古代の人々は、「音」を利用して巨石を空中浮揚させていた。それを伝える神話や伝承は世界各地に存在する。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、まずはその一部を紹介しよう。

 

初期のギリシアの歴史家によると、ゼウスとアンティオペーの息子アムピオンは竪琴の名手で、その音色は石をも動かし、古代都市テーベの壁はアムピオンによって作られたという。また、彼が大きく明瞭な音で竪琴を鳴らすと、彼の倍ほどの重さの石が後をついてきたという。

 

ミクロネシア連邦のポンペイ島にあるナン・マトールの巨石都市は、呪文を唱えて巨石を鳥のように空中に飛ばす神王オロソパとオロシパによって作られたという。

 

マヤの伝説によると、ユカタン半島のウシュマル遺跡は、巨石を口笛で動かすことのできる小人種(ドワーフ)によって建造された。

 

スペインの征服者たちがインカ文明を滅ぼしてまもなく、ボリビアのティワナク(プレ・インカ期の村)を訪れたスペイン人旅行者が地元のアイマラ族に聞いた話がある。それによると、初期の住人たちは奇跡的にも石を持ちあげる超自然的な力を持っていて、50キロも離れた山の採石場から重量100トンもの巨石を含む石を、トランペットの音に従えて空中に浮揚させて運んだと聞いていた。

 

――いかがだろう。これらはヨーロッパ、太平洋の島々、中米、南米での話であるが、ほぼ共通して、巨石の移動に音(声を含む)が利用されている。音で巨石を空中浮揚させるなど、不可能だと読者は思われるだろう。だが、さらに興味深い話がある。

 

巨石を浮かせたラマ教の僧侶

以下に紹介する話は、スウェーデンの航空機デザイナーで土木技師のヘンリー・ケルソン氏(1891〜1962年)が報告したもので、自著『The Lost Techniques』において紹介したものだという。海外では雑誌や書籍を通じて何度か紹介されてきたので、ご存じの読者もいるかもしれない。

ケルソン氏の友人にスウェーデン出身の医師ヤールがいた。彼はオックスフォード大学で学んでいたとき、若いチベットの学生と友達になった。数年後の1939年、イギリスの学会に参加すべくヤールはエジプトに出かけた。そこで、ヤールはチベットの友人からの使者と出会い、ラマ教の高僧の治療のために至急チベットに来てほしいと頼まれた。

 

ヤール医師はその使者とともに出発した。そして、飛行機とヤクのキャラバンでの長旅を経て、その老僧と、今や高位を得て暮らしていた旧友の待つ僧院に到着した。

 

ヤールはそこにしばらく滞在して老僧の治療にあたった。そして、そのチベットの旧友との友情ゆえに、よそ者は決して見聞きすることのできないことをたくさん学ぶ機会を得た。

 

ある日、その友人は僧院近くのある場所へとヤールを連れていった。そこは傾斜した草地で、北西側は高い断崖で囲まれていた。岩壁の途中、高さ250メートルほどのところには大きな穴があり、それは洞窟への入り口のように見えた。

 

さらに、穴の手前は踊り場のような水平面で、その狭い足場スペースで僧たちは岩壁を作っていた。奇しくも、その踊り場までのアクセス手段は、断崖の天辺から降ろされたロープだけだった。

 

崖から250メートル離れた草地には、磨かれた石板があり、その中央はお椀(ボウル)状に窪んでいた。その椀状部の直径は1メートル、深さは15センチだった。石のブロックはヤクに載せられてその窪みまで運ばれてきた。そのブロックは幅1メートル、長さ1.5メートルあった。

 

そして、その石版を中心にして半径63メートル、崖と反対側に90度分の弧を描いた線上には19の楽器が配置されていた。半径63メートルは正確な数字である。楽器は、13個の太鼓と6個のトランペット(ラグドゥンと呼ばれる、寺院で使われる長いラッパを指すと思われる)だった。

 

直径1メートルで長さ1.5メートルの大きな太鼓が8個、直径70センチで長さ1メートルの中サイズの太鼓が4個、そして、最後の太鼓は直径20センチで長さ30センチだった。

 

トランペットは全部同じ大きさで、長さ3メートル12センチ、直径は30センチの巨大なものだった。大きな太鼓とすべてのトランペットは、石版の方に向くように調整され、台に固定されていた。

 

大きな太鼓は3ミリ厚の鉄製で、重量は150キロあった。それらは5つの部分品で組み上がっていた。すべての太鼓の片側は開放されていたが、もう片側は金属で覆われていて、そこを大きな皮張りの棍棒で僧侶たちは叩く。それぞれの楽器の後ろには僧侶たちが一列に並んでいた。また、各楽器は隣同士約5メートル離れていた。

石が所定の位置に置かれると、小さな太鼓の後ろにいた僧が演奏開始の合図を行った。小さな太鼓はとても鋭い音を鳴らし、他の楽器が轟音を発しても聞き取れた。すべての僧たちは詠唱し、祈りを唱え、とてつもない音量による騒音のテンポをゆっくりと上げていった。

 

最初の4分間では何も起こらなかった。だが、太鼓と騒音のテンポが増していくと、なんと大きな石のブロックが揺れはじめ、突然、宙に浮いたのだ。そして、250メートル上にある洞窟の穴の前の踊り場に向けて、速度を速めていった。

 

3分後、それは踊り場に着地した。続いて、彼らは新たにブロックを草地の中央の椀に置いて、同じ方法で1時間に5〜6個のブロックを、放物軌道、距離にして約500メートル(筆者註/目標地点までの弧を描けば約400メートルのため、高度250メートルよりも高い地点に到達してから目標地点に降りてくるものと思われる)、高さ250メートルを運びあげた。ただし、ときどき石は割れたので、割れた石は片づけられた。

 

かくして250メートルの高さの踊り場で、僧たちは石のブロックを積みあげる作業をすることができたのである。

 

封印された巨石浮揚のフィルム

驚くべき現象を目の当たりにしたヤール医師だったが、チベット研究者のリナヴァーやスポルディング、ヒューのような人々が過去に語ってきていたので、この石飛ばしに関しては知っていたという。だが、彼らは実際にそれを見たことはなかったので、ヤール医師はその注目すべき光景を目にする機会を得た初めての外国人となった。

 

最初、彼は自分が集団催眠にかけられたのかと思ったが、その光景を2本のフィルムで撮影していた。確認してみると、それらのフィルムは確かに、自分が目撃した光景とまったく同じものを映しだしていた。ヤール医師は自分が貴重な体験をしたことを改めて悟ったのだった。

 

後日、ヤール医師は自分がかかわっていたイギリスの学会に2本のフィルムを見せた。すると、予想に反して、学会はそれを没収し、機密扱いとした。そして、少なくとも1990年までは公表されることはないだろうと宣言されたという。

 

だが、残念ながら1990年が過ぎた今日でも、フィルムは公開されていない。チベットのラマ僧による秘術は、封印されたままである。

ケイ・ミズモリ新刊『ついに反重力の謎が解けた!』

 

(「ムー」2017年6月号より抜粋)

 

文=ケイ・ミズモリ

 

「ムーPLUS」のコラム・レポートはコチラ