「最低限の学力がない人には、ぶっちゃけ独学は無理です」とひろゆきさんが言う理由とは?(撮影:中野エディット)

巷では空前の「独学」ブーム。「そこかしこにはびこるウソにダマされないで上手に生きていくには、意外と独学の力が使えるということがわかると思いますよ」と語るのは、「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」の設立者で、現在は多数の企業に携わる「ひろゆき」こと西村博之さん。

プログラミングや外国語を独学で習得した経験を持ち、「最低限の学力がない人には、ぶっちゃけ独学は無理です」と警告するひろゆきさんの最新刊『無敵の独学術』より一部抜粋、再構成し、お届けします。

今の時代、たいていのことは独学で学ぶことができます。

というのも、インターネットが普及したことで、苦労せずに世界中の膨大な情報を手に入れることができるからです。

でも、そうした玉石混淆の情報の山から自分に必要なものを選びとり、独学で自分の血肉としていくためには、たとえばですが、次のような学力が必要です。

ひとつが、物事について調べる「検索力」。もうひとつが、教科書や本を読んで理解する「読解力」です。

検索力がなければ、そもそも必要な文献にたどりつけません。たどりつけたとしても、書かれていることを理解できる読解力がなければ、学ぼうと思っても難しい。

そうした最低限の学力がない人には、ぶっちゃけ独学は無理です。

バカに独学は無理

受験勉強でいうならば、そもそも自分が「何がわからないのかすら、わからない」状態。そんな状況で大学に独学で受かりたいと考えるのは、あまりに無謀な話です。

教科書をどう読めばいいかもわかりません、どんな出題傾向があるのかもわかりません、でも大学には受かりたいです、だから独学で頑張ります!と言っている人がいたら厳しいだろうなと思うのは普通のことですよね……。

そこで背伸びして独学にチャレンジしたところで、時間ばかりかかって理解が追いつかないので、コスパは非常に悪いです。

厳しいことを言うようですが、バカに独学は無理です。

では、バカな人はどうしたらいいのか?

答えは学校に行くことです。

独学をあきらめて、きちんと優秀な先生に教わるのです。

基礎学力のない人たちを何人も教えてきた先生や、苦手を克服した経験をもつ先輩の力を借りて基礎を固めていき、勉強のやり方を筋道立てて学ぶしかありません。

さらに厳しいことを言うと、もともと能力の低い人が、もともと能力が高い人に独学で追いつくことは不可能です。

いわゆるエリートと呼ばれている人たちは、もともと能力が高いうえに学習の量や質もすぐれている、いわば「ずっと成長を続けてきた人たち」なのですね。

そういう人たちは、疑問や問題に直面したときに自力で情報にアクセスでき、自分のアタマで思考できるので、学校で「学び方」を学ぶ必要はありません。

つまり、独学でも成長を続けていける人たちなのです。

でも、能力のない人がその方法論を真似(まね)しても、追いつくどころか距離が離されてしまう一方です。

能力の高い人に追いつきたいのであれば、独学以外の方法で、効率よく能力を身につけていかなくてはなりません。そのために学校を上手に利用して使い倒せばいいわけです。

先生に教えてもらう以外にも、学校には過去問とか参考書なんかもたくさんありますから、そういったものを借りればお金もかかりません。

学校は使い倒そう

独学で調べていてもわからないことはあります。

そういう場合は誰かに質問したり聞いたりしないといけません。そのときには、もちろん「教えてください」と頭を下げることになります。

相手の時間を割いて教えてもらうわけですから、社会人だと「お忙しいところ、すみません」なんて気を使うこともけっこう多いです。

でも、学生で学校に通っていれば、なんでも遠慮なく質問できます。
「すみません」どころか、内心「生徒なんだから教えてもらって当然」なんて思いながら、躊躇(ちゅうちょ)することなく聞けるわけです。

しかもタダで聞き放題なのだからいいことずくめ。これは積極的に利用することをオススメします。

教科書に載っているような用語を調べたり暗記をするのは、ひとりでもできます。

それこそ、ググれば1秒たらずで答えにたどりつけます。

本来、学校で学ぶべきことは、そういうことではありません。

社会で生きていくために必要なのは、なんらかの目的に対し「今自分には何が必要で、そのためには何をすればいいのか?」を自力で思考して行動できる力です。

言い換えれば、問題にぶち当たったときにそれを解決できる能力です。

「これができないんだけど、なんでできないんだろう?」という疑問をもち、その原因を追求する。「わからない勉強のやり方を人に聞く」というのは、優秀な人や知識のある人から「思考のプロセス」を学ぶことでもあるのですね。

残酷な現実を言うと、思考のプロセスをもっていない人は、社会に出ても「人に使われる仕事」にしか就くことができません。そういった仕事は給料が安いうえに、理不尽にコキ使われたりします。

英語で言うところの「ブルシット・ジョブ(=クソどうでもいい仕事)」をやりたくなければ、自分のアタマで思考する能力は必須なのです。

そして、その思考のプロセス、つまりアタマの使い方こそ、学校で学んでおくべきことなのです。

「アタマもいいケーキ屋さん」になろう

「でも、自分はアタマを使うことよりも、身体や手を動かしているほうが好き」という人も多いと思います。

たとえば「ケーキをつくるのが大好き」という人は、手に職をつけてとびきりおいしいケーキをつくり続ければいい。そうやってパティシエとして暮らしている人も大勢います。

でも、「一日中ケーキにイチゴを乗せ続ける」というようなベルトコンベアの一部みたいな単純労働に従事しているならまだしも、腕のいい職人が、アタマをいっさい使わなくていい、なんていうシチュエーションに置かれることはまずありません。

美味しいケーキをつくるためにはクリエイティブな試行錯誤が必要ですし、せっかく上等なケーキをつくることができても、買ってもらえなければ生活していけません。

「どんなコンセプトのケーキを、どんな客層に届けていきたいのか」といった創意工夫こそ、実は職人の仕事に必要なことだったりするのです。


さらに言えば、職人の仕事は肉体的な負担も大きいので、選択肢として肉体労働と頭脳労働のどちらもできるようにしておいたほうがおトクです。

「頭脳労働ができるけど、ケーキもつくれる」という人と「頭脳労働はできないけど、ケーキはつくれる」という人がいた場合、後者はなんらかの理由でケーキがつくれなくなってしまった瞬間に仕事がなくなります。

こういうシチュエーションを回避するためにも、基礎学力や学ぶプロセスを身につけて、頭脳労働もできるようにしておいたほうがいい。

前述のとおり、ほとんどの学校では、先生はタダで勉強のやり方を教えてくれますし、質問にも何度でも答えてくれます。

せっかくタダで教えてもらえるチャンスがあるのだから、学校では疑問に思ったことは遠慮せずどんどん聞くべきなのです。