濃紺カラーが美しい相鉄12000系(写真:Jun Kaida/PIXTA)

新宿駅で、濃紺一色のかっこいい電車を見たことがありますか? それは、相鉄(相模鉄道)の列車です。濃紺電車で都心へ――。「西の阪急、東の相鉄」を目指す相鉄の魅力を東洋経済オンラインでもおなじみの鼠入昌史さんが『相鉄はなぜかっこよくなったのか』(交通新聞社新書)にまとめました。相鉄の魅力とは何か。その一部を抜粋して紹介します。

のっけからこんなことを言うと相模鉄道さんのご不興を買ってしまうかもしれないが、相模鉄道を知っている人は少数派である。さらに言えば、乗ったことがある人はもっと少ないだろう。筆者も東京に住んでいるが、数えるくらいしか相鉄線に乗ったことはなかった。それもすべて取材で乗っただけだから、プライベート(つまりはどこかに遊びに行くとか)で乗るような機会はゼロである。


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同じように東京在住の知人数人に聞いてみたが、「なにそれ、聞いたことがない」「どこ走ってんの?」といったお答えのオンパレード。「相鉄?ああ、あのブルーのカッコいい電車だよね!」などという前向きなことを言ってくれた人は筆者の周りにはひとりとていなかった。知っていても鉄道に興味があるクチで、まあつまり相鉄の知名度はなかなかに低い。

これは筆者の周りだけに限ったことではない。相模鉄道自身が2017年度に行った調査でも、東京都内での認知度は50%に満たなかったという。むしろ個人的には30%も知っていればいいほうだと思うくらいだが、少なくとも東京都民の半数以上は相模鉄道のことを知らない。存在を知らないならば乗る機会などはますますないわけで、だから相模鉄道に乗ったことがある人、となるともっと少なくなると思う。それはいったいなぜなのか。

相鉄に乗ったことがない”納得の理由”

その理由は改めて説明するまでもないが、乗る必要がないからだ。相模鉄道の路線は横浜―海老名間の本線と二俣川―湘南台間のいずみ野線、そして2019年11月に開通したJR線直通のための相鉄新横浜線(西谷―羽沢横浜国大間)。JR直通線があるとは言っても、その歴史はせいぜい1年と少しにすぎず、開通から100年以上の間、相模鉄道は神奈川県内だけを走っていた(JR直通線が開通したいまでも、相模鉄道の路線としては神奈川県内にとどまる)。そのうえ、沿線にあるのはほとんどが住宅地で、遠方から訪れる機会がありそうな施設はほぼないと言っていい。

せいぜいが、二俣川にある運転免許センターだろうか。と言っても、免許センターは都道府県ごとにあるから、二俣川の免許センターに行くのは神奈川県民だけである。ほかには何があるかと言うと、頑張れば探せないこともない。ズーラシアという動物園は相鉄線の鶴ケ峰駅からバスに乗って15分くらいだし、大和駅のある大和市は阿波おどりで有名だ。終点の海老名にはららぽーと。が、大和と海老名は小田急線で行くことができるし、動物園ならわざわざズーラシアまで行かなくてもなんとかなる。沿線の人、神奈川県内の人ならばともかく、ほかの地域に暮らしている人が大挙して押し寄せるほどかというと、申し訳ないけれど実に微妙なのである。

大学ならばフェリス女学院大学や横浜国立大学が相鉄線の沿線にある。だからこれらの大学に通っている学生は相鉄線に乗る機会がままあるだろう。横浜国立大学は横浜駅からバスを使うとかほかの手段も少なくないが、フェリス女学院大学緑園キャンパスならば相鉄いずみ野線緑園都市駅がほぼ唯一の交通手段。また、いずみ野線の終点湘南台駅からバスに乗り継げば慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスだ。このキャンパスの学生たちが横浜の町に出て遊ぼうと思えば、相鉄線に乗るのだろうか。いや、湘南台駅からは横浜市営地下鉄も出ているから、そちらの利用者も多いのかもしれない。

いずれにしても、相模鉄道の沿線には“遠くからわざわざ行くような場所”が少ない。同じく首都圏の大手私鉄だと、京王線には高尾山、京急線には羽田空港や三浦半島のマグロ、京成線には成田空港と成田山新勝寺、西武にはメットライフドームと秩父観光、小田急には小田原・箱根、東武鉄道は日光観光……と、とにかくキリがない。そうした観光施設とは無縁そうな東急にしたって、ターミナルの渋谷は大繁華街だし、武蔵小杉の発展ぶりはご存じのとおりだ。

著名スポットがないのに堂々の「大手私鉄」

首都圏以外にも目を向けてみよう。相模鉄道と同じ大手私鉄に含まれつつも、比較的路線距離が短く“地味”扱いを受けがちな阪神電車は泣く子も黙る阪神甲子園球場。首都圏の人はあまり知らないかもしれないが、名古屋鉄道には中部国際空港セントレアがあるし、九州の雄・西日本鉄道は太宰府天満宮と水郷のまち・柳川だ。

このように、だいたいの大手私鉄は沿線に誰もが知っているようなスポットを持つ。鉄道会社が自ら集客のために開発したケースもあれば、もともとあった施設への輸送を目的に鉄道ができたケースもあるしそれはいろいろだが、とにかく有名スポットを持っていることがあたりまえなのだ。それが鉄道会社の知名度アップにも貢献している。

ところが、相模鉄道にはそれがない。良いとか悪いとかではない。むしろそれでいて大手私鉄として立派な地位を築いているのだからスゴイとも言える。ただ、おかげで知名度がどうしても低い。それだけは紛れもない事実である。

そんな相模鉄道が東京にやってきた。2019年11月30日、相鉄・JR直通線が開通し、JR埼京線に乗り入れて渋谷そして新宿へ(最長では池袋・赤羽・大宮を通り過ぎて川越まで向かうが、これは相鉄の車両ではないのであまり相鉄乗り入れ感がない)。新宿駅の埼京線ホームで「相鉄線 海老名行」という行き先表示を見たことがないだろうか。見慣れない深いブルーをした車両を目撃したことはないだろうか。あれが相模鉄道である。

東京の人にとって、相模鉄道が都心に乗り入れてきたというニュースは比較的どうでもいい話題の部類に入る。もともと多くの人が相鉄線沿線に用がなく、得することもあまりないからだ。だから、「変な濃紺の電車が来てるなあ」と思うくらいで終わってしまう。

人類にとって小さな一歩でも、相鉄には「大きな一歩」

しかしこの相模鉄道の東京乗り入れ、ほとんどの人類にとっては小さな一歩だが、相模鉄道にとっては偉大な一歩なのである。

1926年、神中鉄道の路線として開通して以来、相模鉄道は一度も神奈川県内からはみ出したことがない。だから知名度がいまひとつ伸びなかった。それが、ついに都心に進出したのである。とんでもない大事件である。

相模鉄道が都心に進出すると何がどう大事件なのか、かいつまんで説明しよう。

ひとつに、相模鉄道にとって最大の悩みどころであった知名度がバク上がりする。

お客の数が日本一、いや世界一の新宿駅に相模鉄道の電車がやってきた。金太郎飴のようなJRの車両とは違う、車体すべてが濃紺に塗装された相鉄の電車が。となれば、なんだこれはと話題になることは間違いなしである。インスタ映えもするかもしれぬと写真を撮る人も続出するだろう。そして便利になったかどうかは別問題として、相鉄の電車がスゴイ!といった評判がじわりじわりとネットの海を広がっていくのだ。気がつけば、相鉄の知名度は100%に近づいているはずだ。

もうひとつに、そうして上がった知名度を背景に相鉄沿線への注目度がアップする。

インパクトのある濃紺電車をきっかけに相鉄の知名度が上がり、次に興味が持たれるのは「相鉄沿線ってどんなところ?」とくる。くだんのとおり、相模鉄道の沿線にはたいした観光スポットはない。だからがっかりする人もいるかもしれない。しかし、人は思わぬところに興味を持つものだ。何もなさそうな住宅地の中を歩いて一風変わったものを見つけようとする人もいるだろう。それに、たくさんの人が集まるスポットがないということは裏を返せば静かで住みやすいということでもある。そこに目が行けば、お引越しの際に「相鉄沿線でもいいじゃない、新宿にも一本だしさ、あ横浜も近いし」となるに決まっている。

特に2020年は新型コロナウイルスの蔓延で世の中が大きく変わってしまった。テレワークなどというものが突如生活の中に入り込んできた。都心の狭い家では夫婦2人がテレワークをするなど無理な話で、でも少し都心から離れれば同じ家賃で広い部屋を借りることもできる。都心から離れても通勤に不便では困る。ならば新宿直通の相鉄線沿線はうってつけである。代官山とかに住むのと比べれば、同じ家賃でも圧倒的に広い部屋に住むことができるに違いない。

そしてこのような変化が少しずつ進んでいく中で、相模鉄道の存在は人びとの暮らしに染み込んでゆく。

そうこうしているうちに、2022年度には相鉄線はJRだけでなく東急との直通運転もスタートする。2方向で都心に乗り入れるようになる。そのときには新横浜駅にも停車するようになる。相鉄と東急の境界が、新たにできる新横浜駅(仮称)というわけだ。

新横浜駅は言わずもがなの新幹線のターミナル。喜ばしいのは相鉄沿線の人たちだけではない。東急沿線の人たちは、いままで新幹線に乗ろうと思うといったん渋谷や目黒といった山手線のターミナルに出て、そこから品川駅に向かうしかなかった(それか菊名駅でJR横浜線乗り換えである)。それが相鉄との直通開始のおかげであっという間に乗り換えなしで新横浜駅に行けるようになるのだ。早朝の新幹線出張でも睡眠時間が1時間は変わってくるだろう。

その頃には相模鉄道のことを「知らない」などという人はすっかりいなくなる。いまはまだ、「相模鉄道? ナニソレ?」という存在にすぎないかもしれないが、数年後にはきっと「相鉄」という言葉が一般名詞のごとく街中を飛び交うようになるはずだ。

本当の「大手私鉄」に仲間入り

神奈川県内においては老舗私鉄の相模鉄道も、東京方面から見れば新参者。新しいことは悪いことではなくて、清新なイメージを与えてくれる。若い力、である。そこに濃紺の相鉄の電車がシンボルとなれば、ますます相模鉄道のイメージはアップするに違いない。

世の中が大きく変化しようとしているこの時代、さっそうと濃紺の電車を駆って都心に乗り入れてくる相模鉄道――。それが人びとの目にどう映るのか。きっと、未来への希望の象徴になる。時代の変わり目、乱世に幕を引く麒麟とは、もしかすると相模鉄道のことなのかもしれない。


……と、いささか大げさになってしまったが、少なくともそんな未来への第一歩が2019年11月30日の相鉄線都心乗り入れなのである。そして、相模鉄道にとっては大きな飛躍への偉大なる第一歩。いままで、神奈川県内の小私鉄として苦難の道程を歩んできた相模鉄道も、これでようやく“本当の”大手私鉄の仲間入りと言っていい。東京に乗り入れることの何が偉いんだ!と反発する向きもあるかもしれないが、それだけ大きな意味があるということだ。

相模鉄道がなぜ、いま注目を集めているのか。そして相模鉄道の未来になぜ注目すべきなのか。まだまだ東京では相模鉄道のことを知らない人も多い。“手をつける”ならばいまである――。