ウクライナ機の誤爆を受けて、イランでは反体制でデモが続いている(写真: Nazanin Tabatabaee/WANA via REUTERS)

年末年始を挟んだアメリカとイランによる劇場型の軍事的な衝突がひとまず沈静化したが、今度はイラン国内で大規模な反体制デモが続いている。きっかけは、アメリカとの瀬戸際の駆け引きが行われている際、イランを飛び立ったばかりのウクライナ民間機が墜落したことだ。

乗客乗員176人が死亡したこの事故について当初イランは、「技術的トラブル」と説明していたが、アメリカメディアなどの報道を受けてイラン軍の誤射による事故だったと認めた。墜落事故を隠蔽しようとしたわけだが、これに対して国民の怒りが爆発。首都テヘランや中部イスファハン、南部シラーズ、西部ハマダンなどで体制に抗議するデモが行われた。

「われわれの敵はここにいる」

テヘランでは約1000人が参加したと伝えられ、規模はさほど大きくないものの、最高指導者ハメネイ師や革命防衛隊に対する非難の声が上がった。テヘランの大学でデモ隊は、「彼ら(体制)はアメリカだとウソをつくが、われわれの敵はここにいる」と体制や革命防衛隊を非難。「お前たちはわれわれにとってのIS(過激派組織イスラム国)だ」と叫んだ。ハメネイ師が率いるイスラム体制そのものの打倒を訴えているのだ。

イラン国民による反政府デモは今に始まった話ではない。イランでは、アメリカの経済制裁によって財政が悪化しており、昨年11月にはガソリン価格を大幅値上げ。これに反発する抗議デモが発生し、鎮圧に当たった革命防衛隊の発砲により、全土で数百人が死亡している。

このときのデモでは、ハメネイ師への辞任要求や革命防衛隊への反発など革命体制に対する非難の声も上がり、イラン指導部は厳しい立場に追い込まれかねない状況にあった。革命防衛隊は、1979年のイスラム革命を機に生まれたエリート集団だが、市民に銃口を向けたために評判は失墜していた。

こうした中で起きたのが、アメリカによるソレイマニ司令官の殺害事件だが、この後のイランの対応には体制の“焦り”を感じずにはいられない。例えば、イラク駐留アメリカ軍に対する報復の爆撃では、トランプ大統領がアメリカ兵に人的被害は出なかったと発表したのに対して、イラン側は80人のアメリカ兵が死亡したとあからさまな誤報を流した。

中東では、対立する双方の間で情報が食い違ったり、180度違ったりするのはしばしば。情報統制が行われたり、メディア自体が政府や特定の政治主体の影響下に置かれていたりする場合があり、露骨な情報操作が目につく。誤報であっても、流された情報を信じる層が一定の割合で存在し、メディアリテラシーの欠如も目立つ。80人殺害という数字には、ソレイマニ司令官を殺害されたことに対して、相応の報復を行ったとイラン体制の支持基盤である保守層に示さなければならないイラン政府の焦りがある。

そもそもソレイマニ司令官の存在も、イラン国内では演出されてきた。ドキュメンタリー映像などを作成して不屈の司令官という英雄像を作り出した。保守層の間では、このような演出が受け入れられ、実際に英雄だった。

一方で、革命防衛隊、とくにコッズ部隊のイラクやシリア、レバノン、イエメンなどでの活動は、イランの対外イメージを損なうなど国益にとってマイナスに作用しているのではないかという見方も台頭していた。

反米思想を改めて喧伝する機会に

そういう観点から言うと、ソレイマニ司令官殺害は、イランの体制にとっては渡りに船の側面があったといえる。イランのメディアは、「英雄」の死を大々的に伝え、南東部ケルマンで行われた葬儀には、数百万人が参加。大勢が押し寄せたため、将棋倒しで50人以上が死亡する事態となった。

イランには反アメリカ、反イスラエルで凝り固まった保守層が存在し、ソレイマニ司令官もこうした層から絶大な支持を集めていた。体制にとっては、司令官の死は、反米思想を改めて宣伝する格好の機会となった。普段は体制や革命防衛隊を好ましく思っていない層も、司令官暗殺というアメリカの乱暴なやり口を前に、体制批判を展開しづらい雰囲気が広がったのだ。

イランの思想操作は、今に始まったことではない。イランの反米、反イスラエルというイデオロギーも、体制を維持して強化するために意図的に作られてきた側面がある。

1948年に建国されたイスラエルを、イランはイスラム教徒が多数派を占める国家の中ではトルコに次いで2番目に早く承認した。対スンニ派という点でイランとイスラエルの戦略的な利害が一致したからだ。イランはアメリカとも親密な関係を築き、今も当時供与されたアメリカ製戦闘機を保有する。

ところが、1979年のイラン・イスラム革命で一転する。この日を境にアメリカは「大悪魔」となり、イスラエルが敵となった。
 
テルアビブ大学のイラン研究者ドロン・イツハコフ博士は論考で、「ホメイニ師はイスラエルに対する憎悪を、政権を強化するために使える『道具』と考えた。そして、イランの体制にとって、こうした憎悪が中核に位置づけられ、イランのアイデンティティーを形成することになった」と分析する。

イスラムが西側の価値観に脅かされているとの現実的な理由もあった。だが、「イスラム国家の構築」という一大プロジェクトを成し遂げる思想やエネルギーを、アメリカやイスラエルとの対立に求めたのだ。

カナダ人犠牲者が多かった理由

ソレイマニ司令官の殺害をきっかけに国民を団結させるのに成功したイランだったが、大きな誤算となったのが、8日に起きたウクライナ機の誤射事件である。

イギリスのBBC放送によると、176人の内訳は、イラン人82人、カナダ人が57人、ウクライナ人11人など。イラン人に次いでカナダ人が突出して多いのは、1979年の革命の混乱を逃れた旧体制の王政派や、イランの将来を悲観してカナダに渡ったイラン人が多数いるためだ。カナダには現在、イラン系の人々約21万人が暮らしているという。筆者の知人夫婦も数年前、保守的で経済的にも展望が開けないイランでの生活に絶望し、カナダに移住した。

在外イラン人の中には、体制はいずれ崩壊すると予測する人もいる。イラン国民の中にも、イスラム思想を固守して保守的な価値観を押し付ける体制に辟易している人々がいる。だが、イラン国内に革命防衛隊などの暴力装置が張り巡らされており、昨年11月のデモもインターネットを遮断し、自国民数百人を殺害する恐怖支配によって封じ込めた。

イラン情勢が注目される中、トランプ大統領は1月12日、「偉大なイランの人々を殺すのをやめろ!」とツイッターに投稿。アメリカという敵との正面対決をなんとか回避したイランの体制は、国民という内なる難題への対応に苦慮することになりそうだ。