「事故からちょうど30年。私はこの間、犠牲者の霊とずっと向き合い、供養を続けてきました。私財をなげうって『安全の鐘』や『御巣鷹茜観音像』、慰霊碑などを建立し、灯籠流しも行った。ただ、この30年の間には、美談だけじゃ済まないことも、本当にたくさんあったんですよ…」
 こう語るのは、520人の犠牲者を出した史上最悪の航空機事故「日航123便墜落事故」の現場(御巣鷹山)で、機体回収・運搬作業などの総監督を務めた伊藤喜孝氏だ。
 同氏は当時、日本通運の提携民間会社を経営。その業務の一環として「滑走路の雪かき」などといった空港整備をはじめ、多種多様な日本航空からの業務依頼も引き受けていたという。

 本誌では、昨年も伊藤氏に話を聞き、事故直後の生々しい現場の様子を記事にしたが、今回は事故後の“隠された真実”を明かしてもらった。
 「一番、残念なことは、日航側の遺族に対する補償の問題。犠牲者の方々の人数や年齢、社会的地位などで多少の金額の差は出ても仕方ないが、日航は“ある特定の遺族”に対して莫大な補償金を支払い、長年にわたって利益供与を続けた。こんなことが許されていいわけがない」(伊藤氏)

 “ある特定の遺族”とは、指定暴力団の元組員だったAという人物だ。事故で内縁の妻を亡くしたというAは、犠牲者の年齢などから算出された4500万円という“規定の補償額”に対してゴネまくり、最終的に7000万円という補償金を手にしたという。
 しかも、話はこれだけでは済まない。
 「Aは、事故から5年以上も経った'91年に旅行代理店を設立。日航のグループ会社から大量のチケットの供給を受け、手数料も大幅に上乗せさせた。わずか3年で、会社の売上を30億円にまで伸ばした。最終的にAが日航から受け取った額は5億円以上とも言われている」(同)

 この問題は、事故後の各マスコミの検証取材によって明らかになり、『朝日新聞』や『週刊新潮』などが、何度も記事にして取り上げている。当のAも、『朝日新聞』の取材に対して、日航からの利益供与があったことを大筋で認めるコメントを残している。
 ただし、Aは'02年に病死しており、今となっては真偽を直接、確かめることはできない。この疑惑に対して、日本航空の広報は次のように回答した。
 「補償の内容やご遺族の関係者の情報に関しては、回答を控えさせていただいております。また、利益供与の有無につきましても、個別の商取引の部分は、回答を控えさせていただいております」

 伊藤氏が続ける。
 「ヤクザの看板で日航を脅していたのはAだけじゃない。もう一人のBという元ヤクザの遺族も同じことをやって、法外な補償金を手にしている。こいつらは言語道断だが、遺族会の一部の人間も、会を私物化するようなことをしたり、遺族という立場を利用して私腹を肥やすなど、目に余る行為をやめない人間もいる。こんなことを、亡くなった犠牲者たちが聞いたら天国で悲しむはずだ」