少しぐらい凄惨でもドラマの殺人シーンは許容されるのに?(写真:fergregory/iStock)

5月も半ばを過ぎて今春放送のドラマが折り返し地点を迎えました。ここまでの平均視聴率では、テレビ朝日の刑事ドラマである「特捜9」「未解決の女 警視庁文書捜査官」「警視庁・捜査一課長」がトップ3をほぼ独占。その他では、「シグナル 長期未解決事件捜査班」(フジテレビ系)、「執事 西園寺の名推理」(テレビ東京系)も同じように“殺人事件の解決”がテーマの作品であり、一定の人気を集めています。

これを連ドラ全体で見ると、民放各局でプライムタイム(19〜23時)に放送されている14作中5本(36%)もの作品で殺人事件を扱っていることになりますが、この傾向は今春だけではありません。前期も14作中5作(36%)でしたし、前々期の昨秋も13作中3作(23%)、昨夏も14作中5作(36%)、昨春も13作中7作(54%)と、1年を通して殺人事件がテーマの新作ドラマが作られていることがわかります。

これらの作品では、ほぼ毎回殺人事件が起き、死体にクローズアップする映像などがあるにもかかわらず、視聴者に受け入れられているのです。また、平日の日中に「相棒」「科捜研の女」(ともにテレビ朝日系)などが放送されていることも、それを裏づけていると言えるでしょう。

自分が被害者になったような拒絶反応

一方で気になるのは、「その他のテーマのドラマで、暴力やハラスメントのシーンが少しでもあると徹底的に嫌われ、視聴率は低迷してしまう」という現象。今期の作品でも、「Missデビル 人事の悪魔・椿眞子」(日本テレビ系)でモラハラや自殺未遂、「モンテ・クリスト伯―華麗なる復讐―」(フジテレビ系)で水責めなどの拷問、「花のち晴れ〜花男Next Season〜」でイジメなどのシーンが序盤にあり、批判が続出しました。

暴力やハラスメントのシーンを見て、「つらくて見ていられない」「トラウマになりそう」「不快極まりない」「あのシーンでチャンネルを変えた」などと、まるで自分が被害者であるかのようなコメントがネット上に殺到。視聴率も全話1ケタ台に留まるなど、多くの視聴者に受け入れられていない様子が伝わってきます。

この傾向も今春だけでなく、昨年放送された「僕たちがやりました」(フジテレビ系)と「明日の約束」(フジテレビ系)のイジメ、「きみが心に棲みついた」(TBS系)の精神的支配、「anone」(日本テレビ系)の幼児虐待などのシーンを見た視聴者から同様の声が飛び交い、視聴率は低迷。むしろ、その拒絶反応は、年月を経るごとに強くなっている感すらあります。

なぜ「刑事ドラマの殺人はアリで、その他の作品では暴力やハラスメントはナシ」なのでしょうか。

まず刑事ドラマをはじめとする殺人事件が起きる作品は、なぜ受け入れられているのか?

その理由は、「勧善懲悪で爽快感が得られる、という安心感がある」「自分とは別世界の話で、あまり臨場感やリアリティがない」から。たとえば、「時代劇やウルトラマンのような勧善懲悪で、自分とは別世界の物語であれば、殺人も受け入れやすい」という感覚と同じなのです。

視聴者にしてみれば、「刑事ドラマなら安心してスカッとできる」「だから殺人事件の残酷さは、あまり気にならない」というのが本音。殺人事件を解決する主人公に変人キャラが多いことからもわかるように、リアリティよりもけれんみを感じやすく、1年を通じて大量放送されているため、見慣れているのです。

一方、その他の作品で、暴力やハラスメントのシーンに批判が集まるのは、「自分に置き換えて考えてしまうリアリティを感じる」から。「つらくて見ていられない」「トラウマになりそう」などの、まるで自分が暴力やハラスメントを受けている被害者のような声は、そんな心境によるものでしょう。

つまりは、「現在の視聴者は、フィクションであることをわかって見ているはずなのに、受け流すことができない」ということ。以前と比べると“ながら見”が増えているなど、あまり集中して見ていない人が増えているにもかかわらず、暴力やハラスメントのシーンが気になってしまうのです。

もともと暴力やハラスメントなどの視聴者がストレスを感じやすいシーンは、終盤の爽快感や感動を際立たせるためのものであり、展開の落差を生む上でも、効果的なもの。序盤・中盤に強いストレスを感じるシーンがあるから、終盤に大きな爽快感や感動が得られるのですが、現在の視聴者は「序盤のストレスを受け止める余裕や耐性がない」「終盤まで待てないほどせっかち」ということになります。

刑事ドラマでもアクションシーンが激減

この心理傾向は、「見たいときに、見たいものを、見たいデバイスで、見る」というオンデマンド思考の強い人ほど高く、少しでもストレスを感じるものがあると、すぐにシャットアウト。「エンタメが多彩になり、アクセスも容易になったことが、こうした状況をもたらしている」とも言えますし、連ドラのスタッフもその心理傾向に対応すべく、ストレスを感じるシーンを減らしているのです。

しかし、ストレスを感じるシーンが少なくなると、必然的に終盤の爽快感や感動は小さくなってしまうもの。作品としての幅は狭まり、スケールも小さくなってしまいます。これが「昔のドラマは面白かった」と言われがちな理由の1つとも言えるでしょう。

あまり知られてはいませんが、安定した視聴率を記録している刑事ドラマでも、「暴力を想起させるアクションシーンや、事件の発端となるパートでのハラスメントシーンを減らしている」という変化が進んでいます。その代わりに増やしているのは、コミカルなやり取りなど、視聴者がなごめるような息抜きのシーン。これも現在の視聴者に対応するために、連ドラのスタッフが行っている配慮の1つであり、コンプライアンスを意識したものとも言えます。

過去をさかのぼれば、かつての「太陽にほえろ」(日本テレビ系)のような躍動感あるアクションや、「西部警察」(テレビ朝日系)のような派手な銃撃戦はほとんど見られなくなりました。数多くのジャンルがある中で、刑事ドラマの割合が高くなっているにもかかわらず、刑事ドラマのタイプは似たものが多くなっているのです。

このように地上波のドラマから多様性が失われているのは、視聴率という時代に合わない指標ばかり重視し続けるテレビ業界の責任が大きいのですが、許容範囲が狭くなりがちな私たち視聴者サイドにも一定の責任があるのです。

バラエティやワイドショーもストレス回避

「視聴者が少しでもストレスを感じる映像を減らしていこう」という制作姿勢は、ドラマだけの話ではありません。バラエティやワイドショーも、「一定のストレスを感じてもらうことで、大きな爽快感や感動につなげよう」とせず、「小さな爽快感や感動を得る」ような細切れの映像を連ねる傾向が強くなっています。

わかりやすい例をあげると、「痛快TVスカッとジャパン」(フジテレビ系)は、細切れのエピソードを連ねている上に、悪のスケールが小さく、笑いを交えているほか、「最後は必ずスカッとできる」という予定調和を楽しむ番組。小さな爽快感や感動を得るには最適である反面、放送終了後にはすぐ忘れてしまうタイプの番組であり、翌日にまで反響が及んだり、のちに語り継がれたりする可能性は低いのです。

視聴者が序盤・中盤のストレスを受け止める余裕や耐性が低くなっている理由には、「経済事情や事件・事故などによる社会不安」「教育現場や職場など生活環境の変化」「自由や個性をよきものとする風潮」「ハラスメントやコンプライアンスなどを盾にした相互監視」など、さまざまな背景が考えられるでしょう。

しかし、それらの背景があるにしても、テレビ番組は、エンターテインメントの1ジャンルであり、フィクションの制作物にすぎません。視聴者自身、本当は「強烈なストレスを感じなければいけないほどのものではない」ことをわかっているのではないでしょうか。

あなたが、もし「テレビ番組なんてどうでもいいもの」と思っていたら、序盤・中盤くらいのストレスくらい容易に受け止められるはずです。その意味で、批判の声をあげている人々にとってテレビ番組は、今なお大切なものなのでしょう。

ネットメディアのミスリードに要注意

また、賢明なビジネスパーソンであるみなさんは、ネットメディアが報じる“視聴率”という指標にミスリードされないよう気をつけたいところです。

刑事ドラマをはじめとする殺人事件が起きる作品は、リアルタイムで見る指標の視聴率こそ高いものの、タイムシフト(録画視聴率)は、前述した暴力やハラスメントのシーンがある作品のほうが高いというケースがほとんど。さらに、暴力やハラスメントのシーンがある作品は、じっくり見るドラマフリークほど好評価を得る傾向が強いですし、現在放送中の作品では「モンテ・クリスト伯」がそれに該当します。

ネットメディアはページビューなどの数字を稼ぐために「低視聴率」を掲げた記事を次々にアップし、それを見た人々は「ストレスを感じるドラマだからだ」「刑事ドラマしか視聴率を取れないテレビは終わっている」などと酷評する。近年このような風潮がありますが、TVerなどオンデマンドの視聴も含め、まだまだ多くの人々に見られているという事実をネットメディアが報じていないだけにすぎません。

もともとテレビ番組はネットコンテンツと同様に、「無料であり、見たくない人は見なければいいだけ」のものにもかかわらず、何かと叩きやすいもの。巨大組織へのアンチや、旧態依然の象徴として、標的にしたくなる気持ちはあるでしょうが、みなさんが賢明なビジネスパーソンなら、ネットメディアの偏った情報や、そこから生まれた風潮に流されず、本質を見極めた上で、自分の声を発信してほしいのです。

「爽快感や感動の小さい作品ばかりが増えていく」という傾向は、テレビ業界以上に視聴者の不利益になりかねません。テレビ番組の作り手たちは、良くも悪くも受け手の顔色をうかがうようになりました。

それこそが、当コラムのタイトルに掲げた「殺人はアリで、暴力やハラスメントはナシ」という矛盾の根源ではないでしょうか。多様なエンタメを無料で楽しみ続けるためには、視聴者が浅慮な批判をせず、安易なレッテルを貼らないことが重要な時代になっているのです。

エンタメの幅が狭くなるのも、無料で見られるコンテンツの数が減るのも、誰一人として得しない不幸なこと。私たち視聴者がそれに関与しているのなら、それは一刻も早くやめるべきではないでしょうか。