「ストーリーにハマれない」という評価が目立っています(東洋経済オンライン編集部撮影)

ガッキー(新垣結衣)がピンチだ。

10月10日(水)にスタートした松田龍平とW主演のドラマ「獣になれない私たち」(日本テレビ系 水曜よる10時〜)の視聴率が芳しくない。

初回11.5%のあとは、2話8.5%、3話8.1%、野球で放送時間が大幅にずれ込んだ4話は6.7%(ビデオリサーチ調べ:関東地区)と下がり続けている。

今の時代、視聴率がすべてではなく、SNSで話題に上る視聴熱などが重要とはいえ、まだまだ視聴率で勢いが測られてしまいがち。世間は視聴率の低い理由を探してああだのこうだの語り合う。それも楽しみのひとつなのである。

ドラマにそんな「リアル」は欲しくない?

散見される意見は、「ストーリーにハマれない」こと。公私ともに冴えない主人公の日常にモヤモヤする。ここからはネタバレを含むことをあらかじめ断っておきたい。

「けもなれ」とも呼ばれている本作で、ガッキー演じる深海晶は広告会社でアシスタントディレクターの仕事をしているが、待遇以上の仕事をやらされて疲弊していた。そのうえ、付き合っている恋人・京谷(田中圭)の自宅マンション(持ち家)には元カノ・朱里(黒木華)が座敷わらしのごとく住んでいるため、晶がそこに住めない。つまり結婚にまで話が進まない。

公私ともにモヤモヤを抱えながら表面的にはニコニコと受け流している晶はさすがに耐えかねて、1話で地下鉄に飛び込みそうになる。SNSなどを見ると、視聴者としては、そこまで耐えているのが共感できないと思った人も多かったようだ。確かに、4年も居候している元カノとか、あまりにも異様な状況である。

晶は晶なりに、自分が置かれた状況に対抗する“戦闘服”としてアバンギャルドな服と靴を購入して、ことに当たろうと試みつつも、3話まで状況は上向かない。4話では、あろうことか、京谷が服のデザイナー・呉羽(菊地凛子)と一夜を共にしてしまい、モヤモヤがさらに募った晶は腹いせに、行きつけのクラフトビールバー5tapの常連・根元恒星(松田龍平)と一夜を共にしようとする……。

「獣になれない私たち」というタイトルだけあって、描かれているのは、晶が何かあっても理性的に対処してしまうことの葛藤。つまり、「いつか晶が本能を解き放つときが来るのか?」 という興味が求心力になっているのだ。1話でもすでに恒星が晶を誘っている。だがその時、晶は「徒歩3分でたぶらかされるほどバカじゃない」ときっぱり断り、ガッキーファンを安堵させた。

そして4話。ここまでの間、晶のストレスもたまりにたまっているため、いよいよか……とやきもきしたが、途中で恒星が寝てしまったので未遂に終わり、再び安堵。

脚本と演出と理解してはいるものの、このエピソードを見て思うのは、晶が覚悟を決めて恒星と向き合ったこういうとき、キスはするものなのかと躊躇することをはじめとして、なにかと手慣れてない感を出す彼女に、見ているほうはホッとすること。

パブリックイメージとの乖離

今カレ・京谷とも、もうひとりの存在の恒星(なにしろダブル主演)ともなかなか進展しない関係(ドラマのキャッチコピーは「ラブかもしれないストーリー」)をもどかしく思ってイライラする楽しみではなく、晶、いや、「ガッキーはガツガツ、サクサクいかないでくれー」っと祈るような気持ちになる。

新垣結衣とはそういう“見守りたい”感情を呼び起こす存在といえよう。親心、彼氏心、女友達心、なんでもいいが、誰もが彼女には、「世の中の汚いものから距離をとっていてほしい」と思ってしまう。

これまでの新垣結衣のパブリックイメージは「透明感」とか「清純」「健気」というものだ。

美白をうたった化粧品の「雪肌精」(コーセー)や、雪の中で歌うCMが印象的なチョコレート「メルティーキッス」(明治)など、彼女の出ている広告はそういう透明感や清らかさが大事にされている。なにより、彼女が注目された、「ポッキー」(江崎グリコ)のCMで踊っている姿の無邪気さ、思い切りのよさ、伸びやかさ。これが10年近く経った今でも強烈に彼女のイメージを作り上げている。

今年、興収90億円を超えた大ヒット映画『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(2018年)で新垣が演じたヒロイン・白石恵は勤勉なフライトドクター。黒髪をキュッと後ろで1本に縛っている姿は清潔感にあふれ、飾りっ気のないつなぎのユニフォームは仕事にすべてを注ぐ真摯さを象徴している。

「リーガルハイ」(フジテレビ)シリーズの新人・弁護士・黛は「朝ドラのヒロインのよう」と言われてしまうほどのきまじめキャラ。ボブカットで地味なスーツ姿が清楚さと知性を漂わせる。不正を許さずまじめに突進していくさまは、主人公・古美門(堺雅人)でなくともイジメたくなる。打たれ強いのでイジメがいがあるのだ。「けもなれ」で言えば、やたらと仕事を押し付けてくる会社の社長・九十九(山内圭哉)は、そんな感じで晶にあれこれ言っているように映る。

社会的ブームになるほどヒットした「逃げるは恥だが役に立つ」(TBS、2016年)の主人公・森山みくりは、恋愛経験がそこそこあり、相手役の恋愛に不慣れな平匡(星野源)を手取り足取り導く役ではあったが、グイグイ行くのではなく、まじめな教師や看護師のように、相手を決して萎縮させない雰囲気だった。

新垣結衣が彼女の代表作で演じてきた女性は大抵、スラッとモデルのような体型をしているが、一歩後ろで男のケアをするできた女性像だ。小柄で幼さを売りにした感じではなく、洗練された服装だって似合っちゃうし、知性も教養もある。けれど決して出すぎない、そんなイメージだ。

「獣になれない私たち」でも京谷と出会った派遣先の会社で晶は、仕事もできるうえ気が利くので、飲み会でもかいがいしく働いていて、京谷の目に留まった。結局、なんでも理解して受け入れてのみ込んでしまうので、元カノをマンションから追い出せなくても、呉羽とうっかりやってしまっても、甘え続けられる。まさに頼れるできた女と言えば聞こえがいいが、都合のいい女状態だ。

希有な女優になってほしい

ガッキーがすごく好きでもさほどではなくても、多くの人がガッキーに期待しているのはそうではないだろう。

筆者は、ピュアな強さをもって闘う、ジブリのヒロインのようでいてほしいと思っている。ジブリヒロインの代表・クラリスやナウシカの声を演じた島本須美は声優だが、新垣結衣は声も肉体も含めて島本須美でいてほしい。そんな願いを抱いてしまう。

よくある女優のステップアップ方式のように、物理的に一皮剥いたらいい女優なのか。汚れ役に挑んだらいい女優なのか。もちろん、それでステップアップする女優もいるだろう。

だがしかし、そうしないで、いつまでも声優でない島本須美のようであることができたら、新垣結衣は希有な女優になれるかもしれない。

象徴的なのは、「けもなれ」の九十九が好きな昭和の伝説の女優・原節子だ。

原節子は「永遠の処女」と呼ばれるほどの不可侵な清らかさのある女優で、名匠・小津安二郎監督映画のミューズであった。

原節子は素の部分をいっさい世間に明かさないまま引退し、この世を去った。彼女の時代と現代では時代が違いすぎるし、新垣結衣をそこまで縛るのは酷だとはわかったうえで、誰もが通る道、生々しい恋愛シーン、とんでもない悪女……などをやることでステップアップするパターンを選ばず(たぶん、クレバーな彼女ならそれだってできるのだ)、原節子的な女優を目指してほしい気もするのだ。また島本須美を引き合いに出すのもあれだが、『めぞん一刻』の響子さんを完璧に演じられる女優はなかなかいない。

「獣になれない私たち」は目下、晶という役と新垣結衣のパブリックイメージがみごとに重なって、晶、および新垣結衣がこれからどうなっていくのかという半分、ドキュメンタリー風なドラマと言ってもいいのかもしれない。

もしかしたら、このドラマを経て、『シン・ゴジラ』みたいに、どんどん進化していくのかも。だが、できれば、獣にならないでほしい。新垣結衣なら納得の響子さんを演じられるのではないか。リアルを演じることよりも、そういうなかなか現実にはいない永遠のあこがれを演じることができてこそ、真の女優ではないか。