実力はあるのに、出世できない……それには明確な理由があるといいます(画像:Camper/PIXTA)

「社会人になってから長い間『暗黒時代』が続きました。そこから抜け出せたのは、『生きる知恵としてのマーケティング』のおかげです」

数々のグローバル企業でマーケターとして活躍している井上大輔氏は、自らの経験を振り返って語る。

「マーケティングのエッセンスを『生きる知恵』として人生に活かせば、仕事・キャリア・プライベートのすべてで『求められる人』になれると気づいたんです」

そんな「生きる知恵」を解説する書籍『マーケターのように生きろ:「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動』を上梓した井上氏に、マーケティングの英知から見る「選ばれる人の条件」を解説してもらった。

仕事ができ、責任感も強い。でも昇進できない先輩

社会人になって間もないころ、大好きな先輩がいました。

仕事ができるばかりではなく、優しくて後輩の面倒見が良い人でした。何よりとても責任感が強く、誰も見ていないところでも、決して妥協せず自分自身の基準で仕事を突き詰める職人肌。でも、どこかシャイで声が小さい。人どころか鬼すら傷つけない「煉獄杏寿郎」(『鬼滅の刃』の登場人物)のようなイメージです。


このソフトな煉獄さんが、私のミスをかばってくれて、2人で深夜まで作業した結果、終電を逃したことがありました。原宿のファミレスで、ドリンクバーを何杯もおかわりし時間を潰しながら、私はソフト煉獄さんを評価しない会社に文句を言い募っていました

こんなに仕事ができ、責任感が強く後輩からも慕われているのに、煉獄さんは直近の人事で、同じくらい仕事ができる先輩、煉獄さんにとっては年下の後輩に昇進で追い抜かれてしまっていたのです。パンケーキにもコーヒーにも手をつけず、子どもを見る父親のような目でただじっと話を聞いていてくれた煉獄さんは、私の話が途切れるとこう言いました。

「じゃあ井上君が偉くなって、俺を引っ張ってよ」

こんなに完璧な人が昇進できないのなら、偉くなるには一体どうしたらいいんだろう。そのときの私は答えを持っておらず、徹夜仕事の疲れも手伝って、ただただ思考停止に陥ってしまいました。

今になって考えると、ソフト煉獄さんと、昇進した別の先輩の違いがわかります。「自分をアピールする能力」です。

出世する人が「アピール上手」なのは古今東西を問いません。仕事の実力は十分なのに、アピールが下手なためいつまでたっても昇進できない。私はこれまで日本、イギリス、ドイツ、ニュージーランドの企業で働いてきましたが、そういった人はどこの国にもいました。

日本ではこの手のアピールがネガティブに捉えられがちなので、「アピール下手」の出現率もひときわ高いというのが実感です。

商売の世界では、このネガティブな意味での「アピール」に近いニュアンスで、「マーケティング」という言葉がしばしば使われます

例えば、ほとんど実態のない情報商材や紛いものの化粧品、サプリなどを、半ば消費者をだまして購入に導くことが「マーケティング」と呼ばれたりします。いわゆる「プロモーション」はマーケティングの一部でしかないので、その意味でも誤解を含んだ使い方なのですが、それはここでは置いておきましょう。

こうした意味での「マーケティング」をたまに目にすることによって、マーケティング、もとい商品の存在をアピールすること自体が、ともすれば「悪」とされるような風潮があります。

もとより日本には「ものづくり信仰」があり、良いものをつくることこそが本質、それを広く伝えるのは次善策だ、とするような文化があります。商品が知られておらず、広告活動を余儀なくされるのは、三流のつくり手に与えられるペナルティだ、などとする痛烈な批判も最近では目にします。

廃業する酒蔵は「商品が悪い」のか

しかし、本当にそうでしょうか。

国税庁の『酒のしおり(令和2年3月版)』によると、2017年現在で全国には1580の日本酒酒造メーカーがあるといいます。銘柄数でいうと少なくとも倍以上にはなるでしょう。

さて、私たちはそのうちのいくつを知っているでしょうか? 獺祭、而今、十四代、真澄。特別に日本酒好き、というわけではない私がパッと思いつくのはそれくらいです。

知られていないことが三流のつくり手に与えられるペナルティーなのであれば、その他の日本酒はあまり美味しくないのでしょうか。

そんなハズはありません。デパートや旅行先などで偶然出会った日本酒が、びっくりするほど美味しかったということはありませんか? 日本酒メーカーの中には老舗も多いですから、それぞれ何十年、何百年もかけて味を磨いてきたわけです。逸品が多いのもそのはずです。しかし、その大半を私たちは知らず、知らなければ当然、味わうこともできません。

日本酒ブームで活況に見えるかもしれませんが、その恩恵を受けているのはごく一部で、廃業する日本酒酒造メーカーは実は後を断ちません。2017年と2007年を比較すると、わずか10年の間に事業者の数は25%も減少しているのです。

本当に良いものをつくっていればプロモーションなんていらない。売れないのは純粋にあなたたちの商品がよくないからだ。廃業の憂き目を見た日本酒のつくり手に、そんな言葉を投げかけられるでしょうか? 少なくとも私にはできません

下に引用するのは、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助さんの言葉です。

われわれ商人・産業人には「この商品をあなたがお使いになれば、便利で利益になりますよ」ということを消費者にお知らせする義務がある。その義務を果たすために「宣伝」をするのだ。知らせる価値のあるものをつくって、初めて宣伝の必要が出てくる。宣伝もできないようなものなら、製造をやめねばならん。

出所:「パナソニック『広告宣伝は義務』創業から貫く深いワケ」(AERA dot)

ここにわかりやすく指摘されているとおり、たとえ良い商品=日本酒をつくっても、その存在を広く伝えなければ、多くの人はそれを味わう機会に恵まれません。最終的にその日本酒で多くの人を幸せにしたいのであれば、つくることのみならず、それを伝え、届けることもまた、つくり手の「義務」なのです。

良いものをつくり、そしてそれをお知らせするのが義務である。この2ステップである点がポイントです。良い商品づくりと宣伝は、「オア」ではなく「アンド」なのです。

お知らせすることはたしかに「義務」ではありますが、まずは「知らせる価値のあるものをつくる」のが大前提です。これは広告の実務をやっている人なら誰もが実感するところだと思いますが、良くもない商品を広告宣伝で誤魔化してなんとか売ることなど、いかなる商材においても本来できることではありません。

たしかに悪質な情報商材や化粧品・サプリが一時的に売れてしまうことはあります。しかしそれはネット社会の歪みに生まれた「モンスター」のようなような存在です。情報商材や化粧品・サプリの業者もほとんどは善良で、悪質な業者は世の中の原理原則からは外れた、稀な「バグ」なのです。長い目で見れば駆逐されていくに違いありません。

かねてからのものづくり信仰と、この「モンスター」の存在が相まって、良いものをつくればプロモーションなど不要だ、プロモーションはむしろ悪だ、という誤解が社会に蔓延してしまっています。

そんな考えは誤解どころか、むしろそれ自体が害悪ですらあります。素晴らしい商品が世に羽ばたいてたくさんの人を幸せにするのを阻み、老舗の酒蔵や伝統工芸家を廃業に追い込むからです。

「良い商品をつくる」努力は欠かせませんが、「それを広く伝える」努力も同時に怠ってはいけないのです。広告を過信してものづくりを怠るのは論外ですが、商品を過信して広告を軽んじるのも同じように問題です。松下幸之助さんの言葉を思い出してください。広告宣伝は商売人の「義務」なのです。

PIE(パイ)の原則

そして、これは個人のキャリアアップにも当てはまります

グローバル企業で昇進するにはPIE(パイ)が重要だと言われます。パフォーマンス(P)=仕事の実力、イメージ(I)=印象、エクスポージャー(E)=どれだけ目立っているか、の3つです。注目すべきは、それぞれが持つ重要度の割合です。

・仕事の実力:1割
・印象:3割
・どれだけ目立っているか:6割

「どれだけ目立っているかが6割」とされているのです。

しかし、くれぐれも誤解しないでください。実力より目立つことが重要だ、と言っているわけでは決してありません。

実力もないのに、ただ自分の存在をアピールだけしても仕方ありません。実力がなければ上司に良い印象を持たれることもありませんし、目立つこともできません。一時的にはできるかもしれませんが、すぐに化けの皮が剥がれるでしょう。

この割合は、「何が昇進の決め手になるか」です。昇進するには、仕事の実力があることがまず大前提です。その上で、実力者同士の横並びの中で、現実問題として最終的に昇進を左右するのが「印象」と「目立っていること」だ、というわけです。

「そんなのはおかしい、不条理だ」と思う方は、自分が日本酒を選ぶ場面を思い出してみてください。1580ある酒造メーカーの、倍以上のブランドの中から、完全に実力=味だけで日本酒を選ぶことができるでしょうか? そんなことは不可能か、そうではなくても著しく非合理でしょう。知名度や印象で候補を振るいにかけるのは、消費者としてむしろ合理的な行動なのです。

「良いものをつくる」と「それを広く知らせる」は車の両輪でした。そのどちらの努力も、決して怠ってはいけません。

個人のキャリアアップでも、それは同じことです。仕事の実力をしっかりと身につけたのなら、あとはきっと誰かが自分を見出してくれる。残念ながら、そんな「おとぎ話」のようなことは滅多に起こらないのです。

ライバルは皆「実力」と「アピール」を兼ね備えている

もちろんキャリアアップのゴールは「昇進」「出世」だけではありません。誰もが出世を目指すべき、というのは完全に時代遅れな考えでしょう。

しかし、どのようなゴールを見据えるにせよ、そこにはライバルがいます。実力、印象づくり、目立つこと。そのいずれの努力も怠っていないライバルがいるのなら、実力だけでは勝ち目がないのは明らかです。

深夜の原宿のファミレスで思考停止に陥ってから、20年近い月日が経ちました。大好きな先輩だったソフトな煉獄さんを引っ張り上げられるほど、偉くも大人物にもなれてはいません。

しかし、今では、当時の自分にかけてあげられる言葉を持っています。それをこの場を借りて若い人たちに伝えることで、面倒見の良い煉獄さんから受けた恩を「ペイフォワード」させてもらいたい。そういう思いでこの記事を執筆させていただきました。