自衛隊の観閲式(観艦式、航空観閲式)は陸海空毎年持ち回りで実施されていますが、2018年は本来海自の順番だったところを陸自が実施しました。その理由と、これまでの観閲式の歴史、今年の見どころなどを解説します。

正式名称は「自衛隊記念日観閲式」

 昨今、たび重なる大規模災害に加えて、中国の海洋進出や北朝鮮の弾道ミサイルおよび核兵器に関する問題などで、自衛隊に注目が集まっています。また最近ではカレーや携行糧食などのいわゆる「ミリ飯」人気や、お見合い番組などでの自衛官人気などもあり、自衛隊の画像や映像を頻繁に見るようになっています。


中隊旗手として行進に参加していた女性自衛官(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

 そうした時、陸上自衛隊のイメージ素材として使われるのが、大人数の隊員が隊列を組んで徒歩行進したり、戦車や装甲車が車列を組んでパレードしたりするものですが、そのような光景が見られる代表的な機会といえるのが「観閲式(かんえつしき)」でしょう。とくに陸自最大規模なのが、埼玉県と東京都の都県境に所在する朝霞駐屯地(朝霞訓練場)で実施される「中央観閲式」です。

 2018年で46回目を数える中央観閲式ですが、インターネットなどでは「平成30年度第65回中央観閲式」とされていたりします。この違いは何なのでしょう。

 それは、1954(昭和29)年の自衛隊発足以来、1995(平成7)年まではほぼ毎年、陸海空各自が「観閲式(陸自)」「観艦式(海自)」「航空観閲式(空自)」をそれぞれ実施していたのに対し、1996(平成8)年以降は陸海空の1年ごとの持ち回り(陸→空→海の順)となり、陸自は3年ごとに行うこととなったものの、回数は陸海空の通算となったためです(2017年は空自主催の「第64回航空観閲式」、2018年は陸自主催の「第65回中央観閲式」)。

 しかも2001(平成13)年の第48回中央観閲式(陸自)は、アメリカ同時多発テロの影響で中止になったものの回数はそのまま積算され、翌年の航空観閲式は第49回として実施されたため、これらの影響から実施回数と名称回数に開きが生じているのです。


新制服で参加していた音楽隊員。今回の観閲式では新制服を着た隊員が多くいた(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

昨年度から部隊配備が始まったばかりの16式機動戦闘車は今回15両がパレードした(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

対ゲリラコマンド装備を着用して行進する第32普通科連隊の隊員(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

 ちなみに中央観閲式が中止になったのは、この2001年以外では過去2回あります。最初に中止になったのは1959(昭和34)年で、この時は伊勢湾台風の災害派遣の影響でした。そして2回目は1988(昭和63)年の昭和天皇の容体悪化(御不例)にともなうものです。なお、1990(平成2)年には即位の礼を11月に開催するための特例で、中央観閲式が約1ヶ月繰り上げて実施されました。

「東京オリンピック/パラリンピック」の影響がここにも

 ただし本来であれば、2018年は海自主催の観艦式の年でした。それがなぜ陸自主催の中央観閲式に変更されたのでしょうか。


今回初参加となった空自の最新鋭戦闘機F-35A(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

 それは2020年に開催される「東京オリンピック/パラリンピック」の影響を受けてのことでした。なぜなら、中央観閲式の会場である朝霞駐屯地(朝霞訓練場)は「東京オリンピック/パラリンピック」にてライフル射撃など射撃競技の会場として使用されることが決まったからです。

 朝霞訓練場は1964(昭和39)年の東京オリンピックでも同じくライフル射撃の競技会場として用いられました。そしてその後も、日本ライフル射撃協会や自衛隊体育学校によって使用されており、国体の予選会など多くの大会が開催されています。

 そのような実績から2020年までにオリンピックの高い基準に適合した仮設施設が整備されることとなったのですが、その施設はわずか1年で建てられるものではないため、本来なら2019年に予定されていた中央観閲式を観艦式と入れ替え、前倒しで行うことで朝霞訓練場の施設建設をスムーズに行えるようにしたのです。


九州から遠路参加した水陸機動団の水陸両用車(AAV7A1)(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

会場上空を飛行する海自の最新哨戒機P-1(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

装備品展示のみの参加であった74式戦車。会場に展示されていたのは、通称「74改」と呼ばれる4両しかないタイプ(2018年10月8日、月刊PANZER編集部撮影)。

 中央観閲式は2018年現在では、朝霞駐屯地(朝霞訓練場)で行われるのが通例となっていますが、最初からこの場所だったわけではありません。年配の方は観閲式を都内、神宮外苑で行っていたのを覚えている方もいるかもしれませんが、陸上自衛隊の前身である警察予備隊や保安隊時代にはさらに別の場所で実施していました。

 最初に観閲式が行われたのは、1951(昭和26)年8月10日の警察予備隊創設1周年記念行事で、場所は越中島駐屯地(当時)でした。そして翌年(1952年)の創設2周年記念行事も同時期に同じ場所で行われたのですが、この年の10月15日に保安隊に改編されると、同日に発足記念式典を神宮外苑で挙行し、都内を徒歩行進したのです。

 当然この行進は初めてのことで衆目を集めました。また、1年の内に2回も記念行事を行ったのはこの年が唯一でした。なおこの時、初めて吉田茂首相(当時)も臨席、以後総理大臣(代理含む)の臨席が通例となりました。

陸自発足前からの変遷と今年の見どころ

 また1953(昭和28)年の保安隊創立1周年記念行事は、練馬駐屯地で開催されましたが、吉田茂首相(当時)がオープンカーでグラウンドに整列した部隊を順閲しました。ちなみに、この時は式典終了後に練馬に集結した部隊が前年同様に都心に向けて行進を行っています。


1967(昭和42)年の観閲式で国立競技場前をパレードする陸自高射特科部隊(画像:月刊PANZER編集部)。

 一方、自衛隊が発足した1954(昭和29)年の観閲式は行われず、陸上自衛隊として初めて中央観閲式を実施したのは翌55(昭和30)年の創立1周年記念式典が初でした。この際に場所が神宮外苑に戻り、以後17年に渡って神宮外苑(1964年まで)や国立競技場正門前(1965年から1972年まで)で式典を行った後、都内を行進するというのが定番となります。

 しかし都内の交通事情はその20年の間に劇的に悪化しており、都心の一部を半日交通規制し、さらに自衛隊の行進(車両含む)を各方面に向けて行うことは難しい状況となっていました(1966年は5コースに分かれて都内をパレード)。

 かといって保安隊時代に用いた練馬駐屯地はもはや手狭であり、なおかつ事前準備や支援要員の受け入れなどを考え、1973(昭和48)年の中央観閲式から朝霞駐屯地(朝霞訓練場)に移ったのです。


1952(昭和27)年10月15日、保安隊発足記念式典にともなって初の都内行進を行う普通科部隊と音楽隊(画像:月刊PANZER編集部)。

1957(昭和32)年10月1日、神宮外苑絵画館前で行われた観閲式で、第1回特別儀仗を行う第302保安中隊(当時)(画像:月刊PANZER編集部)。

1980(昭和55)年の創立30周年観閲式で車両行進する74式戦車。当時は最新だった(画像:月刊PANZER編集部)。

 こうして朝霞駐屯地で中央観閲式を行うようになって45年が経ちましたが、今年の中央観閲式は様々な特筆すべき点が挙げられます。

 まずひとつ目は、執行者が陸上総隊司令官となった点です。これは昨年度末に方面隊の上級司令部として陸上総隊が新編されたことによるもので、それにともない従来執行者であった東部方面総監は実行本部長となりました。

 また観閲行進に16式機動戦闘車(一挙に15両)と水陸両用車(AAV7)が初参加となったほか、観閲飛行にはF-35Aが2機編隊で飛びます。

 なお会場の陸自隊員は迷彩服と制服のいずれかを着用していますが、後者はほとんど新型の紫紺の制服で統一が図られています。特別儀仗隊(ラッパ隊含む)や陸自音楽隊も新制服に身を包んでいるので、そこもまた見どころといえるでしょうね。

【写真】銀座をパレードする陸自中央音楽隊


1970(昭和45)年、自衛隊創立20周年で銀座をパレードする中央音楽隊(画像:月刊PANZER編集部)。