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規制されている危険ドラッグ「RUSH(ラッシュ)」を海外から個人輸入したとして、医薬品医療機器等法および関税法違反で起訴された男性(50代)に対し、千葉地裁は6月18日、懲役1年2月(執行猶予3年)の有罪判決を言い渡した。

裁判で男性は、ラッシュは法律が規制する「指定薬物」にはあたらないとし、無罪を主張した。男性側によれば、この主張が裁判に持ち込まれるのは日本初だという。男性と弁護団で主任弁護人を務める森野嘉郎弁護士に話を聞いた。(編集部・吉田緑)

●ラッシュを輸入し、税関にみつかる

男性(以下、仮名「ヒデさん」)は職を失うなどのさまざまな社会的制裁を受け、精神的に追い込まれたという。森野弁護士は「刑罰まで科す必要があるのか」とラッシュの規制を疑問視する。

「ラッシュ」については、今年8月に有罪判決(懲役2年・執行猶予3年)を言い渡されたシンガーソングライターの槇原敬之さんが、覚醒剤取締法違反(所持)のほか、ラッシュを所持していたとして医薬品医療機器法違反(同)に問われたことで、記憶に残っている人もいるかもしれない。

ヒデさん本人の話をもとに、裁判を振り返りたい。

ヒデさんは、2014年に使用が規制される前からラッシュを使用したことはあった。といっても、誰かが持っていれば使わせてもらう程度で、まったく使わない期間も長かったという。

ラッシュの使用や所持が規制されたことは知っていたというヒデさん。しかし、医薬品の輸入代行業者を通じて海外からラッシュを買えることを知り、この方法ならば合法なのではないかと思ってしまったという。「今考えれば、法律的な知識が乏しかったと思います」とヒデさんは肩を落とす。

そして2015年12月、初めて購入したラッシュは無事、自宅に届いた。

ところが、同じ月に再び購入したラッシュは自宅に届かず、翌1月に再送してもらっても届かなかった。同じ年の6月、ヒデさんは税関に家宅捜索と任意聴取を受け、告発された。

それから約11カ月後の2017年5月、ヒデさんは警察による家宅捜索と任意聴取を受けた。このことは職場に知られることとなり、当時、地方公務員として働いていたヒデさんは懲戒免職処分になった。

その2カ月後に在宅起訴され、今年6月にようやく有罪判決が言い渡された。コロナの影響もあり、裁判は3年に及んだ。

●懲戒免職処分をはじめとする「社会的制裁」

「職を失ったことが一番大きな不利益でした」とヒデさんは振り返る。精神的にも追い込まれ、解雇されてから1年間は定職に就かずに生活していたという。

ヒデさんを追い込む出来事は懲戒免職処分にとどまらなかった。

これまで積極的におこなってきた地域の文化活動は自粛を余儀なくされた。地域の舞台に出演しようとしたときは、チラシにヒデさんの名前が掲載されているとして、市役所に苦情が入ったこともあるという。

また、これまで分担執筆してきた児童向けのシリーズ本の執筆メンバーからも外された。すでに出版した本からはヒデさんの名前は消え、すべてペンネームに差し替えられた。

さらに、判決後はラッシュを輸入して有罪となったとして、勤務先、職種などとともに実名報道したメディアもあった。ヒデさんは両親を不安にさせないため裁判のことを話していなかったが、この報道によって両親に知られてしまったという。

●ラッシュは「指定薬物」の要件をみたすのか?

弁護団は裁判で、ラッシュ(亜硝酸イソブチル)は医薬品医療機器法が規制する「指定薬物」にはあたらず、ヒデさんは無罪だと主張。

もともと、指定薬物に関する規制が厳罰化したのは、危険ドラッグの乱用による交通事故の発生や健康被害が相次ぎ、社会に規制の機運が高まったためだった。

しかし、その多くは合成カンナビノイドや合成カチノンによる影響と考えられているという。弁護団は有害な物質は適正に規制されなければならないと考える一方で、ラッシュは「指定薬物」として規制に値するものなのか疑問を抱いていた。

過去にゲイの仲間とラッシュを使用していたというユウジさん(仮名・40代男性)によると、鼻から吸うと酔ったような感覚を感じられたというが、幻覚などはなかった。血管拡張作用があるため、肛門などの筋肉をゆるませる効果があり、性交時の痛みを緩和するために使う人が多いという。

「効果は短いので、みんな(行為中に)何度も吸っていました。ただ、自分のまわりでは依存症になった人や具合が悪くなったり、危険なことをしたりする人は見たことも聞いたこともないです」(ユウジさん)

森野弁護士は「ラッシュの有害性はほかの薬物と比べて低いにもかかわらず、その刑罰はあまりに重すぎる」と指摘する。

●刑罰や懲戒免職処分は妥当か?控訴に向けて

判決を受け、ヒデさんと森野弁護士は控訴に向けて準備を進めている。また、懲戒免職処分についても「拙速で重い処分」であるとして取消しを求めているという。

ラッシュの規制によって社会的な不利益を受けたり、精神的に追い込まれたりしたのはヒデさんだけではない。

実際に、ヒデさんが弁護士や精神保健福祉士などの支援者とともに2018年8月に立ち上げた「ラッシュの規制を考える会」には「医療目的でニトライト(亜硝酸イソプロピル、亜硝酸イソペンチル)を輸入・所持して罰金の略式命令が出された」「かつて逮捕されてしまったことで孤立した」などの相談が複数寄せられているという。

森野弁護士は、次のように語る。

「人に『刑罰を科す』ということは、職場における懲戒処分、資格の制限など、その人にさまざまな社会的不利益を与えることにつながります。だからこそ、刑罰を科すからにはきちんとしたプロセスを経て、その根拠を示すべきです。

規制のあり方については、業者の取り扱いを禁止するなどの流通規制をおこなったり、年齢制限を設けたりするなど、別の方法も考えられると思います。使用や所持で罰することや懲戒免職処分は行き過ぎているといえます」

はたして、ラッシュの規制は妥当なのか。その有害性と刑の重さは釣り合うものなのか。今後の議論が注目される。

●裁判での主張

<弁護団の主張>

弁護団の主張は多岐にわたるが、まとめると次のとおりだ。

・下記の指定薬物の要件に該当しないこと
(1)中枢神経系の興奮もしくは抑制または幻覚の作用を有する蓋然性が高いこと (2)人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがあること (医薬品医療機器等法2条15号)

・厚労相が意見を聴くべきとされた(3)「薬事・食品衛生審議会指定薬物部会」での議論が極めて不十分なこと

・(4)厚労省の指定自体が裁量権を逸脱していること

弁護団が(1)の根拠としてあげたのは、医学雑誌「THE LANCET」に掲載されている論文(注1)や国立精神・神経医療センター精神保健研究所の薬物依存研究部による調査(注2)、医師の証言、当事者へのアンケート調査などだ。

他方、弁護団は指定の際の根拠とされた論文(注3)には亜硝酸イソブチルの「中枢神経系への(直接的な)作用」について明記されていないと指摘した。

また、(2)については、「保健衛生上の危害が発生するおそれ」とは「人体または社会に対して一定程度以上の害悪を発生させるおそれがある場合」をいうとし、亜硝酸イソブチルは人体に対する悪影響が少ないこと、自傷他害事例は報告されていないことなどをあげた。

<裁判所の判断>

ヒデさんの裁判で、裁判所は薬学、医学などの専門知識などは持ち合わせていないとして、厚労相の判断を一定程度尊重する姿勢をみせた。

そして「精神毒性や保健衛生上の危害の発生のおそれの存否を判断するのではなく、厚労相がそのように判断したことに合理性があるか、それが裁量の範囲を逸脱していないかを審査すべき」と前置きをしたうえで、厚労相が亜硝酸イソブチルを指定薬物に指定したことは合理的であり、適法であると結論づけた。

弁護団の主張に対しては、アルコールやニコチンと比較して規制の当否を論ずるのは相当でない、「保健衛生上の危害が生じた場合であっても、医療機関に対して自傷他害の報告がされるとは限らない」などとし、いっさい聞き入れなかった。

弁護団は裁判の意義や地裁判決の解説、今後の動向を参加者とともに考える報告会を9月5日にオンラインで開催する(https://rushcontrol.jimdofree.com/20200822/)。

●かつては気軽に買えたラッシュ…厳しい規制の対象に

ラッシュは主にセックスドラッグとして使用されていたほか、クラブやディスコで陶酔感を高めるためなどに使われていた。2000年代前半まではアダルトショップや通販などで気軽に買うことができた。

しかし、2006年に薬事法(現:医薬品医療機器等法)の改正によって指定薬物制度が導入されたことにより、ラッシュに含まれている亜硝酸イソブチルなどの「亜硝酸エステル類」とよばれる成分は「指定薬物」として規制の対象になった。このときは主に業者による販売などが禁止され、指定薬物の所持や使用などに関する規制はなかった。

その後、2014年に罰則が強化され、所持や使用なども禁止された。加えて、2015年には関税法が改正され、指定薬物の個人輸入が禁止された(10年以下の懲役または3000万円以下の罰金)。

個人輸入は医薬品医療機器等法でも禁止されている(3年以下の懲役または300万円以下の罰金)。このように2つの罪にあたる場合は、重い方(関税法)の刑罰が科されることになる(刑法54条1項)。

(注1)
亜硝酸エステル類(亜硝酸イソブチルを含む)の有害性は20薬物(アルコール、ニコチン、ヘロイン、コカイン、大麻など)のうち19番目であるとされている。
“Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse” THE LANCET 369 (9566)1047-1053ページ (2007年3月)

(注2)
「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患の実態調査」では自傷他害事例の報告例はないとされる。

(注3)
“Clinical Review of Inhalant” The American Journal on Addictions10(1)79ー94ページ(2001年)