ドームランと国民性
WBC(WORLD BASEBALL CLASSIC)予選第2ラウンド決勝戦で、解説者の桑田真澄氏による「ドームラン」発言が話題になっている。
ドームランとは、読売ジャイアンツの本拠地、東京ドームではジャイアンツの本塁打が出やすいことを皮肉った造語。球場の仕様に加え、ジャイアンツ攻撃時には本塁から外野スタンドへの空調が強まると言われている。
桑田氏は12日、決勝戦の日本代表チーム(侍ジャパン)オランダ代表チーム戦を解説。阿部慎之助の1イニング2本塁打などで、侍ジャパンが10対6で勝利したが、体が泳ぎ気味だった阿部の2本目の本塁打について桑田氏は、「ホームランというか『ドームラン』ってよくいうんですよね」と解説した。
はたしてドームランが本当に存在するかは別として、東京ドームが本塁打が出やすい仕様であることはたしかだ。
パークファクター(PF)は打撃の各項目ごとに球場の偏りを表す数値指標だが、東京ドームの本塁打PFは、2011年セリーグ2位、2012年3位だった。東京ヤクルトスワローズの明治神宮球場、横浜DeNAベイスターズの横浜スタジアムとともに、2年連続で上位にランクインした。
東京ドームは、両翼は100m、中堅は122m、本塁打PF下位の阪神甲子園球場、ナゴヤドーム、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島と比べ遜色が無い。
だが、外野スタンドに膨らみが無く、左右中間は110mしかない。このことが、東京ドームの本塁打PFを押し上げている。
わが国は、公平な勝負を好む。グラウンドの規格も、統一されることを歓迎する。そんな国民性と、他球場とは異なる東京ドームの仕様、そしてアンチのヤッカミが、ドームランなる言葉を生み出したのではなかろうか。
米メジャーリーグの球場は個性的だ。ボストン・レッドソックスのフェンウェイ・パークは、本塁から左翼スタンドまでの距離が短く、本塁打の乱発を防ぐため、高さ11.3mの壁、通称「グリーンモンスター」がそびえ立っていることで有名だ。
ニューヨーク・ヤンキースが2008年まで使用していた旧ヤンキー・スタジアムは、左中間が右中間に比べ深かった。本塁打性のあたりが外野フライになることも多く、左中間の一帯は「デス・ヴァレー(死の谷)」と呼ばれた。この設計は、現在のヤンキー・スタジアムにも受け継がれている。
球団が開場後、仕様を変えた球場もある。ピッツバーグ・パイレーツは1947年、当時の本拠地、フォーブス・フィールドのブルペンを左翼スタンド前に移した。
これは、ハンク・グリーンバーグ、ラルフ・カイナーの2大スラッガーの打撃力を活かすためで、左翼スタンド前のブルペンは彼らの名から「グリーンバーグ・ガーデン」「カイナーズ・コーナー」と呼ばれた。
シカゴ・ホワイトソックスは1980年代、コミスキー・パークのセンターまでの距離を縮めると同時に、本塁を前に移動させた。
この他にも、クリープランド・インディアンスは1970年代後半、シンシナティ・レッズは1984年い外野フェンスを低くし、ニューヨーク・メッツは1982年に照明を明るくしたことで、打者を支援した。
球場の仕様に、プレーや作戦、チーム編成を合わせることもある。1980〜1990年にセントルイス・カージナルスを指揮したホワイティ・ハーゾグ監督は、外野が広く、当時人工芝だったブッシュ・スタジアムに適応するため、ラインドライブを放ち、塁間を駆け抜けるタイプの選手を好んで起用した。
その代表的な選手が、ビンス・コールマン。通算で6度の盗塁王受賞、50度の連続盗塁成功を果たした韋駄天だが、1987年にマークした121得点のうち、1塁に出塁した後、次打者以降が無安打でも得点したケースは23%もあった。
時間や気候に応じ、作戦を変える指揮官もいた。陽が傾き、薄暗くなる時間帯には投手が有利になるため、1点ずつこつこつ得点を重ねる。晴れて湿度が低くなると、打球が飛びやすくなるので、がんがん攻める。
選手では、生涯ヤンキース一筋の投手、ロン・ギドリーが思い出される。若いころから、左中間が深いヤンキースタジアムの仕様に守られてきた傾向があるが、経験を積むごとに、本拠地で自らを活かす投球術を身につけた。
ギドリーの防御率を、選手人生の前半(1980〜1982年)、後半(1983〜1987年)に分けると、前半は本拠地が3.37、敵地が3.73。選手人生の後半になると、敵地での防御率は4.56に悪化したが、本拠地では3.03にむしろ改善した。
そんなギドリーを、ヤンキースは手放さなかった。
公平な勝負を望むわが国が、グラウンドの規格の統一を歓迎していることは先に紹介したが、メジャーリーグのファンは球場の違い、それに伴うプレーや作戦の変化を楽しんでいる。むしろ、わが国のような没個性の球場は、クッキー・カッターと呼ばれ、嫌われている。
日米の気質に優劣をつけるつもりはないが、何事にも真面目なわが国と、楽しむことに長けている米国の国民性が現れている。
ドームランとは、読売ジャイアンツの本拠地、東京ドームではジャイアンツの本塁打が出やすいことを皮肉った造語。球場の仕様に加え、ジャイアンツ攻撃時には本塁から外野スタンドへの空調が強まると言われている。
桑田氏は12日、決勝戦の日本代表チーム(侍ジャパン)オランダ代表チーム戦を解説。阿部慎之助の1イニング2本塁打などで、侍ジャパンが10対6で勝利したが、体が泳ぎ気味だった阿部の2本目の本塁打について桑田氏は、「ホームランというか『ドームラン』ってよくいうんですよね」と解説した。
パークファクター(PF)は打撃の各項目ごとに球場の偏りを表す数値指標だが、東京ドームの本塁打PFは、2011年セリーグ2位、2012年3位だった。東京ヤクルトスワローズの明治神宮球場、横浜DeNAベイスターズの横浜スタジアムとともに、2年連続で上位にランクインした。
東京ドームは、両翼は100m、中堅は122m、本塁打PF下位の阪神甲子園球場、ナゴヤドーム、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島と比べ遜色が無い。
だが、外野スタンドに膨らみが無く、左右中間は110mしかない。このことが、東京ドームの本塁打PFを押し上げている。
わが国は、公平な勝負を好む。グラウンドの規格も、統一されることを歓迎する。そんな国民性と、他球場とは異なる東京ドームの仕様、そしてアンチのヤッカミが、ドームランなる言葉を生み出したのではなかろうか。
米メジャーリーグの球場は個性的だ。ボストン・レッドソックスのフェンウェイ・パークは、本塁から左翼スタンドまでの距離が短く、本塁打の乱発を防ぐため、高さ11.3mの壁、通称「グリーンモンスター」がそびえ立っていることで有名だ。
ニューヨーク・ヤンキースが2008年まで使用していた旧ヤンキー・スタジアムは、左中間が右中間に比べ深かった。本塁打性のあたりが外野フライになることも多く、左中間の一帯は「デス・ヴァレー(死の谷)」と呼ばれた。この設計は、現在のヤンキー・スタジアムにも受け継がれている。
球団が開場後、仕様を変えた球場もある。ピッツバーグ・パイレーツは1947年、当時の本拠地、フォーブス・フィールドのブルペンを左翼スタンド前に移した。
これは、ハンク・グリーンバーグ、ラルフ・カイナーの2大スラッガーの打撃力を活かすためで、左翼スタンド前のブルペンは彼らの名から「グリーンバーグ・ガーデン」「カイナーズ・コーナー」と呼ばれた。
シカゴ・ホワイトソックスは1980年代、コミスキー・パークのセンターまでの距離を縮めると同時に、本塁を前に移動させた。
この他にも、クリープランド・インディアンスは1970年代後半、シンシナティ・レッズは1984年い外野フェンスを低くし、ニューヨーク・メッツは1982年に照明を明るくしたことで、打者を支援した。
球場の仕様に、プレーや作戦、チーム編成を合わせることもある。1980〜1990年にセントルイス・カージナルスを指揮したホワイティ・ハーゾグ監督は、外野が広く、当時人工芝だったブッシュ・スタジアムに適応するため、ラインドライブを放ち、塁間を駆け抜けるタイプの選手を好んで起用した。
その代表的な選手が、ビンス・コールマン。通算で6度の盗塁王受賞、50度の連続盗塁成功を果たした韋駄天だが、1987年にマークした121得点のうち、1塁に出塁した後、次打者以降が無安打でも得点したケースは23%もあった。
時間や気候に応じ、作戦を変える指揮官もいた。陽が傾き、薄暗くなる時間帯には投手が有利になるため、1点ずつこつこつ得点を重ねる。晴れて湿度が低くなると、打球が飛びやすくなるので、がんがん攻める。
選手では、生涯ヤンキース一筋の投手、ロン・ギドリーが思い出される。若いころから、左中間が深いヤンキースタジアムの仕様に守られてきた傾向があるが、経験を積むごとに、本拠地で自らを活かす投球術を身につけた。
ギドリーの防御率を、選手人生の前半(1980〜1982年)、後半(1983〜1987年)に分けると、前半は本拠地が3.37、敵地が3.73。選手人生の後半になると、敵地での防御率は4.56に悪化したが、本拠地では3.03にむしろ改善した。
そんなギドリーを、ヤンキースは手放さなかった。
公平な勝負を望むわが国が、グラウンドの規格の統一を歓迎していることは先に紹介したが、メジャーリーグのファンは球場の違い、それに伴うプレーや作戦の変化を楽しんでいる。むしろ、わが国のような没個性の球場は、クッキー・カッターと呼ばれ、嫌われている。
日米の気質に優劣をつけるつもりはないが、何事にも真面目なわが国と、楽しむことに長けている米国の国民性が現れている。
バックスクリーンの下で 〜For All of Baseball Supporters〜
野球は目の前のグラウンドの上だけの戦いではない。今も昔も、グラウンド内外で繰り広げられてきた。そんな野球を、ひもとく