■6試合ぶりの勝利も入場者はさらに減少

26日、J2第18節鳥取戦。服部年宏や美尾敦ら経験豊富な選手を擁する機動力自慢の相手は、4-1-4-1の布陣で調子をあげ前節は湘南に4-0と大勝している。迎え撃つ大分は若い選手たちによる3-4-3の新布陣。手に汗握るシーソーゲームの展開や6節ぶりの勝利だけでなく、アグレッシブな采配や戦術的な駆け引きなど見どころも多かったが、入場者数はさらに落ち込んで5,794人。日曜夜開催に加え高速道路休日上限千円割引や無料化実験の終了も響いたのか。2週間後に迫ったFC東京戦、社運を賭けた3万人集客プロジェクトの行方が思いやられる。

この日、ゴール裏に3枚のビッグフラッグが掲げられた。05年以来支援を受けているマルハンと今季の新スポンサーであるダイハツ九州、そしてサポーターによるものだ。人の少ないスタンドでこれらを掲げるのは大仕事。しかもチームは成績不振。それでもサポーターたちは蒸し暑い大銀ドームに誰よりも早くやってきて、黙々と応援の準備に勤しむ。

クラブの経営危機とJ2降格を受けて昨年初め、4つのサポーターズクラブが合併した。より強力なサポート活動を行うことが目的だ。寒風のなか募金箱を手に街に立ち、開幕後は集客のための自作チラシを配った。季節ごとのイベントやアウェイ戦バスツアーを企画し、初観戦の人も応援を楽しめるよう様々に意趣を凝らす。スタンドを彩る美しいコレオグラフィや勇壮なチャントばかりでなく、日々の地道な活動にも労を惜しまない。

■応援とは自らの価値観を背負って立つこと

それでも逡巡はあったと、サポーターズクラブ「BUSTA OITA」幹部の一人であるミトマスク氏は言う。「まずはクラブが努力する姿勢を見せるべき」とは、エンターテインメント企業であるFCへの厳しい進言だ。彼らは日頃からきめ細やかにクラブと連携している。スポンサー名のコールや選手紹介のタイミング、観客動員やホームゲーム運営にまつわる様々について、議題は尽きない。

それはしばしばデリケートな事態を引き起こす。たとえば、あるスポンサーをめぐってクラブとサポーターとの見解が食い違った09年秋のこと。サポーターたちの意見を伝えなくてはとクラブに話し合いの場を設けてほしい旨を申し入れたが、その時は聞き入れてもらえなかった。そこで試合の日に横断幕で主張する方法を採ったのだが、それが大変な騒ぎになり、その責任を取るかたちで、当時のサポーターズクラブの各代表4名が無期限入場禁止処分を言い渡される。

「確かにこちらにも不備があったと思います。でもあのときはあれしかクラブに声を届ける方法がなかった」とミトマスク氏は苦しい胸の内を明かす。監督交代や選手の補強問題を巡ってサポーターの意見も二分していた頃のことだ。たとえば敗戦後の選手たちを拍手で迎えるかブーイングするかという選択においてさえ、強制しないにも関わらず、価値観のあわない人から批判されることもある。それを背負って応援をリードするのは質量のある仕事だ。

2010シーズン開幕と同時に、彼らの入場禁止処分は解かれた。クラブとサポーターとは互いに痛みながら、トリニータのために、つねに最善策を模索し続けている。

■スポンサーになったサポーターたち

そのミトマスク氏が新たな仲間と昨年、サポーターのためのストリーミング放送を開始した。内容は試合レビューやイベント告知、雑談など。ツイッター連動システムを生かした視聴者参加型の番組は瞬く間にファンを増やし、常連視聴者には他クラブのサポーターも目立つ。

そこからひとつのムーブメントが生まれた。僕らがお金を出しあってスポンサーになれないか。52,500円集まればクラブパートナーになれる。株主やソシオよりも現実的に思えた。発起人のきくりん氏はどのサポーターズクラブにも所属せず、街頭募金活動を通じてミトマスク氏と出会った“一匹狼”だ。小学4年生のとき、平和台球場で観ていたライオンズが経営難で身売りして本拠地が移り、喪失感を味わった。その記憶が原点なのかもしれない。またも愛するチームを失わないために、自ら行動を起こしたかったのだという。