謎の死を遂げた野崎幸助さんの事件をめぐって、まだ逮捕もされていない人の過去やプライベートをさらし、結末を誘導してもいいのでしょうか(写真:Motoo Naka/アフロ)

「紀州のドン・ファン」こと野崎幸助さん(77歳)が、5月24日に急死してから約3週間。その間、メディアであまりに多くの報道が飛び交っています。

最初は「美女4000人に30億円を貢いだ資産家・紀州のドン・ファンが亡くなった」という穏やかな報じ方でしたが、すぐに論調が一変。「55歳年下のモデルと今年2月に結婚したばかり」「愛犬のイブも5月6日に急死していた」「警察が死因を『急性覚せい剤中毒』と発表」などのキナ臭い続報が次々に報じられました。

この手の過激な報道は、週刊誌ではごく当たり前のことであり、特に驚きはありません。しかし、ワイドショーの各番組が、「まるで刑事ドラマでも見ているか」のような報じ方をしていることは看過できないのです。

容疑者候補の人物が次々に登場

ワイドショーの各番組には、司会者とコメンテーターのレギュラー陣に加え、「元刑事」「元麻薬取締官」「弁護士」などの専門家が登場。これを刑事ドラマに置き換えると、司会者・コメンテーター・専門家は、刑事と捜査協力者に当たり、事件を解決するためにさまざまな考察を展開していきます。

刑事ドラマにおける事件解決への第一歩は、「死因の確定」と「容疑者の浮上」。ワイドショーの各番組も、当初から死因にふれてから、「覚せい剤を自分で打つ量にしては多すぎる」などの不自然な点を指摘することで、さまざまな人物を浮上させていきました。

55歳年下妻、溺愛されていた愛犬・イブ、ホステスのような派手な服を着た家政婦、つい最近まで会話を交わしていた近隣の友人、野崎さんの会社に勤めていた元従業員、親交の深かったデヴィ夫人。刑事ドラマで言えば、容疑者候補のキャストを登場させ、視聴者に「この人があやしい」「きっとこいつが犯人だ」と予想させる段階です。

ただ、本来ならこのあたりで報道は、いったん終了。他にも報道すべき多くの事件・事故、社会問題などがある以上、「事件が解決したら」、あるいは「解決しそうなほど事態が大きく動いたら」再び報じるのが普通です。

しかし、ワイドショーの報道は、ますます刑事ドラマ化の一途をたどり、過熱していきました。

多くの刑事ドラマでは、序盤から中盤にかけて、さまざまな情報を交錯させたり、いかにも伏線のように見せかけたり、それを一変させる強烈な証言をつかませたり、ミステリーの色を深める脚本・演出が施されています。今回の事件では、ワイドショーの各番組も、かなり似たようなことをしているのです。

たとえば、「野崎さんには注射器を使った形跡がなく、大量の覚せい剤は口から摂取した可能性が高い」「警察は野崎さんの会社から中瓶のビール瓶約2400本を押収した」「野崎さんは毎日中瓶2〜3本のビールを早い時間から飲みはじめる」などの覚せい剤や接種方法に関わる情報。

「生前、野崎さんは『イブちゃんはなぜあんなに苦しんで死んだのか。イブちゃんは私の胸をかきむしって死んでいった』と訴えていた」「イブちゃんの埋葬方法で野崎さんと妻がもめていた」「警察が土葬されたイブを掘り起こして成分を調査している」などの愛犬に関わる情報。

「通夜のときスマホをいじってばかりいて親族に怒鳴られた」「出会いは、昨年秋に羽田空港で転んだ野崎さんを妻が助けたことから。ただ、転んだのは野崎さんの計算だった」「プロポーズは『君の人生をピンク色に染め上げたい。僕の最後の女性になってくれませんか?』」「妻は野崎さんが亡くなる前に離婚話を切り出されていた」などの妻にまつわる情報を報じて、ミステリーの色を深めました。

さらに、妻が雑誌『FRIDAY』のインタビューに答えると、ワイドショーの各番組が一斉報道。「警察の聴取はもう7回も受けていて、私を疑っているのは間違いない」「ウソ発見器にかけられて覚せい剤に関する質問をしつこく聞かれた」「毛髪検査のために髪の毛を100本くらい切られた」「『結婚してくれたら毎月100万円渡す』と言われ、『美味しい話』と思って結婚した」「月100万円をお得だと思っていたのだから、私がやるわけない」などの詳細をたっぷりと報じました。

刑事ドラマなら、まだ中盤にすぎない

ここまで読んで「もうお腹いっぱい」という心境になったのではないでしょうか。この3週間、朝から夕方まで各局のワイドショーが、これらの情報を報じ続けているのです。

しかし、ここまでの報道を1時間の刑事ドラマにたとえると、まだスタートから30〜40分の中盤にすぎません。犯人逮捕、犯行方法や理由の解明は、まだ先であり、私たちはそれ以前の段階を長々と見せ続けられているのです。

まるで、毎日朝から夕方まで同じ刑事ドラマの中盤までを見せられているような……。たとえば、「『相棒』『科捜研の女』のある1話を、しかも中盤までのシーンばかりを繰り返し見せられている」ことになります。

まもなくイブの鑑定結果が出ますが、もし覚せい剤の成分が検出されたら事件は大きく動くでしょう。しかし、それでも「誰がどう摂取させたのか?」という謎解きが必要です。また、もし真実がこれまでの情報とは全く異なるものだったら、まだ刑事ドラマのスタートから10〜20分程度の段階かもしれません。

残念ながら殺人事件は多く、目を覆いたくなるようなニュースが次々に飛び込んでくる中、バランスを重視するなら今回のような偏った報じ方はしないでしょう。各局のワイドショーがこぞって報じているのは、「紀州のドン・ファン」というフレーズを見ればわかるように、キャッチーでエンタメ性が高い事件だから。さらに、「刑事ドラマを思わせる、あやしげな背景や関係者をフィーチャーしやすい」という点も考えられます。

実際、すでに犯人が逮捕されている事件は、今回ほど多く報じられることはありません。「紀州のドン・ファン」事件と他の事件との落差が、エンタメ重視というワイドショーの報道姿勢を裏づけているのです。

現在、民放各局ともに、早朝5時から夜19時の大半の時間帯で、情報・報道番組(事実上のワイドショー)を生放送しています。まさに、「各局横並びの放送」であり、視聴者にとっては「どこも似た番組ばかり」なのですが、より深刻なのは「扱う事件や報じ方も、かなり似ている」こと。つまり、どの局のテレビマンも、かなり似たマーケティング感覚で番組を制作し、そこから抜け出せずにいるのです。

また、「『紀州のドン・ファン』のニュースが、民放各局の大半の時間帯で報じられている」という異様な状況は、そもそも「平日の日中はワイドショーばかり」にしてしまった各局の編成方針が問題とも言えるでしょう。

結末を誘導するようなストーリーテリング

連日の大量報道以外で、もう1つ気になる点がありました。

それは、視聴者を誘導するような報じ方。真実はどうあれ、現段階では「妻や家政婦が犯人であるか」のような報道姿勢は、ミスリードの危険をはらんでいます。刑事ドラマなら「多くの登場人物をいかに犯人のように思わせるか」が重要ですが、ワイドショーでも似たようなことをしているのです。

ワイドショーが報じているのは、フィクションの刑事ドラマではなく、ノンフィクションの事件。現段階では、妻も家政婦も疑いこそ受けているものの、被害者である可能性もあるのです。たとえば1994年の松本サリン事件で第一通報者の男性は、みずから不調を訴えたほか、妻が重体に陥るなどの被害者だったにもかかわらず、メディアは犯人扱いの報道を繰り返して世間の見方を決定づけてしまいました。

今回の真相はわかりませんが、現時点で明らかなのは、「すでに妻と家政婦が社会的に葬られそうな状態」にまで追い詰められていること。決して擁護する気持ちはありませんが、まだ逮捕されているわけでもない人の過去やプライバシーをさらし、結末を誘導するようなメディアのストーリーテリングには無責任さを感じてしまうのです。

この無責任さの一因として考えられるのは、週刊誌に頼りがちな制作スタンス。近年のワイドショーは、週刊誌の報道に専門家やコメンテーターの見解を加える形の構成がすっかり定着してしまい、当事者を直撃すること以外の独自取材は、あまり見られません。もともと強烈な切り口と見出しの多い週刊誌報道をベースにしている以上、ワイドショーの内容が過激なものになるのも自然なことなのです。

また、過激になればなるほど飛び交いがちなのは、故人に対する敬意を欠いたコメント。今回の事件でも、「女癖の悪い男性だからこうなってしまうこともある」「(愛犬へのこだわりや家の外装が)僕には理解できない」と一笑するコメンテーターがいました。これらは報道の自由や事件の公共性とは別次元の主観にすぎず、死人に鞭打つような悪意の自覚なきコメントには首をかしげてしまいます。

日大の騒動は「勧善懲悪ドラマ」風の演出

最後に話を少し広げると、いまだ収まらない日大の騒動に関するワイドショーの報じ方にも似た現象が見られます。

選手、監督・コーチ、学長、理事長と、次々に悪役を登場させ、一人一人成敗していくような展開は、まるで勧善懲悪のドラマ。事実、最初に行われた選手の謝罪会見では、ワイドショーのリポーターたちが、怒りや憎しみを引き出すような質問を繰り返して、巨悪をあぶり出そうとしていました。その質問内容はジャーナリズムというより、ドラマ演出のようだったのです。

2013年に社会現象となった「半沢直樹」(TBS系)の大ヒット以降、勧善懲悪ドラマが量産され続けていますが、それがワイドショーの演出にも波及しているということではないでしょうか。勧善懲悪ドラマで、真っ先に思い浮かぶのは時代劇。かつて「水戸黄門」などが再放送されていた時間帯に放送しているワイドショーは、時代劇の代替品となっているのかもしれません。

刑事ドラマにしろ、勧善懲悪ドラマにしろ、ワイドショーが文字通りドラマティックな演出で視聴者を引きつけようとしているのは間違いないでしょう。懸命なビジネスパーソンのみなさんは、「これを信じていいのか」「ミスリードかもしれない」という視点を持つことをおすすめします。