女子ショートプログラムで見せた坂本花織の演技を鈴木明子が解説【写真:AP】

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「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#81 五輪2大会出場・鈴木明子の女子SP解説

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 15日に行われた女子ショートプログラム(SP)は坂本花織が日本勢最上位の3位。表彰台独占の前評判もあるROC勢3人に割って入った。1位はドーピング違反で出場が危ぶまれたカミラ・ワリエワ。2位のアンナ・シェルバコワ、4位のアレクサンドラ・トルソワ(いずれもROC)に続き、3回転アクセルを成功させた樋口新葉が5位に。上位5人を日露で独占した。樋口とともに初出場の17歳・河辺愛菜は15位からフリーで上位進出を狙う。

 バンクーバー、ソチと五輪2大会に出場し、現地で取材するプロフィギュアスケーター・鈴木明子さんはこのSPをどう見たのか。日本勢の総括とともに、3回転アクセルや4回転ジャンプなしでROC勢を脅かす坂本の強さの理由について聞いた。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 4年に一度の「オリンピック」という大舞台。一人一人がいろんなプレッシャーを感じながらの演技だったと思います。その中で、特に後半の第4、5グループの選手たちは非常に自分自身に集中し、良い演技を見せてくれたSPでした。

 坂本選手は最も重圧がかかる最終滑走。「演技前から緊張で泣きそうだった」と演技後に言っていましたが、それを感じさせない素晴らしい演技。大きく、高さと幅のあるジャンプ。そして、着氷後もスピードが落ちない。彼女の持ち味が詰まったジャンプを3本見せ、3位に食い込みました。

 4回転をはじめ、高難度のジャンプが注目される時代。この日、他の日本勢2人も3回転アクセルに挑戦しました。しかし、坂本選手はそれらを跳ばずに世界で戦える。普段、あまりフィギュアを観ない方は「なぜ?」と思われるかもしれません。

 まず、彼女の武器は圧倒的なスピード。そして、それを生かしたジャンプの着氷後の「1歩目」に他の選手にはない強さの秘密があります。

 坂本選手は圧倒的なスピードからジャンプに入り、着氷後もそのスピードを生かすことができます。多くの選手は着氷でフリーレッグ(氷についていない方の浮き足)を後ろに引くことで、次の動作への流れを作りますが、彼女は助走のスピードを生かしたまま大きな弧を描くように幅のあるジャンプを跳び、そのままのスピードを着氷後の流れに生かして降りられる。着氷した時点で、次の1歩目の滑りにすでに繋がっているのです。

 簡単に思われるかもしれませんが、これは凄く難しい技術。ジャンプで高さを出したり、回転の速度を出したりすると、その反動で着氷して動きが詰まり、流れも止まる。そこからもう一度滑り出し、加速していきます。通常の選手は着氷の状態を「0歩目」とすると、彼女には「0歩目」がなく、降りた瞬間から「1歩目」になっている。そのスムーズな流れが、ジャンプそのものにとどまらない加点に繋がっています。

他の選手が「やりたくてもできない」坂本の技術とは

 3回転アクセルのような大技は観る側にとっても分かりやすく、どうしても注目してしまいますが、フィギュアスケートの評価はそれだけではないのです。

 坂本選手はその“加点を引き出すジャンプ”を狙って練習してきました。

 3回転アクセルや4回転ジャンプに挑んだ時期もありますが、今シーズンは完成度を高めることに重点を置き、各要素で1〜5点が与えられる加点の3点以上を狙い、4〜5点に届くように追求。どうしても「難しいジャンプを……」と焦り、中途半端にあれもこれもと手を出しがちですが、「ここで勝負する」と自分の特長を信じ、芯を貫いた。振付師、コーチもそれを引き出すことに集中したことが、今日のSPに繋がりました。

 もともとは彼女が持っているスケーティング技術が背景にあり、ジャンプ以外でも1歩目からの加速が素晴らしい。体重移動が非常に上手く、それを推進力に生かせることで、彼女のスピード感が生まれる。そういう基礎を小さい頃から中野園子コーチに教えられてきたことが生きている。あそこまで着氷後が綺麗に流れる選手は今回の五輪を見ても他におらず、坂本選手が一番際立っている。他の選手がやりたくてもできない技術です。

 フィギュアスケートは自分の武器を個性として、選手それぞれの個性があり、いろんな戦い方がある。だから、フィギュアスケートは面白い。高難度のジャンプだけじゃない坂本選手は、今のフィギュア界で凄く価値のある選手だと思います。

 五輪史上女子5人目の3回転アクセルを決め、5位に入った樋口選手も素晴らしい演技でした。結果的に本来取れる加点を取り切れなかった部分はありましたが、何より優しいボーカルと彼女の持ち味の伸びやかな動き、緩急を自在に操るスケートが最後までできていた。

 初めての五輪ですが、団体戦でSPを経験したことも大きかったのでしょう。団体戦以降、練習を見ていても動きは非常に良くなっていました。雰囲気を一度経験し、吹っ切れた印象もありました。1週間あまりで良い状態に仕上げることができたからこその今日のSPだと思います。

 15位となった河辺選手も果敢に3回転アクセルに挑戦しました。惜しくも成功はなりませんでしたが、評価すべきは“その後”です。3回転ルッツ―3回転トウループで加点がしっかりともらえるジャンプを跳び、緊張する初めての五輪でも堂々とした演技を見せてくれました。

 特に演技後半のステップシークエンスは伸びやかに滑ることができていたので、フリーは思い切ってやってほしいです。

3回転アクセル失敗でも1位、浮き彫りになるワリエワの強さ

 そして、首位に立ったのはワリエワ選手。樋口選手が成功した3回転アクセルが、彼女は冒頭でステップアウトとなり減点に。にもかかわらず、樋口選手らを上回り、1位になったことを不思議に思う方もいるかもしれません。

 その要因については、3回転アクセル以降の構成です。3回転フリップ、3回転ルッツ―3回転トウループという2つのジャンプで3〜4点の加点を引き出し、また3回転ルッツ―3回転トウループの連続ジャンプを基礎点が1.1倍になる後半に投入し、高い加点を得ていること。また、スピン、ステップでも非常に高い加点を獲得。特に柔軟性を生かした回転速度もあるスピンは圧巻で、ジャッジ全員が4〜5点の加点をつけるレベルです。

 現在は一つ一つの要素の質が求められる時代。得点も積み重ねの要素が大きく、順位を分けるのは加点の幅になる。高難度のジャンプに注目は集まりますが、フィギュアスケートは総合的な評価である以上、一つ一つの完成度が高いワリエワ選手が強さを発揮しています。

 30選手が出場したSPで個人的に印象に残ったのが、ジュ・イー(朱易)選手です。

 団体戦でSP、フリーともに失敗が出て、今日の練習もジャンプはあまり決まらず。ジャンプに行く動作に不安が見え、本番は大丈夫かなと思っていたのですが、思い切った演技で転倒もなく、最後まで滑り切った。27位でフリーに進めませんでしたが、彼女の笑顔はうれしかった。

 19歳でまだ大きな国際大会に出た経験がなく、いきなり地元開催のオリンピックで重圧も計り知れないものがあったと思います。団体戦ではつらい想いをしたと思いますが、いつか「あの時の経験があったから強くなれた」と思える日が来てくれたらいいなと願っています。

 フリーは17日。メダル争いが注目されますが、日本勢に期待するのは、練習で積み重ねてきたものをすべて出し切ることだけ。

 もちろん、首位発進したワリエワ選手をはじめ、SP2位のシェルバコワ選手、SP4位のトルソワ選手もROC勢は4回転ジャンプを多く入れ、五輪史上最高難度の構成が見られると思います。しかし、SP日本の選手たちを見て感じたのは、それぞれが持っている自分の良さで勝負する姿勢。彼女たちが、どこに重きを置いて練習してきたか、よく分かるものでした。

 だからこそ“出し切ること”を心がけてほしい。この日までやってきたことを信じ、思い残すことなく、フリーを滑り切ってほしいです。

鈴木 明子
THE ANSWERスペシャリスト プロフィギュアスケーター
1985年3月28日生まれ。愛知県出身。6歳からスケートを始め、00年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。10年バンクーバー五輪8位入賞。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で現役引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、全国で講演活動も行う。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)