メジャーでもプレーした桑田真澄氏[Getty Images]

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 巨人のエースとして現役時代通算173勝を挙げた桑田真澄氏が23日、BS朝日の『ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜』に出演し、85年のドラフト騒動について語った。

 桑田氏はPL学園高時代、清原和博氏とともに『KKコンビ』と呼ばれ、1年夏から5季連続で甲子園に出場し、2度の全国優勝を経験している。自身も甲子園で通算20勝を挙げた。

 高校時代、清原氏とともに数々の栄光を手にしたが、85年のドラフトで2人の運命を分けることになる。当時、桑田氏は早稲田大の進学を希望していたが、巨人が桑田氏を単独で1位指名。巨人入りを熱望していた清原氏は西武に入団することになり、悔し涙を流した。桑田氏はヒーローから一転、悪役になってしまった。

 桑田氏は当時について「(巨人に)指名されなければ早稲田に行く。巨人に指名されたら巨人へ行きたかった」と振り返る。ただ、当時は巨人を含めた3球団が指名することが予想されていたそうで、「もし3球団から僕を指名していれば抽選ですよね。巨人だけが、僕を指名しました。当然密約と言われても仕方がない。ただ僕は誰にも言わなかった。あの3球団が僕を指名して、くじ引きだったらどうだったのかなと思うと、自分の人生が変わっているかもしれない」と明かした。

 結果的に希望していた巨人に入団を決めた桑田氏は、「早稲田大にも謝罪ましたし、関係者とも会って、厳しいことを言われました。でも、僕の人生なので僕はこういう風に決断しました。本当に申し訳ありませんでした」と伝えたそうだ。そういった経緯もあってか、「僕は今でも当時の早稲田の受験票を持っています」と告白。

 プロ入り後は桑田氏が巨人で、清原氏は西武で活躍。97年清原氏がFAで巨人に入団してからは、9年間同じチームで一緒にプレーした。