安倍晋三首相とドナルド・トランプ大統領の親しい関係は結局、表層的なものにすぎなかった。写真は6月28日、大阪市内で行われた日米首脳会談で握手する日米首脳(写真:時事通信)

10年ほど前、外務省の幹部が次のような話を明かしてくれたことがある。

「日米安全保障体制が揺らいだ時に日本はどうすべきかを検討する必要があるのではないかと省内の会議で問題提起した。ところが上からの指示は、そんな研究をしていることがアメリカに伝わるだけで大変なことになる。今後は一切、そういうことは口にするなと厳しく指示された」

また、2017年にトランプ政権が発足した直後、別の幹部に「かつて日米経済摩擦が激しかったころ、外務省は経済問題で日米がいくら激しくぶつかり合っても、日米は同盟関係という土台があるから揺るがないと語っていた。しかし、トランプ大統領は経済と安保を同列に扱い、日米安保を取引材料にして貿易問題などで日本に譲歩を迫ってくるのではないか」と尋ねたことがある。その幹部は「アメリカの政権がそんなことをするわけがない」と言下に否定した。

ついに飛び出した「日米安保条約破棄」発言

「日米安保条約」や「日米同盟関係」という言葉が出ると、大半の日本政府関係者の思考は停止する。いずれも確固たる不動のものであり、日本の内政・外交上の多くの政策の大前提となっている。したがって日米安保条約の破棄だとか、日米同盟関係が交渉の取引材料に使われるなどということはあってはならないことなのだ。

その大前提を壊してしまいかねない発言が、トランプ大統領の口から飛び出した。

ブルームバーグは6月25日、「トランプ大統領が日米安全保障条約を破棄する可能性について側近に漏らしていた」と報じた。続く26日にはFOXビジネスニュースの電話インタビューで、トランプ大統領本人が「日本が攻撃された時、アメリカは第3次世界大戦を戦い、猛烈な犠牲を払うことになるが、アメリカが攻撃されて救援が必要なとき、日本はソニーのテレビで見物するだけだ」と安保条約への不満を公言した。

これらを予感させるような兆候は24日にもあった。トランプ大統領はツィッターに、「中国は原油の91%、日本は62%、ほかの多くの国も同様にホルムズ海峡から輸入している。なぜアメリカはこれらの国のために無償で航路を守っているのか。これらの国は自国の船を自分で守るべきだ」と書いている。

トランプ大統領の今回の発言もこれまで同様、補佐官らと入念に意見交換をし、緻密に計算したうえでのものではなさそうだ。おそらく何かきっかけがあったのだろう。タイミングからしてそれはイラン問題であろう。

安倍首相がイラン訪問中の13日、ホルムズ海峡で日本とノルウェーの海運会社が運航するタンカーが相次いで攻撃を受けアメリカ軍が救出した。アメリカは攻撃したのはイランだと主張している。

20日にはアメリカ軍の無人偵察機をイラン軍が撃ち落とした。翌21日にはトランプ大統領がツィッターに、アメリカ軍が報復措置としてイランの3か所の攻撃を計画したが、150人の死者が出ると報告を受けたトランプ大統領は攻撃開始10分前に停止した、と書き込んだ。だからといってアメリカが何もしなかったわけではなく、アメリカ軍がイラン軍のミサイルシステムに対するサイバー攻撃を行ったと報じられている。

駐留米軍経費を負担すれば、核武装も認める

イランとの間の一連の動きは緊張感溢れるものであったろう。攻撃されたタンカーが日本の海運会社が運航していたこともあって、トランプ大統領のいら立ちが日本に向けられたのかもしれない。

しかし、それだけでは済まないだろう。2016年秋の大統領選に当選した当時、トランプ大統領は「日本は駐留米軍の経費を100%払うべきだ。そうしないならアメリカ軍は撤退する。その代わりに核武装を許してやろう」という発言をしており、考えは一貫している。ただ、だからといって日米両国政府間で日米安保条約の破棄が正式な交渉テーマになることはおそらくないだろう。

G20首脳会議出席のため日本を訪問するという直前の発言は、やはりトランプ大統領一流の、最初にきついことを言って相手をひるませて、その後の取引を有利に進めるという、ビジネス風の交渉スタイルが出ているのかもしれない。

参院選後には日米間の貿易交渉が本格化する。2020年には在日米軍の駐留経費の日本側負担の見直しをめぐる交渉が本格化する。こうした交渉を前に、「日米安保条約破棄」で日本を少々慌てさせておけば、譲歩を引き出しやすいと考えているのかもしれない。「経済」と「安保」を分けて考えないトランプ流交渉術である。日本にとって厄介な交渉になるだろう。

ここでトランプ大統領が「日米安保条約破棄」を示唆したのであるから、それが現実になった場合、何が起きるのか考えてみよう。

旧日米安保条約は1951年9月に、サンフランシスコ講和条約と同じ日に調印されている。その内容には、外国の干渉などによって日本に大規模な内乱が起きた場合、日本が要請すればアメリカ軍が鎮圧することが書かれた「内乱条項」など、一方的で不平等な内容が多かった。

数年間の改定交渉を経て1960年1月に調印された新安保条約は、日本中で反対運動が展開される中、自然成立の形で批准され、今日に至っている。そこにはいずれか一方の国が条約終了の意思を通告すれば、「1年で終了する」と書かれている。

安保見直しにはアメリカ国防、国務両省も反対

日米安保条約が終了すれば、まずアメリカ軍が日本に駐留する根拠がなくなる。したがって陸海空、海兵隊のすべてのアメリカ軍が日本から出ていく。その結果、日本の周辺国に対する抑止力は著しく低下することになる。

またアメリカ軍と自衛隊の共同訓練、情報収集や情報交換などもストップする。その結果、日本は自力で情報収集をすることになり、周辺国の軍隊に関する情報は激減する。自衛隊そのものの力も低下するだろう。一方で中国やロシア、北朝鮮の軍事的圧力が格段に高まる。国内では防衛力強化や自主防衛論が高まり、防衛費の大幅な増額は避けられない。それが財政危機を加速する可能性も出てくる。さらに、いわゆるアメリカ軍による「核の傘」もなくなることから、国内から核武装論も出てくるかもしれない。

しかし、日米安保条約破棄で困るのは日本だけではない。アメリカ軍にとって在日米軍基地は貴重な戦略的資産である。外国にこれだけ多くの自由に使うことが可能な基地を持っていることは、アメリカ軍を世界中に展開するうえで大きな意味を持っている。したがって、仮にトランプ大統領が本気で日米安保の見直しなどを提起すれば、国防省も国務省も強硬に反対するであろう。

とはいえトランプ大統領の今回の一連の発言が、アメリカの変化を示していることは明らかだ。「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と言って、世界中を驚かせたのはオバマ大統領だった。そしてトランプ大統領はさらに進んで「各国は自分のことは自分で守れ」「アメリカに頼むなら応分の負担をしろ」と言っている。トランプ大統領の自国中心主義が、じわじわと日本外交の基軸である「日米同盟関係」に及び始めたのかもしれない。

今回、トランプ大統領発言によって明らかになったのは、トランプ大統領は日本が期待しているほどには日米関係の本質を理解していないこと。そして、安倍首相が苦労して積み重ねてきたトランプ大統領との親しい関係が表層的なものでしかないということだ。大相撲見学やゴルフと至れり尽くせりのおもてなし外交の結果、世界で最も親密な関係を作ったはずのトランプ大統領は、想像以上にドライな人物のようだ。

日本にとって日米同盟関係は「外交の基軸」であり続けるだろう。それを守るために安倍首相は、トランプ大統領を相手にするときは今まで以上に「腫れ物に触るような外交」を強いられそうだ。