純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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 じつは「集団的自衛 collective self-defense」という概念の歴史は浅い。最初に使われたのは、1945年の国連憲章。それも、国連は安全保障理事会が措置をとるまでは集団的自衛の権利を害さない、という、奇妙な文言としてだ。実質的には、独立した旧植民地国を従える宗主本国(英仏中)、東側諸国を率いるソ連、西側諸国を率いる米国の五ブロックが想定されていたと考えられる。つまり、盟主国は属国への脅威に対しても自国の権益の「自衛」として受けて立つ権利がある、ということ。これは、もともと、属国属民から軍事力を剥奪してしまっておかないと盟主国に対して反逆する危険があるが、しかし、そうすると、属国属民は自衛もできず、盟主国が属国に持つ権益を他国に侵略されてしまう危険がある、という支配のディレンマを解決するための方便。


 しかし、不思議なことに、日本は、歴史的にはるかに先行して、この方法をうまく取り入れてきている。豊臣秀吉の刀狩りによる兵農分離で、武士による領民加護領地開発と領民による仕事専念年貢献納という互恵関係が築かれた。現代において、国民の痛みは自衛隊の痛み、として、自衛隊自身が危難に陥っているわけでもないのに、あえて危険な被災地に赴いて、そこから無力な国民を救い出すのも、ある意味では国内での「集団的自衛」と言うことができる。そして、日本という国も、戦後、米国ブロックの中にあって、日米安保として、「おもいやり予算」などの貢納と引き替えに、実質的にはすでにこの属国としての「集団的自衛」の恩恵を受けてきている。


 そもそも米国は、50の州(ステイト、国)の連邦で、個々の州こそが実体であり、連邦政府に従属するのではなく、連邦政府と国家主権を共有している。1775年の独立戦争において「大陸軍」が組織されたが、その母胎はあくまで個々の州の自衛のための「民兵(市民軍、州兵)」。しかし、南北戦争で他州の州兵があい争うこととなってしまったため、その後、いずれの州の州兵も連邦政府の直轄とされ、連邦軍(United States Armed Forces)の予備部隊として位置づけられるようになっていく。ところが、ベトナム戦争敗北後、連邦軍は縮小の一途。このため、湾岸戦争など、州兵の連邦軍への動員に依存を高めるが、練度が低く、ソ連崩壊後に代わって巨大化した中国とのパワーバランスにおいて、不安定な要因となってきている。


 さて、日本の自衛隊だが、米連邦政府からすれば、日本は、敗戦後ずっと実質的には米連邦の「準州」で、自衛隊もまた、その州兵の位置づけなのではないか。そのために、有事に、他の米連邦政府直轄の州兵と同様、連邦軍の予備部隊として動員に応じろ、ということであって、盟主国が自分の属国権益を守る「集団的自衛」の話とは関係が無いのではないか。実際、日本の自衛隊は、実戦経験は無いまでも、装備や練度に問題がある米連邦の州兵一般より質が高く、米連邦軍にムダに期待されてしまったのではないか。


 米ソ冷戦以後、盟主国同士の総力戦を避けるため、むしろ「集団的自衛」を用いず、属国間の代理戦争が各地で頻繁に起こった。しかし、属国への大量の武器供与は、終わりなき内戦だけでなく、旧盟主国に対する反逆テロをも生み出してしまった。くわえて、米ソの間隙をぬって、無限の兵員を持つ中国が台頭。米連邦政府が自衛隊まで借り出しても、おそらく焼け石に水。現代の複雑な国際問題は、その表面的な一部の事変のみを武力で圧殺しても、根本的な解決はできない。


 多大な損害と犠牲、近隣の加害や罪業と引き換えに、日本人があの戦争で学んだこと。その第一は、身内の権益拡大のためになら、政府は「自分たちの国を自分たちで守る」とかいう美名の下に、平然と自国の国民を騙して命の犠牲さえも強いるということ。その第二は、どんな大量の軍隊も、どんな決死の覚悟も、原爆には勝てず、次に再び誰かがそれを使ったときには、核ミサイルが飛び交い、全世界が滅びてしまうということ。そして、それだからこそ、第三に、日本は、戦争を放棄し、陸海空軍の戦力は保持せず、交戦権も認めず、武力に依らずに国と国民を守り、国際紛争を解決していくまったく別の道を模索するということ。


 そういう困難で高邁な戦後理念の下に、世にもストイックで高潔な、戦わない防衛組織としての日本の自衛隊はある。日本人は、米国人のようには個人で銃も持たず、家に武器も無い。すべてを自衛隊や警察、消防、海上保安庁などに託していてこそ、それぞれが安心して自分の仕事に打ち込むことができている。深夜であろうと、遠洋であろうと、彼らが安全のプロとして我々を守ってくれているからこそ、この平和な国が実現している。


 自分たちの危険をも顧みず、我々国民を危難から守り救ってくれる自衛隊やこれらの組織こそ、我々日本国民が守り続けていくべきもの。にもかかわらず、彼らの日夜の努力に感謝するどころか、彼らを、自動車や電気製品を売って儲けるための代償の兵隊奴隷として他国に売り飛ばそうなどというのは、恩知らずの恥知らずにもほどがある。もしも自衛隊を失ったら、この災害だらけの国で、いったい誰がこの無力な国民を救ってくれるというのか。わけのわからない東京オリンピックの建設費全額を米国連邦政府に献上してでも、我々はいま、日本の誇るべき自衛隊を、売国政治家たちから守るべきではないのだろうか。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)