谷井康人・谷井農園代表

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■味と価格に妥協しない高品質の果物づくり

谷井農園(谷井康人代表)は和歌山県有田郡湯浅町に立地し、7ヘクタールの農地に社員13人が働き、三宝柑や温州みかん、ブラッドオレンジやバレンシアオレンジ、伊予柑など10種類以上の柑橘類を栽培している。一般農家では生みかんの取引金額は1キロ200円〜250円前後だが、谷井農園では1キロ780円と3倍以上の高値で取引されている。

谷井農園が販売するみかんは一度口にすればその美味しさを誰もが認める品質で、顧客には著名人や有名俳優なども名を連ねる。販売価格が高くても、すべての注文数に対応できないほど人気が高い。納得できる味のみかんができなかった年には、美味しいみかんができなかったことを顧客に詫びて、原則として販売しない。それでもどうしても欲しいという顧客にだけ提供するという徹底ぶりで、味と価格には妥協しない農園だ。

谷井農園はみかんだけでなく柑橘類などの生搾りジュースも製造し、ネットで直販するほか、パークハイアット東京、ザ・ペニンシュラ、フォーシーズンズ丸の内、セントレジスホテル大阪に採用され、アマン東京では同ホテル名と谷井農園のダブルブランドによるオリジナルデザインの瓶入りジュースが提供されている。

現在代表を務める谷井氏は、カリフォルニア大学でコンピュータサイエンスを学び始めてすぐの19歳の時に当時45歳だった父親が肝臓がんで余命わずかと知らされ、急遽谷井農園を継ぐことになったという経歴を持つ(その後父親は奇跡的に回復し、現在も健在だ)。

■卓越した美味しいみかんが誕生した経緯

谷井農園では化学肥料や農薬を使わず、生態系を支える土台として「土」の質に着目。動物の糞や魚粉、落葉、米ぬかなどの有機物に、酵母菌を入れて発酵させた自家製の肥料を使用する。

みかんの場合、年に2回春肥と秋肥を与えるが、谷井農園は春に1回だけにして、土や木々が持つ力を最大限に引き出すように工夫している。甘いみかんにするにはしっかりと陽に当てて完熟させる必要があるため、3月から1カ月間は剪定をしっかり行う。剪定はすべての枝が太陽の方向に向くようにして、すべての枝がまっすぐ一方向の伸びるように行う。

「マルチング(糖度を高めるためにビニールなどで根を覆い、木に与える水分量を減らす)」といった方法を用いることなく、10年余りの試行錯誤を繰り返した後に糖度15〜16度という納得のいく甘さを実現させ、美味しいみかんを自然の力に任せてつくる方法を編み出した。

■個人を対象に独自の通信販売を行う

1985年当時有田エリアで農家が生産するみかんは農協が買い上げ、その姿形や大きさから等級と階級に選別されていた。そのため農協の規格に合致した外見が綺麗なみかんをつくることに、農家は注力していた。

みかんの花にはハチが集まり、蜜を吸いに来た時に小さな傷をつける。この傷は美味しいみかんの証なのだが、市場では「見た目が悪い」という理由で売れない。こうした市場の対応に疑問を持ち、同社は販路として個人通販の道を選び、多少形が悪くても美味しいみかんを個人顧客に提供していった。

当初細々と始めた通信販売も、美味しいみかんに魅了される顧客が次第に増え、谷井農園の通信販売を利用する顧客は現在1万4000人を超えている。

■7割の売れないみかんを「売れる商品」にする取組み

果実の場合、みかんの市場価格は1キロあたり100円前後、高くても10倍の1000円程度だ。それがジュースの原料になるランクだと1キロあたり10円が相場だが、ジュースに加工すると2400円で販売することが可能で、240倍の価格になる。

谷井農園では生食用として販売できる美味しいみかんは約3割に過ぎず、残りの7割は加工用として安価に売るか廃棄していた。谷井氏は20年程前に、生食向きではないみかんもジュースにならできるのではないかと考え、研究のため市販されているフルーツジュースを数多く試してみた。するとどのジュースも味が似通っており、そうなる理由はどこも大手メーカーの機械を使い同じ熱殺菌方法で処理しているからであることに気付いた。

アメリカ滞在中に口にしたジュースが美味しかったことを思い出し、2000年にアメリカ製のジュース搾り機を導入した。この機械は特許の関係で販売はされないため、年間のリース料を支払っている。

みかん以外のジュースも手掛けようとマンゴーに挑戦したところ、時間の経過によりジュースが発酵して瓶内でガスが発生するという事故が生じた。

これまでの製造方法ではマンゴーの酵素を処理できないことがわかり、自前の熱殺菌方法で瓶詰めができる機械を完成させ、厄介なマンゴーの発酵を抑えて濃厚なジュースをつくるノウハウを得た。この取組みにより、どんな果汁でも美味しいジュースにすることが可能になった。

■ブランド価値を飛躍的に高めた五つ星ホテルの採用

2007年に別件で知り合った東京のラグジュアリーホテルに対してみかんジュースの採用を提案してみたものの、外資系のためみかんジュースは扱わないと断れる。だがそれでも諦めることなく、1カ月かけて殺菌温度や搾り方を工夫し、ピンクグレープジュースを完成させて再び持込み、成約につなげた。

これをきっかけにホテル側の要望に応え、地物の三宝柑や温州みかんに加え、ブラッドオレンジやバレンシアオレンジ、不知火(みかんの品種名)、伊予柑など10種類以上のジュースをつくるようになった。

生産する量は従来1回200リットルからだったが、ラグジュアリーホテルとの取引により、必要な分だけ新鮮なジュースを提供できるように、8分の1の最低25リットルからつくれる生産体制に変更した。

谷井農園は名だたる五つ星のラグジュアリーホテルと取引しているが、同じみかんを使用したジュースでも、ホテルごとにすべて味を変えている。東南アジアの利用者が多いホテルでは甘味を強くし、別のホテルでは酸味を強く、さらにアマン東京ではレストランで朝食時に食事と共に飲んでもらうジュースと、ルームサービスで飲んでもらうものとは、微妙に味を変えている。ルームサービス用はホテル自慢のショコラティエがつくるチョコレートと合う様に味を調整するという具合だ。こうした対応が可能なのは、何種類もの甘味や酸味に対応するため時間差でみかんを収穫し保管しているからだ。

こうした地道な取組みによって高い評価を得た同社は、自ら営業しなくてもラグジュアリーホテルはもとよりミシュランの三つ星店からも注文が舞い込む企業に成長し、さらに三越伊勢丹がクアラルンプールとパリに新たに出店するThe Japan Storeのジュース部門で日本を代表するという評価を得て、谷井農園の商品が採用されている。

■「ブランドの進化」経営を推進する4つのポイント

時代を超えて求められる企業になるには、
(1)市場
(2)顧客
(3)意味(用途・役割)
(4)製品(商品)
(5)価格
(6)ブランド
(7)サービス
(8)課金方法
(9)販路
(10)販売方法
(11)コミュニケーション
という11の領域で経営を進化させ、経営全体を最適化することだ。

進化経営の詳しいプロセスは、既に上梓した『価値づくり進化経営』(日本経営合理化協会刊)に譲るが、今回は(6)ブランドの進化に取組んだ谷井農園の事例から、製造直販とブランド価値向上の取組みから、全体最適を図って進化していくポイントを4つ抽出する。

(1)他社と同質化しないモノづくりと販売方法

谷井農園では化学肥料や農薬を使用せず、生態系を支える土の質を高める独自の有機栽培など独自のノウハウを生み出し、口にすれば誰もが認める美味しいみかんづくりに成功した。またジュース搾り機などの製造機械の選択にも他社にない独自性を発揮し、同社の価値をさらに高めた。

販路は果物の姿形が悪いと扱わない農協系ルートでなく、価値を求める個人顧客を開拓するため、独自販路として通信販売に早くから取組んだことも同社の価値向上につながっている。

(2)品質に裏付けられ希少性により独自の高価格設定を実践

手間隙掛けて栽培したみかんなどの果物の商品力に、小規模農園のため生産量が限られている希少性が加わり、商品の価値と品質に見合った高価格に設定することができた。

(3)いち早く取組んだ農業の六次産業化

従来の農家は農作物を生産するだけで、加工や物流、販売などは他者に依存していた。しかし谷井農園は20年以上前から独自の販売ルートを開拓し、果物の生産に加えてジュースの製造と販売に取組み、国が掲げる農業の六次産業化(一次産業の生産×二次産業の製造×三次産業の販売=六次産業)の先鞭をつける存在になった。

(4)自社のブランド力を一気に高め、上質な顧客と取引先が集まる

価格でなく「価値」を求める上質な個人顧客に加え、五つ星のラグジュアリーホテルに自社製ジュースが採用されたことで、その存在が目利きの人たちに知られることになり、自ら営業しなくても注文が舞い込む農園になれた。

成長を続ける企業は、「ブランドを進化」させるために業界の盲点に着目して独自のノウハウを築き、品質に見合った高価格設定と自前の販路開拓を実践していることがわかる。

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酒井光雄(さかい・みつお)
1953年生まれ。学習院大学法学部卒業。日本経済新聞社が実施した「経営コンサルタント調査」で、「企業に最も評価されるコンサルタント会社ベスト20」に選ばれたマーケティングのコンサルタント会社、ブレインゲイト代表取締役。著書に『価値づくり進化経営』(日本経営合理化協会)、『全史×成功事例で読む「マーケティング」大全』『成功事例に学ぶ マーケティング戦略の教科書』(共にかんき出版)、『コトラーを読む』『商品よりもニュースを売れ! 情報連鎖を生み出すマーケティング』(共に日本経済新聞出版社)、『中小企業が強いブランド力を持つ経営』『価格の決定権を持つ経営』(共に日本経営合理化協会)、『図解&事例で学ぶマーケティングの教科書(マイナビ 監修)』など多数ある。日経BP社日経BP Marketing Awards(旧名称 日経BP広告賞)の審査委員を務める。

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(ブレインゲイト(株)代表取締役 酒井光雄=文)