佐藤寿人が語る「広島愛」。ではなぜ名古屋への移籍を決断したのか?
「来年は、自分がこうして引退スピーチをすることになるのかな......」
サンフレッチェ広島がホーム最終戦を戦っていた10月29日、佐藤寿人は同い年である森崎浩司の引退セレモニーを見て、1年後の自分の姿を重ね合わせていた。
「すごくいいセレモニーで、自分もこうやって現役を終えたいなと思いました」
振り返れば、2016年シーズンは佐藤自身にとって苦しい1年だった。先発出場する機会が減り、12年間続けてきたリーグ戦ふたケタ得点の記録は途絶えた。メンバー入りしてもユニフォームに着替えることなく、試合を終えることすらあった。
「これまで、自分から広島を出たいと言ったことは一度もないですし、とにかく僕のなかでは、自分自身で引き際を決めなければいけないんだろうなって思っていた。広島からはピッチに立てないこともあるかもしれないけど、来年もオフ・ザ・ピッチのところも含めて、チームを牽引してほしいと言われた。3度の優勝に貢献した功労者という感じで、ここで現役を終えるという流れを僕自身もどこかで思い描いていたところはありました」
佐藤は「だから......」と、言葉をひとつひとつ押し出すように続けた。
「来シーズンは、どんな役割であろうとも、たとえ試合に全然絡めなかったとしても、好きな町で、好きなクラブで、タイトルを獲得するためにすべてを全うしてユニフォームを脱ごうかなと思っていました」
自分自身でも、キャリアの終盤を迎えつつあることを受け入れようとしていた。そんなときだった。佐藤のもとに、名古屋グランパスからオファーが届いたのは......。
「正直、最初は驚きました。まさか自分にオファーが来るとは思ってもいなかったので......。ありがたいお話だなとは思いましたけど、そもそも僕は広島を離れるという考えを持ち合わせていなかった。ただ、話を聞かせてもらったら、名古屋の熱意をすごく感じましたし、何より一番うれしかったのは、戦力として見てくれているということでした。『ピッチの上で、選手としてまだまだできることを証明してほしい』と言われたんです」
その言葉に、佐藤自身もハッと気づかされた。自分自身で、自分の可能性にフタをしていたのではないかと。それでも最初は、「割合でいえば、残留が90%で、移籍が10%」だったというが、自問自答するなかで、今一度、自分自身を見つめ直した。
「僕のなかでは、まだまだピッチの上でできるという思いも強く持っていたし、選手だからピッチの上での結果がすべてだという思いもあった。言ってしまえば、これまで自分が決めてきたゴールはすべて過去のもの。今シーズンもずっと、いかにゴールを決められるかを考えながらやってきましたし、その気持ちはこれからも変わらない。
名古屋からオファーをもらったとき、他でもない自分が、まだ選手としてやれると信じていることを、思い出させてもらったんですよね。ケガを抱えているわけでも、身体が痛いわけでもない。試合に向かうモチベーションを失っているわけでもない。まだ自分のなかには、ギラギラしているものもある。今だって、試合に出場できなければ、『なにくそ』って思うし、監督と握手はしますけど、どうしても悔しい気持ちが上回ってしまうから、ちゃんと目を見ることすらできない。それなのに......自分で自分の引き際を決めてしまっていたのかなって」
それでもなお、今や生まれ故郷よりも、育った町よりも、地元だと感じる広島への愛は強く、思いは深かった。
「どこかに出掛けて広島の駅や空港に戻ってくれば、『帰ってきたな』って思う。サッカー選手としての一面もありますけど、その前に僕もひとりの人間であり、広島人として、この町で生活できる喜びがある。
それは、息子たちが中学校のサッカー部やサンフレッチェのスクールに通っている姿を見ることもそう。子どもたちが、自分の好きなクラブのユニフォームを着て、がんばっている姿を見られる。こんなにも純粋にうれしいと思えることってない。そんな何気ない日常に幸せを感じることができるのも、自分がここ、広島でがんばってきたからなんですよね」
ひとりの選手として、ひとりの人間としての葛藤だった。これまでならば、ひとりで考え、決断してきた佐藤だが、「今回はいろいろな人の言葉に耳を傾けてみようと思った」という。信頼のできる限られた人に心境を吐露すると、それぞれが思い思いのアドバイスを送ってくれた。そのなかに、佐藤の信念を呼び起こす言葉があった。
「誰しも人生において後悔しないことなんてないって言われたんです。でも、やらなかったことのほうが、きっといつまでも後悔するって言われました。自分でやったことならば、たとえその後に後悔したとしても、自分で決めて動いたことだから受け止められる。ただ、動かなかったことのほうが、あのときああしておけばよかったと思うはずだって言われて。
そのとき、思ったんですよね。すべてのことは誰かのせいとかおかげではなく、自分自身がやってきたことによる結果。ならば、自分自身に後悔したくないなって」
それはストライカーとして生きてきた"佐藤寿人"らしい決断だった。思い起こせば、2005年にベガルタ仙台から広島に加入したときも、ゴールを決めることでサポーターに価値を証明した。もちろん、クラブを思う行動や言動もあったが、彼がゴールを決め続けてきたからこそ、チームはJ1で3度の優勝を成し遂げ、彼はここまで愛される選手になった。振り返れば、佐藤はいつもゴールを奪うことで、自分自身の道を切り開いてきたのだ。
「今も広島が好きだし、このクラブが好きです。ずっと試合に出続けて現役を引退することはないというのもわかっている。それでも、試合に出て結果を残せるように、もがいて、もがいて、もがき続けたい。それに子どもたちにも、もう一度、父親がピッチで輝いている姿を見せたいなって思ったんですよね」
悩んだ末、広島に名古屋へ移籍することを告げると、最後はクラブも背中を押してくれた。それを佐藤は、「クラブと選手としてではなく、これまで築いてきた人と人との信頼関係だったと思います」と話してくれた。
「広島のフロントの人たちは、苦しいときも一緒に戦ってくれて、優勝に貢献してくれて、ピッチ内外でもクラブのために働きかけてくれたと言ってくれ、だからこそ残ってほしいと、何度も言ってくれた。でも、最後はいちアスリートとしての僕のことを考えて、引き留めることはできないと言ってくれたんです。そこは本当に感謝しています」
その場で佐藤は、あふれる涙を抑えきれなかったという。
「リリースのコメントを書いていたときも、涙が止まりませんでした。自分のブログにサポーターの人が送ってくれたメッセージを読んだときも、それこそ朝から泣きました。そこに同じことが書いてあったんです。『さよならは言いません。行ってらっしゃい』って」
おそらく、平坦だったはずの道を飛び出し、茨(いばら)の道を歩むこともわかっている。
「広島がJ2に降格したときとは、状況が違うことは理解しています。あのときは、監督もほとんどの選手も残ってJ2を戦うことで、1年で返り咲くことができた。一方、名古屋は変えていかなければならないことのほうが多いと思うし、そのなかで、1年でJ1に戻らなければならないというのは、難しいということもわかっています。広島で引退していれば、きっと批判されることなく、拍手で送り出してもらえたでしょうね。
名古屋で結果を残せなければ、広島で引退しておけばよかったのにと言われることもわかっています。正直、これまでにないプレッシャーは感じていますし、期待に応えなければならない使命感も感じている。でも、その重圧があるからこそ、選手としてもう一度、自分を奮い立たせることができるのかなって。これまでも自分は、ゴールを決めることで評価されてきた。最後までそうあり続けたいなって思います」
そして、まるで広島のサポーターたちに謝るかのように話してくれた。
「誤解してほしくないのは、すべては自分自身のせいだということ。ピッチに立てなかったすべての責任は、自分自身にある。そう思うからこそ悔しいですし、だからこそ快(こころよ)く送り出してくれた広島のためにも、来年、死に物狂いでプレーして、しっかりと結果を出すことで自分自身を証明したい」
ただ、まだ佐藤が広島でやるべきことがある。
「広島に来てすばらしい仲間に出会い、3つのタイトルを獲ることができた。だからこそ、置き土産じゃないですけど、4つ目のタイトルを獲りたい。まだまだ、僕、それまでにもいっぱい泣くと思うんですけど、1月1日に(森崎)浩司と一緒にうれし涙を流して、今シーズンを締めくくりたいですよね」
佐藤はストライカーであり続けることを選んだ。ただ、ひとつうれしいのは、まだまだ彼のプレーを、ゴールを見られるということだ。佐藤寿人というストライカーの旅は、まだしばらく続くのだから。
原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke

