映画『沖縄 うりずんの雨』。沖縄の占領・基地問題を、大田昌秀元知事を始め日米両国関係者の証言と、貴重な資料映像で正面から取り扱ったドキュメンタリー映画。岩波ホールを皮切りに、全国順次公開予定。

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さる6月23日の沖縄「慰霊の日」を受けて、多くのメディアが凄惨な沖縄戦を特集した。また、基地問題は最近ではニュースの定番トピックスとなっている。それでも僕たちは沖縄のことを何もわかっていない。沖縄戦と今日の間、ニュースで沖縄が取り上げられていない間にも沖縄には生活が存在し、人々は様々な思いを抱いて暮らしてきたのだ。

そのことが痛いほどよくわかる映画が現在公開されている。その映画とは、6月20日に公開されてから、ドキュメンタリ―映画としては異例の満席が続いている『沖縄 うりずんの雨』だ。「沖縄戦」「占領」「凌辱」そして「明日へ」という四部構成からなっているこの映画を監督したのはアメリカ人ドキュメンタリー作家のジャン・ユンカーマンさんという人物。
高校時代1年間日本に留学したユンカーマンさんは、1975年に半年ほど沖縄で過ごし、その文化と人々に魅了されたという。

「当時はすでにアメリカの占領下にありました。特にベトナム戦争の直後でひどい状態でした。その状態を世界に伝えなければという思いが生まれました」
やがて80年代に入り映画監督となったユンカーマンさんは、2005年に『映画 日本国憲法』というドキュメンタリーを撮る。

「(『映画 日本国憲法』の)上映活動をしているときに、いくら憲法を守ろうとしても、あんな基地が沖縄にある限りは憲法を守っていることにはならないと思うようになりました」

その思いが本作の製作につながった。かのペリー提督が沖縄を太平洋の戦略拠点にしようと計画していたことを明かすことから始まるこの映画は、2004年の米軍ヘリ墜落事故、沖縄戦、1970年のゴザ暴動、2005年の沖縄米兵少女暴行事件、基地問題など現代沖縄史上における重大事件を、大田昌秀元沖縄県知事を始めとする日米双方の当事者の証言とともに紹介している。

関係者へのインタビューは80時間にも及び、100時間以上のなかから選んだという資料映像は歴史的価値も高い。なかには米兵少女暴行事件の実行犯の1人への単独インタビューも含まれている。

「戦争中に基地建設をしていた頃から今の危機に至るまで、基本的な構造はまったく変わっていません」
その根底にあるのは、内地の人の沖縄に対する差別意識だという。

「今はブームが起きて、沖縄というと素晴らしいところとして憧れられていますが、僕がいた75年当時はひどい差別を受けていました」
沖縄県人の身体的特徴から方言まで、すべて差別の対象になった。本編でも沖縄戦に内地から駆り出された元日本兵が沖縄の兵士を差別していた様子を述懐している。また60年代以降のアメリカにおける黒人の人権運動を基地周辺で感じ、白人の黒人に対する差別が、内地の人の沖縄の人への差別と相似していることに気付いたとするコメントも登場する。

「沖縄問題の根っこには差別があります。差別意識がなければ、普天間の移転先を辺野古にしようとしたり、74%の基地を沖縄に集中させたままにするなど沖縄の住民を犠牲にして平気でいられるわけがありません」
基地問題に関するニュースを見ていると同様のコメントを聞くことがしばしばあった。しかし沖縄の人々の被差別が歴史的にそこまでひどいということを知らなかった筆者はこれまでさほどピンと来ていなかった。

「昔から差別はされていたのですが、そのことを口にする人はあまりいませんでした。'75年当時はとても貧しく、沖縄の住民の中にも卑屈なところがあったかも知れません。でも「ブラック・イズ・ビューティフル」(アフリカ系アメリカ人が誇りを取り戻すために行った民族回帰運動)のような世界的な人権運動の高まりとともに、沖縄でもこの40年少しずつプライドが高まってきて、この十年は行動として表にでるようになってきました」

その一つの結果が、右派も左派もなく全県民の約80%が支持するオール沖縄ともいえる翁長知事の誕生だ。それではそうした沖縄の動きをユンカーマン監督の祖国のアメリカ人はどう見ているのだろうか。
(後編につづく)

(鶴賀太郎)