『劇場』で考える、又吉直樹のヒロイン「こんなイイ女いねーよ!」問題

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「劇場」。芥川賞を受賞した「火花」に続く又吉直樹の第二作目で、掲載された新潮の発行部数はなんと4万部。文芸誌としてはかなり異例の売り上げだった。


「劇場」は、売れない劇作家・永田とその恋人・沙希の物語。又吉いわく恋愛小説らしい。

売れない劇団員には理想的すぎる沙希


恋愛小説ということで、どうしても気になるのは沙希の女性像だ。

沙希は、見た目も良く、オシャレで、料理が得意。都会にスレてもないし、常識も備え、頑張り屋さんで、頭も悪くないし良すぎるわけでもない。良く笑う明るい娘だ。

なんと言っても男心をわかっている。小悪魔的な意味ではない。男が突っ込んで欲しくない領域には決して介入せず、ひたすら信じて待ってくれる。とんでもなく良い娘だ。

主人公の永田は、売れない劇団員で、金もないのにバイトもせず、見た目もおそらく小綺麗ではなく、表現者としての生き方を拗らせためんどくさい人間だ。周りの人間の中には“独特の感性を持った奇才”と見る人もいるかもしれないが、そこまでの変人でもないし、突出した何かを持っているわけでもない。

こんな永田に沙希はもったいない。というか、なんで永田なんかに沙希みたいな良い娘が?いやいや、そもそもこんな良い娘いるわけなくない?と思ってしまう。

過剰な期待を背負わす沙希


だが、冷静に考えると沙希みたいな娘はけっこういる。もちろん希少な存在ではあるが、奇跡のような存在ではない。

まず、なんで沙希みたいな良い子が永田なんかとくっつくのか。悪い言い方をすると夢の押しつけだろう。

沙希は演劇をやりに東京に出てきた。形としては服飾を学んでいる学生だが、本当にやりたいことは演劇。だが、そこの熱はさほど描かれず、大学卒業後はすんなりとショップ店員になっている。

この事から沙希は「一握りしか成功しない演劇の世界、自分では勝ち抜いていけない」という考えに至ったことが推測できる。

つまり自分では無理だから、才能が有りそうで得体の知れない永田に期待して自分の夢を託しているだけなのではないだろうか。だが、残念ながらこの永田の才能への期待は、確信ではなくただの願望。永田の凄さを沙希は理解出来ていない。理解出来ていないから、才能があるように見えてしまっている。

計り知れてもいないくせに、ただ自分の理想を永田に押しつけているだけなのだ。

そもそもそこまで出来た女なのか?


沙希は、演劇をやる人間の苦しみや男のプライドを守る方法を理解した超出来た女に見える。ある程度自分の意見は言うが、ぶつかりそうになったら身を引く、このタイミングなんかは抜群だ。こんな奴いねーよって思われてしまう一番のポイントはこの男のプライドを傷つけない部分だと思う。

だが、バンドマンやお笑い芸人や劇団員に借金しながら貢いでる女は世の中に驚くほどいるが、その子達と沙希ってあんまり変わらない気がする。自分が計り知れない男の機嫌を損ねないように気を使いまくってるだけで、決して優しいわけではない。要はビビッているだけだ。

そして男の夢の為に尽くす自分に満足感を得てしまう。ちゃんと永田と向き合っていたら、家に無料で住まわせないで多少の家賃と光熱費ぐらいは払わせているはずだ。それが永田の為になることぐらいわかるはずだ。

それでも貢いでいる女と違って悲惨なイメージが少ないのは、永田が最低限の優しさを持っているから。「そんな金きついんなら夜の仕事すれば?」なんて絶対に言わないからだ。

さらに永田目線で描かれているからというのもある。永田は思い込んだら視野が狭くなってしまう性格。沙希がまさか不幸な女だなんて微塵も思っていない。そんな永田から見れば、沙希は出来た女に見えるに決まっている。

そもそも、これが他の登場人物目線の物語だとしたら、沙希は絶対に悲惨だし、良い女にも見えない。なんなら「変な男に引っかかったアホな女」、決して「出来すぎた理想的な女」ではないはずだ。

演劇と又吉の本職のお笑いの世界はリンクする部分の多い。その中で見てきた女性たちの長所と短所の間のスレスレの悲しい部分。そこを抽出して生まれたのが沙希というキャラクターのような気がする。

「劇場」は、恋愛小説なんかではない。自分の世界を拗らせた男と、それを盲目的に信じようとしてしまった女の悲しい共依存物語。これが一番しっくり来る。

(沢野奈津夫@HEW)