尾野真千子と長谷川博己の芝居で見せる「夏目漱石の妻」今夜2話

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「夏目漱石の妻」(NHK総合土曜よる9時〜)1話「夢みる夫婦」
原作、脚本:池端俊策 演出:柴田岳志 出演:尾野真千子、長谷川博己ほか


「わたし、迷いませんから」(夏目漱石の妻・鏡子/脚本・池端俊策)

「わたし、負けるの嫌いですから」(営業部長吉良奈津子/脚本・井上由美子)

「わたし、失敗しないので」(ドクターX大門未知子/脚本・中園ミホ)

なんとなく似ているけれど流行っているんだろうか。

夏目漱石の妻・鏡子(尾野真千子)が何に迷わなかったかというと、夏目漱石(当時・金之助/長谷川博己)とのお見合い結婚。
「我が輩は猫である」「坊っちゃん」などで知られる文豪・夏目漱石がまだ作家を夢見ている頃、鏡子は決して順風満帆ではない夫婦生活に身を投じ奮闘する。

9月24日(土)から4回連続ではじまった「夏目漱石の妻」の第1話は、素直に夫婦っていいな、と思わせた。
見合いでお互いを気に入って結婚したものの、漱石と鏡子はまるで違う。
ふだん表情があまり変わらず、頑固で神経質な漱石に対して、鏡子は口をおおっぴらにあけて笑うような枠に囚われない暢気な性分。そもそも育ちが全く違う。生い立ちが不幸で、家族というものにコンプレックスをもってきた漱石に比べて、鏡子は裕福な家庭に生まれ何不自由なく生きて来た。
熊本で共に暮していくうちにその差異が明らかになっていき、鏡子の流産をきっかけに一時ふたりの距離は絶望的に離れそうになる。

いろいろあって鏡子は死にかける。その傍らで、金之助がずっと心に秘めていた家族に対する悩みを吐露し、それを鏡子が涙ながらに聞く場面が1話のクライマックス。孤独な漱石、家族の愛情に育まれた鏡子、全く違う世界に生きてきたふたりがようやく溶け合い混じり合っていく。

「僕はひとが信じられない 家族が信じられない」

「そういう僕に弁当を届けてくれる人がいるんだ
寂しくて学校まで顔を観にきてくれる人がいるんだ」

ちょっと嬉しそうな顔をして噛み締める漱石。それを鏡子が泣きながら聞いている。
漱石の父に捨てられた記憶と、鏡子の流産。悲しいけれど、喪失がふたりを結びつけるのだ。薄い布(蚊帳?)越しに俳優を撮ることで人物の繊細な心情がよく出ていた。ランプの灯りも効果的。

尾野真千子(「萌の朱雀」「カーネーション」ほか)がいい。
早起きが苦手で、いわゆる貞淑な妻という雰囲気では決してない鏡子だが、それでも夫より前に立つようなことはないというわきまえを感じさせる。
また、無邪気だった彼女が流産したことで負い目を感じて、離れていく夫へ寂しさを募らせる表情も真に迫った。

一方、夫の漱石も、彼女の尊敬するに値する雰囲気を醸している。長谷川博己(「シン・ゴジラ」「鈴木先生」ほか)が、知性的で何か可能性を秘めていそうな(あとで鏡子が事前に占いをやっていたことと繋がってくる)様子をうまく出しているし、当時の男性の、女性よりちょっと上に立っている気配もみごと。しかもそれが生い立ちのコンプレックスを胸に秘めながらというところまで、一見無表情な顔に滲ませる。

長谷川博己、カンカン帽や白い着物が似合い過ぎ、尾野真千子の着物キレイ、とついついビジュアルで見てしまったり、松尾諭(書生役)と長谷川は共演率が高い(「シン・ゴジラ」「進撃の巨人」「デート〜恋とはどんなものかしら〜」)なあとか余計な情報が脳裏をよぎったりするが、ふたりの芝居はそういう邪念を忘れさせる。
尾野と長谷川の会話は地味に見えてすごい。微妙にかみ合わないながら、ふたりしかいない生活のなかで会話し続けていると、なぜかだんだんふたりだけの調子が出てくる面白さがよく出ている。
ふたりが歌を歌うというところにもそれが端的に現れているように感じた。

ふたりの芝居を彩る風景もまたいい。
流産した直後、明るく清々しい海が出て来たり、鏡子が金之助を追っていく道が凛とした竹やぶだったり、風景が印象的で、そこを照らす光もじつに凝っている。
明治時代の街並や家屋、着物、調度品の数々など、目に映るものが丁寧に描かれている。モブシーンもたくさんのひとが出て来て、贅沢。

色とりどりの風景、そこに生きる人間の営みを、尾野真千子と長谷川博己が、まるで白いお皿のようにその上に鮮やかに載せてみせる。

2話は10月1日よる9時から!
(木俣冬)