※写真はイメージです(写真=iStock.com/Kenishirotie)

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今年度から小学校の道徳が正式な教科になった。教科書は国の検定を受け、記述式のテストもある。この教科書では当初、物語の一部にパン屋が登場していたが、国から「『伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度』を組み込むように」という意見が付き、パン屋は和菓子屋に変わった。文部科学行政に詳しい寺脇研氏は、「道徳の教科書は子どもが考えて議論する教材ではなくなっている」と指摘する――。

※本稿は、寺脇研『危ない「道徳教科書」』(宝島社)の一部を再構成したものです。

■戦後に始まった教科書検定制度

現在使用されている小学校の道徳教科書が検定を受けたのは2016年のことである。教科書の検定とは、民間出版社が出す教科書の内容が適切かどうか、国が審査する制度である。

内容が学習指導要領や検定基準に基づいているかどうかを、教科用図書検定調査審議会の委員が専門的、学術的な立場から審査する。大学教授などの審議会委員が30名、小中学校、高校の教員なども加わった臨時委員が117名、専門委員が68名に及び、それらが各教科に分かれて議論する。

もし、内容に問題がある場合には「検定意見」がつけられ、教科書会社は必要な修正をして再び審査を受け、適切な修正が行われたと認められれば合格となる。検定審査が最終的に「不合格」となるケースはごくまれだが、まったくないわけではない。

この教科書検定制度は戦後に始まったもので、戦前には国が作った「国定教科書」が使用されていたが、国民の思想統制につながったとの反省から1947年にスタートした。その結果、49年度から検定教科書が使用される。その後、56年に検定体制は大幅に拡充され、今日のような制度の基礎ができた。

■内容が不十分だと「検定意見」が付く

さて、その検定の結果からすれば、小学校の道徳教科書は8社(計66冊)すべてが合格した。ただ、そのうちいくつかの教科書には「検定意見」がつけられ、修正がなされた。

「検定意見」と言うと、修正のしかたまで指示されるようなイメージを抱く人がいるかもしれないが、「こう修正すれば合格させる」といった誘導的な意見がつくことはない。

小学校道徳教科書の検定では誤記や事実誤認を含め244の検定意見がついたが、そのうち多かった(43意見)のは「指導要領の内容項目が教科書に反映されていない」というものだった。

道徳の学習指導要領(小学校)には学年ごとに、19〜22の教えるべき内容項目がある。それは次のようなものだ。

<○善悪の判断、自律、自由と責任 ○正直、誠実 ○節度、節制 ○個性の伸長 ○希望と勇気、努力と強い意志 ○真理の探究(5、6年生のみ) ○親切、思いやり ○感謝 ○礼儀 ○友情、信頼 ○相互理解、寛容(3年生以降) ○規則の尊重 ○公正、公平、社会正義 ○勤労、公共の精神 ○家族愛、家庭生活の充実 ○よりよい学校生活、集団生活の充実 ○伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度 ○国際理解、国際親善 ○生命の尊さ ○自然愛護 ○感動、畏敬の念 ○よりよく生きる喜び(5、6年生のみ)>

教科書はその内容をすべて網羅することが求められるが、それが不十分と判断された場合に「意見」がつくことが多い。ただし、その意見をどう理解し、具体的にどう修正するかはあくまで教科書出版社側の判断になる。ここでは3つの「修正例」について、どのような内容に意見がつけられたのかを見ていきたい。

■「感謝の扱いが不適切」

まず東京書籍(4年生)に掲載された「しょうぼうだんのおじさん」である。

通学路にあるパン屋のおじさんは町の消防団員だが、ある日少年が広場を通りかかり、消防訓練に励むおじさんを見て、感謝の気持ちを抱くというストーリーである。

だが検定意見を受けてこの「おじさん」の部分は「おじいさん」に変更され、イラストも「おじさん」から「おじいさん」になった。

このような変更がなされた原因は、「感謝の扱いが不適切である」という検定意見がつけられたことによる。

学習指導要領の「感謝」の項目(3・4年生)にはこうある。

<家族など生活を支えてくれている人々や現在の生活を築いてくれた高齢者に、尊敬と感謝の気持ちをもって接すること。>

この「しょうぼうだんのおじさん」の話は「感謝」に対応したストーリーだったのだが、「高齢者」が「おじさん」だったことが問題となった。正確に言えば、文科省が「おじさん」そのものを問題視したわけではなく、「高齢者」に対応する内容がなかったことが「不適切」と判断されたのだろう。

■感謝の対象を「高齢者」に限る必要があるのか

検定意見に対し、結果として出版社側が「おじいさん」に変更してその結果合格したため、「おじさん」が不適切だったのだろうと思われがちだが、それは誤解である。

検定は非常に細かく行われており、出版社側は指導要領の一字一句に目を凝らし、内容を反映することが求められるのである。

だがそもそも、学習指導要領がここであえて「高齢者」にこだわる意味が、どれほどあるのか疑問を感じる。5・6年生の「感謝」の項目は、

<日々の生活が家族や過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し、それに応えること。>

となっている。これならわかるが、3・4年生の項目だけ「高齢者」という言葉が入っている。いまの自分があるのは「現在の生活を築いてくれた高齢者」であると「高齢者」だけことさらに抜き出す必要があるのだろうか。「過去からの多くの人々」のひとりである「おじさん」に感謝してもいいではないか。「高齢者」とは法令上65歳以上を指すわけだが、3・4年生の場合64歳以下には「尊敬と感謝の気持ちをもって接」しなくてもいいかのような誤解を与えないだろうか。

■「パン屋」が「和菓子屋」に変更

次は、やはり東京書籍(1年生)に収録された「にちようびのさんぽみち」という教材である。

この話は少年の「けんた」がおじいさんと町に散歩に出て、いろいろな出会いや発見をするというストーリーだ。この教材の修正点は、登場していた「パン屋」が「和菓子屋」に変更されたというものである。

当初の内容では、散歩をしていた「けんた」はパン屋と会話を交わすシーンがあった。

そして、よいにおいがしてくるパンやさん。
「あっ、けんたさん。」
「あれ、たけおさん。」
パンやさんは、おなじ一ねんせいのおともだちのいえでした。おいしそうなパンをかって、おみやげです。

ところが「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと」という学習指導要領(対応項目は「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」)の内容が組み込まれていないという検定意見がつけられ、パン屋のくだりは次のように変更された。

そして、あまいにおいのするおかしやさん。
「うわあ、いろんないろやかたちのおかしがあるね。きれいだな。」
「これはにほんのおかしで、わがしというんだよ。あきになると、かきやくりのわがしをつくっているよ」
おみせのおにいさんがおしえてくれました。おいしそうなくりのおまんじゅうをかって、だいまんぞく。

そして、最後の一文も修正されている。修正前は「いつもとちがうさんぽみちもだいすきになりました」とあるが、修正後は「まちのことや、はじめてみたきれいなわがしのことを、もっとしりたいとおもいました」となっている。

これも「パン屋」は日本の文化ではないからダメだという話ではなく、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつこと」という内容が不足しているという指摘である。

■修正判断は出版社によるもの

出版社側が「パン屋」と「和菓子屋」を差し替えたため、「パン屋」が問題視されたような印象を受けるが、その修正判断は、文科省ではなくあくまで出版社によるものである。

もっとも、パン屋か和菓子屋かという問題は、子どもたちにとって何の意味も持たない修正だろう。そもそもこの教材を読んで「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」が養われるのかという疑問がある。合格後のものを読んでもそう感じるのだから、修正前のものはもっとひどかったのだろう。

日本の伝統と文化を尊重させたいのであれば、おじいさんとの散歩の道筋を平板に辿っただけの教科書を教室で読み上げるよりも、実際に町に出て、さまざまな昔からの店がある商店街の様子や、街角にある歴史の記念碑や説明板に接するほうが、よほど効果があるのではないだろうか。こんな不十分な読み物より、「町を探険してどんな店が昔からあるか、昔はどんな町だったのかを調べましょう」と呼びかける「探険ガイド」を掲載するべきではないか。

■「考え議論する道徳」ができない

このパン屋と和菓子屋の話題は、八木秀次麗澤大学教授との対談(『正論』2017年6月号)でも話題にのぼった。私と八木教授は基本的に異なる立場から意見を戦わせていたが、この部分では案外かみ合った議論となったので、少し紹介してみたい。

【寺脇】いわゆるパン屋と和菓子屋の話ですが、私も(文部官僚時代に検定を)やってたのでわかります。昔は検定側がこう直せとか言っていたけど、今はここについて文部科学省と教科書会社が一緒に考えていきましょうみたいなやり方です。文科省がパン屋は駄目で和菓子屋にさせたかのように報道されるけど、実は教科書会社が自ら考えて変えた。パン屋か和菓子屋かの問題ではなく、ちゃんと子供が考えて議論するような教材になっているかがポイントだったんじゃないですか?

【八木】そこです。道徳が教科になったにもかかわらず、これまでの副教材のほぼ焼き直しで工夫が見られず、「考え議論する道徳」の体をなしてない。「にちようびのさんぽみち」もずっと以前からあって、私にいわせると面白くもなんともないが、教科書会社の忖度があった。文科省が要請したかのような報道がされたので、パン屋の業界が怒り、給食に協力しないという話にまでなった。

【寺脇】例えばあんパンっていうのは、こんな昔からあった、明治の人が考え作ったんだよとか。古い伝統もあれば、私たちが新たにつくっていこうとしている伝統もあるわけじゃないですか。そんなことは考えなくて、パンじゃなく和菓子にすればいいという安易な教材ばかりだとすると、考え議論する道徳ができるのか心配になります。

【八木】伝統文化や愛国心について教育界ではこれまで重視されてこなかったから、それをどう教え、どう表現していいのかがわからない。そこで極端に振れる場合が出てくる。バランスのとれた、排外主義ではない美しい愛国心や、伝統と文化を大切にする自然な姿が必要です。そういう発想が教科書会社にも足りなかった。今後、現場でも課題になってくると思います。

【寺脇】「こんないいところが日本にはある」と言うのはいいけれど、「中国にはない」などと他を下に見て言わなくてもいいじゃないですか。なぜあんパンが伝統なのだろうとか、外国の知恵も取り入れましたとか、日本の風土に合うようにやってきましたとか議論があってしかるべきで、パン屋か和菓子屋かみたいな二元論でやるとマスコミは面白いだろうけど、道徳の本質は違うものになり、短絡的で表層の議論に終始しています。

教科書の問題については、パン屋が削除されたことが問題の本質ではないという意味で、私と八木教授の考えは一致している。現在の教科書が、どのような立場から見ても、およそ高く評価することはできないということの証明である。

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寺脇 研(てらわき・けん)
京都造形芸術大学 客員教授
1952年生まれ。東京大学法学部卒業後、75年文部省(現・文部科学省)入省。92年文部省初等中等教育局職業教育課長、93年広島県教育委員会教育長、1997年文部省生涯学習局生涯学習振興課長、2001年文部科学省大臣官房審議官、02年文化庁文化部長。06年文部科学省退官。著書に『国家の教育支配がすすむ』(青灯社)、『文部科学省』(中公新書ラクレ)、『これからの日本、これからの教育』(前川喜平氏との共著、ちくま新書)ほか多数。

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(映画評論家、京都造形芸術大学教授 寺脇 研 写真=iStock.com)