先日、中国のチベット自治区で暴動が起きました。最初は僧侶によるデモ行進だったそうですが、それに触発された民衆が暴徒と化したのです。中国政府は警察と軍隊を投入して暴動を沈静化。中国政府筋は、暴動はダライ・ラマ14世の指示によるものだとしていますが、チベット側は全面否定しています。

今回は、ダライ・ラマについて見てみましょう。

■ダライ・ラマとは
ダライ・ラマは、人名ではなくチベット仏教のゲルク派序列第一位の僧侶を指す称号のことです。
ダライはモンゴル語で大海を、ラマはチベット語で師(教師・指導者)を意味します。初めてダライ・ラマの称号を持った僧はソナム・ギャツォで、モンゴルの支配者アルタン・ハーンから贈られました。しかし、ソナム・ギャツォは1世ではなく3世です。これは、ゲルク派を興したツォンカパ大師の弟子ゲンドゥン・ドゥプパを1世としたためです。

ダライ・ラマは、チベットの守り本尊である観音菩薩の化身であると信じられておりチベット仏教の聖地ラサのポタラ宮を居城としています。ダライ・ラマ5世ガワン・ロサン・ギャッツォ(1617-1682)からは、宗教面だけではなく政治面でも最高指導者となり、現在の14世まで継承されています。

■チベット紛争
チベットは、一時期は清によって支配されたことはありましたが、元々独立した国家でした。現在のチベットは、中国の一部ですが、これは1950年に中国人民解放軍によって侵略されたからです。このとき人民解放軍は大規模な破壊活動とチベット族の大量虐殺が行われています。

このような中国に対し、1955年以降、中国による併合に反対するチベット紛争が始まりました。1956年にはチベット人民は中国に対して蜂起しましたが、人民解放軍によって鎮圧されています。同年、チベット高原北半部出身者による統一抗中ゲリラ組織チュシ・ガンドゥクが結成されゲリラ活動を展開。翌1957年からは米国CIAからの資金や武器の支援を受けています。

中国政府は、ダライ・ラマ率いるチベット政府ガンデンポタンにチュシ・ガンドゥクの鎮圧を命令。さらに1959年、ガンデンポタンに首相ルカンワの解任要求しました。同年、ラサに駐屯する中国機関は、ダライ・ラマ14世を観劇に招待するとして打診しますが、ダライ・ラマが拘束されることをおそれたラサ市民がノルブリンカ宮を包囲(1959年のチベット蜂起)し、ダライ・ラマ14世はガンデンポタンと共にチベットを脱出しインドへ向ったのです。この脱出の直前にダライ・ラマ14世はチベット臨時政府の樹立を宣言しています。

一方、中国国務院は「西蔵地方政府の廃止」を通告しチベット全域を支配下におき、その後は大きな抵抗活動はありませんでしたが、1959年のチベット蜂起から49年目の2008年の3月10日(チベット蜂起記念日)にチベットの独立を求める大規模なデモが行われたのです。

■パンチェン・ラマ11世の騒動
ダライ・ラマに次ぐ権威を持つ僧侶としてパンチェン・ラマという称号があります。阿弥陀仏(無量光仏)の化身と信じられています。
パンチェン・ラマが亡くなると転生したパンチェン・ラマを探索し、ダライ・ラマがそれを認定します。逆に、ダライ・ラマが亡くなった場合には、次のダライ・ラマに認定はパンチェン・ラマが行います。これによって、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、交互に師弟関係を結び仏教の発展に帰依してきました。

パンチェン・ラマ10世は1989年1月28日に亡くなったのですが、1995年5月14日にダライ・ラマは、パンチェン・ラマ11世発見を布告しました。しかし、中国政府は即時に彼を有罪判決し拉致され監禁されています。彼の名はゲンドゥン・チューキ・ニマといい、当時、わずか6歳であり世界最年少の政治犯となりました。これに合わせて中国政府は、ギェンツェン・ノルブという6歳の少年をパンチェン・ラマ11世として布告し認定しました。

このままの状況で、ダライ・ラマ14世が亡くなると、転生活仏制度にしたがって中国政府によって認定されたパンチェン・ラマ11世によって、中国にとって都合の良いダライ・ラマ14世が認定されてしまうという危険があります。

2008年はオリンピックイヤーで開催地は北京です。さらに聖火リレーの出発地点はチベットになっています。中国政府としては、なんとしても問題を沈静化し、国際批判をかわして行かねばならないのです。

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