#90 五輪2大会出場・鈴木明子の女子フリー解説

「THE ANSWER」は北京五輪期間中、選手や関係者の知られざるストーリー、競技の専門家解説や意外と知らない知識を紹介し、五輪を新たな“見方”で楽しむ「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」を連日掲載。注目競技の一つ、フィギュアスケートは「フィギュアを好きな人はもっと好きに、フィギュアを知らない人は初めて好きになる17日間」をコンセプトに総力特集し、競技の“今”を伝え、競技の“これから”につなげる。

 17日に行われた女子フリーでショートプログラム(SP)3位だった坂本花織が銅メダルを獲得。日本女子では10年バンクーバー五輪・浅田真央以来4人目の快挙となった。初出場の樋口新葉は5位入賞、17歳河辺愛菜は23位。4回転ジャンプを複数組み込み、異次元の構成を演じたROC勢のアンナ・シェルバコワ、アレクサンドラ・トルソワが金銀を独占。金メダル候補だったSP1位の15歳カミラ・ワリエワは4位というまさかの結末に。

 バンクーバー、ソチと五輪2大会に出場し、現地で取材するプロフィギュアスケーター・鈴木明子さんはこのフリーをどう見たのか。坂本の快挙の理由とともに、4回転時代に4回転ジャンプを跳ばない選手がメダルを獲得した価値を聞いた。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 衝撃を覚える展開となりましたが、特に最終グループの戦いは素晴らしい戦い。最終滑走のワリエワ選手までは、選手それぞれがベストと言える演技が続き、オリンピックらしいハイレベルなフリーだったと思います。

 坂本選手の銅メダルは本当に素晴らしかった。何よりも、その落ち着き。彼女には、いくつかプレッシャーを感じる要素がありました。

 まず、五輪という舞台。しかもSP3位につけ、メダルが見える状況。にもかかわらず、自分のベストを出し尽くすことができる点に、彼女の本当の強さを感じました。会場で見ていて、あっという間。4分という時間を感じないほど流れが良く、惹き込まれるスケートでした。

 これだけの落ち着きは、積み重ねてきた練習の賜物。それ以外の何物でもありません。

 また、ROCの選手たちとの戦いを考える時、4回転ジャンプや3回転アクセルを組み込んでくるフリーは、ジャンプの基礎点ではそもそも勝てない前提がありました。パーフェクトにやっても勝てない。ということは「パーフェクト」は、本当の最低ラインになります。ミスができないとプレッシャーがかかれば、どうしても力が入り、ミスにつながる。私自身もそういう経験がよくありました。

 しかし、常に練習でプレッシャーをかけ、100%以上を求め続けたから、本番でノーミスという高いクオリティを発揮できるのでしょう。

 その点で、私が大きいと感じるのは中野園子コーチの存在です。坂本選手を厳しく指導されてきました。私が坂本選手と一緒にアイスショーに出た時、本番前の練習中に物凄く怒って檄を飛ばされている姿を見ました。試合でもなく、しかも本番。坂本選手の顔が曇り、「ここまでへこんでいて、大丈夫かな?」と心配していたら、本番は完璧にやってしまったことがあります。

 追い込む言葉をかけてあげた方が本番で力を発揮できる。そう理解していたから、愛情を持って彼女を高められたのではないかと感じます。

日本だけじゃない五輪メダルの価値「世界のスケーターにとっても希望に」

 日本の女子フィギュアにおいて、4人目の五輪メダル。その意味を考えてみると、本当に大きな価値があります。

 高難度のジャンプを跳ばなければ通用しないと言われる時代。3回転アクセルや4回転という大きな武器はなかった坂本選手のメダルは、それに対抗するスピード、スケーティング、ジャンプの質を極めれば世界と戦える、ということの証明と言えます。

 その証拠に、採点上の「スケーティングスキル」の項目が9.46点でROC勢も上回り、全選手で1位になったこと。持ち前の圧倒的なスピードをジャンプ、ターンに生かして演技に流れを生む。もちろん、ジャンプも素晴らしいのですが、それだけではなく、滑りのスピード、技のつなぎなど、そういう点も含めた総合的な技術を争うスポーツがフィギュアスケートであると、坂本選手が証明してくれました。

 メダルの影響は、日本ばかりではありません。「4回転を跳ばなければ、メダルは無理」などと大会前からそんな言葉を見聞きしましたが、そんな価値観も覆した。10代後半になると体型変化が起こり、高難度のジャンプも跳びにくくなる。それに伴い、トップ層の低年齢化が進み、息の長い選手が出てこないと言われている。世界のスケーターにとっても、本当に希望となる坂本選手の演技でした。

 樋口選手も初出場で5位入賞。SP、フリーともに素晴らしい3回転アクセルを決めてくれました。この五輪の舞台で決めることができた経験は、団体戦の銅メダルとともに、彼女のこれからのキャリアにといても間違いなく大きな武器になります。

 一方で、3回転アクセルはもちろん、表現力も彼女も持ち味。SP、フリーともに本当に心に残るスケートを見せてくれた。音楽を表現する身のこなしは素晴らしい。3回転アクセルと表現力という2つの武器を生かしたプログラムをこれから楽しみにしています。

 同じく初出場の河辺選手は果敢に3回転アクセルに挑戦してくれました。中国入り後の練習を見ていても3回転アクセルを含め、ジャンプが安定しない場面が多かった。それでも、SP、フリーともに守らずにチャレンジしたことは今後にこれは必ず繋がるもの。

 代表は河辺選手自身が実力で掴んだものであり、この経験も自身で勝ち取ったもの。今は望んだような結果ではなく、五輪がつらい想いになっているかもしれませんが、チャレンジした自分に誇りを持って、これからも挑み続けてほしいと思います。

 そして、ROCのシェルバコワ選手とトルソワ選手が金メダル、銀メダルを獲得しました。

 4回転ジャンプを複数組み込んだ構成のレベルの高さは言わずもがな。シェルバコワ選手は冒頭の2つの4回転で加点が3.46点と3.70点という質の高さ。さらに繊細に音楽を表現できる芸術性を持ち合わせているのが、彼女の強さです。

 トルソワ選手も4回転5本を跳び、最高難度の構成を五輪で当たり前にやる。練習を見ていても全てを完璧に決めることはそれほど多くなかった。それでも絶対に組み込んでくる姿勢に、彼女は本当にファイターであると感じました。

 過去に出場した大会では男子のスコアを上回ったこともあり、彼女たちの凄さは男子顔負けと言われれば、まさにその通りです。

4年間で急速に進化した女子フィギュア「北京五輪を終えた今、思うのは…」

 一方で、SP1位のワリエワ選手は衝撃的でした。練習を見る限り、ここまで崩れるとは思ってもいませんでした。初出場の五輪で、金メダル最有力と言われた中、想像もしない状況で本番に臨むことになり、精神面に難しさがあったのではないか、ということは推測できます。

 フィギュアスケートはメンタルが大きく関わるスポーツ。ワリエワ選手に限らず、練習でできているものを本番で出すことがいかに難しいか。私自身、少しの不安、焦りなど、一つの歯車が狂っただけで、一瞬にして演技が崩れてしまうことを何度も経験してきました。

 逆にハマった時に最大限の力を発揮できる。フィギュアスケートという競技は、まさにギリギリの勝負です。アスリートも一人の人間。機械ではありません。そこに心があるからこそ、メンタルひとつで揺れ動く。その競技性は、この大会から知ってもらえたらと思います。

 さて、振り返ってみると、前回の平昌五輪でアリーナ・ザギトワ選手が金メダルを獲得してから4年。女子フィギュア界の景色は一変しました。

 ここでも話している通り、ジャンプをはじめとした技術が急速に進化。それはスポーツとしての素晴らしさを感じつつ、北京五輪を終えた今、思うのは今大会に出場した10代の選手たちが次の五輪も目指し、次の4年間で成長した姿がまた見られたらいいな、ということ。

 今大会はもちろん上位陣の戦いも心に刻まれましたが、10位だった米国のマライア・ベル選手(25歳)、17位だったドイツのニコル・ショット選手(25歳)、20位だったチェコのエリスカ・ブレジノバ選手(25歳)は、長く続けたからこそ生まれるスケート。本当に熟成されたもので、「ああ、こういうスケートを見せてもらって嬉しいな」と解説をしながら感じていました。

 ただ表現が熟成されているだけではなく、今まで難度より1つ上げた構成を組み、チャレンジする姿を見た時、今10代でこの五輪にいる選手たちが次の五輪で見られたらいいな、と。そういう息の長い選手たちが、また次の五輪もチャレンジしようと前を見てくれることが願いです。

 最後に。団体戦のメダルを含め、日本の女子選手にとっては素晴らしい大会になりました。

 今回メダルを獲った坂本選手、3回転アクセルを跳んだ樋口の活躍は、日本の選手たちに本当に刺激になったはずです。しかもその2人が切磋琢磨しながら、高め合いながらも乗り越えた姿をみんな知っている。そうやって日本の女子は強くなった歴史があります。

 これが引き続き、選手が高め合いながら高みを目指していくこと。そして、それが続いていくこと。これもまた、私の大きな願いです。

鈴木 明子
THE ANSWERスペシャリスト プロフィギュアスケーター
1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)