【育将・今西和男】逸材・久保竜彦のために早婚を薦め、酒を控えさせた
『育将・今西和男』 連載第5回
■門徒たちが語る師の教え 廿日市FC 久保竜彦(1)
久保竜彦は心に決めた。「俺はもう絶対にここではしゃべらんとこ」
福岡県筑前町から出て来た18歳の少年にとって、広島は大都会だった。自分の口から出る九州の訛りが恥ずかしくて仕方がなかったのである。極度の人見知りであったから、プロ入りを意識したのは筑陽学園高校の1年先輩である久藤清一がジュビロ磐田への入団を決めてからで、漠然と自分も行きたいと思ったに過ぎなかった。3年生になると、校長室に同級生の大場啓(1996年〜2006年 大塚製薬/徳島ヴォルティス)と一緒に呼ばれた。部屋の中ではサンフレッチェ広島の強化担当という人が精悍な顔つきで待っていて、いくつか質問を受けた。久保の当時の記憶では「なんか偉い人の部屋で今西さんと会ったのは覚えています。印象は...、何もないですね。怖そうな顔でした。『怖いわ、これ多分』って思ってました」
一方、今西は筑陽の吉浦茂和監督から見てもらいたい選手が2人いるという連絡を受けて、現場に河内勝幸コーチを飛ばしていたが、サンフレッチェの予算からすれば、取れるのは1人だけと思っていた。河内の報告では久保が面白いということだった。しかし、学校で会ってみると、キャプテンでもある大場はハキハキと話すのに対し、久保はボソボソと単語を発するだけで、なかなか会話にならなかった。
「困ったのう。うちはチームとして勝とうとしとんじゃが、これでは会話にならん」
それでも類まれなポテンシャルの高さは感じることが出来た。インターハイにも選手権にも出場はしておらず、全国的には全く無名の選手であったが、今西は野育ちゆえの久保の素材の確かさを認めていた。後に「日本人離れした」と必ず形容される身体能力の高さはすでに備わっていたのである。
久保はサンフレッチェ入団と同時に、マツダの社員寮でもあった小磯寮に入る。冒頭の「無口たる」決意は、そのときになされたものである。今西は選手に対しての人間教育を重視し、特に若い選手に対してはサッカー馬鹿にならないようにとことあるごとに説き、さまざまな研修を施していた。新人には講師を派遣しての話し方教室を行ない、コミュニケーション能力を磨くことを義務付けた。しかし、久保はこれが嫌で嫌で仕方がなかった。
「先生が来て何か言われるんですけど、俺は福岡の南の田舎で訛ってるし、もうしゃべるのはやめておこうと。そんときも寝てるか、行かないか、どっちかでした。話し方の授業に行かないと叱られるんですけど、やっぱり行かなかった」
純朴な久保は孤独だった。寮では一切、誰とも口を利かなかったし、加えて食堂で供給される食事が合わなかった。自他ともに認める偏食家でもある男は、コンビニの弁当や惣菜パンばかり食べていた。これから身体を作るアスリートの食生活がこれではお話にならない。
現状を知った今西は寮の横にある旧知の居酒屋「うみ」のおばちゃんに頼み込んだ。「うみ」は今西が現役を引退した直後から馴染みにしていた海鮮料理の料理屋であったが、店主が亡くなっていたこともあり、すでに店を閉めていた。そこを何とかして欲しいと頭を下げて、久保のために特別な食事を作ってくれるように取り計らった。「うみ」は元々日本代表にも選出された東洋工業のDF川野淳次が「すごく旨い魚を食わせる店がある」と言って、サッカー部に広めた店である。賄い料理も新鮮な海の幸がふんだんに使われており、久保は口にしてすぐに気に入った。「これ、九州の味に似とる。めちゃくちゃ旨い」。「うみ」の明かりが点いているので、勘違いした一般客が「復活したん?」と店に入ってくることもあったが、おばちゃんは「いや、久保くんは身内やからよ」と断り、特別に扱ってくれた。
食生活が安定するとプレーにも余裕が出た。最初はサテライトリーグ(※)でセンターバックやサイドバックをやらされていたが、河内にFWにコンバートされると一気に才能が開花した。久保はものが違う!とトップの高木琢也や森保一も一目置くようになった。「外国人ストライカーもよく見てきましたが、タツは見劣りしないどころか、それよりもすごいと思わせるものがありました」(高木)
※実戦経験の少ない若手選手のために、2009年まで行なわれていた育成リーグ
サンフレッチェを背負って立つことは疑いのないところで、今西はこれを機会に久保の私生活を安定させようと決意した。相変わらずチームメイトと口は利かなかったが、九州の男らしく酒が好きで、街で飲み歩くうちに酒場で友達が出来ていた。泥酔して帰って来て寮の前の電柱に寄りかかってチームの名前の入ったジャージを着たまま寝てしまっていることもあった。今西は秘密裏に高校の恩師に連絡を取り、彼女の存在がいることを知ると単身、福岡の両親のところに向かった。
「どうぞ、竜彦くんを早く結婚させてあげて下さい。彼はまだ若いけれど、私も23歳で結婚しました。サッカー選手として一番重要な時期です。責任を持たせて、生活も安定させてプレーに集中させてやって下さい」と丁寧に早婚の薦めを語ったのである。広島に帰ると返す刀で久保の飲み友達のところへ回って、これからはタツを飲みに誘わないでくれと訴えた。入団3年目21歳で久保は挙式する。
「最初に見た今西さんは怖かったけど、怒鳴られたこととかは全然なくて、自然にいろんなことを気づかせてもらいました。僕は若い頃は勉強もせんと、好きなことしかせえへんかった。プロやしカネがあったから毎日飲み歩いてました。僕は普段しゃべらんけど、酒を飲むとすぐに友達ができるんです。でも、それじゃあダメやと分からせてくれたし、結婚も無理やりじゃなくて、自然に決めたもらった感じでうまくいきました。今西さんはカッコいいんです。それから、あの人の人への接し方とか、じっと見ていて真似しようとかしていました」
久保には強烈な記憶がある。「海が目の前にある鯛尾のグラウンドで練習したときなんですけど、ぼうっとしていたら、いきなり海の中から今西さんがブクブクって現れたんです。『よーし、これ捕ったから練習終わったら、皆で腹一杯食え』と言ってサザエやアワビをくれたんです。何しとったんですかって聞いたら『いろんな海に潜るのが好きなんじゃ。タツは外国に行っても何も食わんけど、市場に行ってみい。市場に行ったら、美味しいもんがいっぱいあるで』って。漁業権とかあるかもしれんですけど、その態度に惹かれました」
無骨でぶっきらぼうだが、選手のために何か食わせてやりたいという、その振る舞いに驚き、この人について行きたいと思った。
今西はまた純朴で口下手な久保のために試合後のヒーローインタビューの際にはレポーターに「事前に何を聞くか教えてやっておいてくれ、質問も3つ以内で」と頼んでいた。それでもキャスターの長嶋三奈が父親ゆずりの無邪気さで、いきなり5つも6つも速射砲のように聞き出したときは目が回ったという。
(つづく)
【profile】
■今西和男(いまにし・かずお)
1941年1月12日、広島県生まれ。舟入高―東京教育大(現筑波大)−東洋工業でプレー。Jリーグ創設時、地元・広島にチームを立ち上げるために尽力。サンフレッチェ広島発足時に、取締役強化部長兼・総監督に就任した。その経験を生かして、大分トリニティ、愛媛FC、FC岐阜などではアドバイザーとして、クラブの立ち上げ、Jリーグ昇格に貢献した。1994年、JFAに新設された強化委員会の副委員長に就任し、W杯初出場という結果を出した。2005年から現在まで、吉備国際大学教授、 同校サッカー部総監督を務める
■久保竜彦(くぼ・たつひこ)
1976年6月18日、福岡県生まれ。筑陽学園高から、1995年サンフレッチェ広島に入団。高い身体能力を買われ、1998年レギュラーに定着し、2ケタゴールを記録。同年には日本代表にも選出された。トルシエ、ジーコ監督の下、国際試合でも活躍したが、ワールドカップには縁がなかった。2003年横浜F・マリノスに移籍。17ゴールを記録し、年間優勝に貢献。その後はケガに泣くことも多く、2007年横浜FCに、2008年サンフレッチェ広島に、2010年ツエーゲン金沢に移籍。2011年、現役引退を発表した。2013年、広島県社会人サッカーリーグ1部に所属する廿日市FCで現役復帰。廿日市スポーツクラブのストライカー養成コーチ、およびアンバサダーも務めている
木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko
