モディ首相(Press Information Bureau/Wikimedia Commons)と習近平国家主席

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 自らの「傍若無人」外交により「中国包囲網」が形成されつつある状況に焦った王毅外相は、11月24日から訪日し、中国包囲網の一角とみなされる日本に対して懐柔外交を展開した。尖閣諸島への「侵略」行為を反省することがなく、その成果は限定的とされているが、気になるのは中国包囲網の一翼を担うインドと中国の対立がヒートアップしていることである。

 インド政府は11月24日、今年に入り4度目の中国系アプリの禁止措置を発表し、中国側が猛反発する事態となっている。インドが経済制裁を続けている背景には、中国との国境係争地帯での対立が長期化していることがある。

 中国とインドは4000キロメートル以上の未解決の国境を抱えているが、インドのラダック地方と中国が実効支配するアクサイチン地域の境に位置するガルワン渓谷で、今年5月に両軍の小競り合いが発生した。6月には大規模な乱闘に発展し、両軍の衝突としては45年ぶりの死者が出る事案となった。

モディ首相(Press Information Bureau/Wikimedia Commons)と習近平国家主席

 ガルワン渓谷より南に位置し、両国にまたがるパンゴン湖周辺でも9月に、中印間で取り決められていた「銃火器使用禁止」のルールに反する発砲事案が生じた。両国はお互いに「相手側が威嚇攻撃をしてきた」と主張するばかりである。

 中国とインドは11月6日の第8回軍高官級会議で双方の撤退について協議したが、今後も意思疎通を保つことに合意した以外に、具体的な成果はなかった。

 このため、中国とインドの国境を隔てるヒマラヤの高原地帯では、両国は各5万人以上の兵力を複数の箇所で展開したまま、極寒の冬への備えを急いでいる(11月24日付JIJI.COM)。

 中国サイドは、酸素濃度が低い高地でも活動可能な新型戦闘車を配備するとともに、後方支援の強化にも努めている。中国国防省は10月29日の記者会見で「4000メートル以上の地点で複数の井戸を掘り、飲料水を凍結させずに確保するとともに、零下40度の地点でも兵舎の室温を15度以上に保つことができる」と自信の程を示した。

 インド側も負けてはいない。インド軍は北部ラダック地方で冬用の兵舎を建設するとともに、関係が強化されつつある米国から防寒服などの提供を受けることにより、中国と対峙する能力を高めようとしている。

 中印両国は現在、第9回軍高官級会談に向けた調整を進めているが、CNNは11月25日「衛星写真の分析により、インドの戦略的要衝に近接するブータンで中国が大規模な武器の備蓄庫を建設していることが明らかになった」と報じた。

 これによりインドが劣勢に立たされることは明らかであり、反発したインドが対抗措置を採るようなことになれば、事態は再び深刻化する恐れがある。

 インドの懸念は高原地帯ばかりではない。中国とインドは、長年にわたり大河を巡る争いを繰り広げている。

10年前からの確執

 大河は、中国ではヤルンツァンポ川、インドではブラマプトラ川と呼ばれている。大河の源はヒマラヤ高原地帯のチベット自治区にあり、そこからバングラデシュを経由してインド洋のベンガル湾に流れている。世界で最も高いところを流れる大河の長さは2900キロメートルにも達する。

 大河を巡る中印間の確執が始まったのは10年ほど前からである。中国政府が「この川に水力発電のための大規模なダムを建てる」と発表したからだが、中国側は少なくとも11件の水力発電プロジェクトを有しており、2015年から稼働を始めた蔵木ダムが最も規模が大きいとされている。中国政府はさらに大規模のダムを建設する計画を有しているという。インドは「中国が川の上流で水を大量に吸い取ってしまえば、下流のインドでは水が足りなくなってしまう」との懸念を募らせており、中国に対し再三働きかけを行っているものの、ダム建設に関する情報は一切提供されていない。

 インドは最近になって「中国は有事の際、大河の『水』を兵器に利用する可能性がある」との心配も持ち始めている(11月9日付サウスチャイナ・モーニング・ポスト)。上流のダムに大量に貯蔵された水を一気に放流すれば、下流地域が甚大な被害を受けることになるから、インドの国防専門家の間で「中国のダムプロジェクトには大河の下流域への影響力を行使するための戦略的な意図がある」との見方が広まっている。

 1959年にチベットの反乱が起こり、ダライ=ラマ14世がインドに亡命したことで中印間の緊張が高まりつつあった1962年10月、中国は宣戦布告のないまま、突然インドに侵攻した。これに対しインドはなすすべがなく、翌11月に中国軍が一方的に軍事活動を終了したことで停戦となった。「非同盟主義」を掲げていたインド初代首相ネルーは、国中がパニックに陥ったことから米国の支援を求める事態に追い込まれ、その後汚名を雪ぐことなく1964年5月に死亡した。

 この敗北は現在に至るまでインド人にとっての「最大の屈辱」であり、二度と同じ過ちを繰り返してはならないとされている。日本ではあまり知られていないが、インドが原子爆弾を開発した目的は「打倒中国」なのである。

 劣勢にたたされたインド軍の起死回生策は、中国経済の大動脈に打撃を与えることを目的とする「マラッカ海峡の封鎖」とされているが、もしこれが実行されれば、日本のシーレーンも甚大な被害を蒙ることになる。

 中印の軍事対立の激化は、日本にとってけっして「対岸の火事」ではないのである。

藤和彦
経済産業研究所上席研究員。経歴は1960年名古屋生まれ、1984年通商産業省(現・経済産業省)入省、2003年から内閣官房に出向(内閣情報調査室内閣情報分析官)、2016年より現職。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月1日 掲載