「息子には大一番に強い人間になってほしいと思います」とライターK

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37歳で初出産(男児)した、本欄女子ライターK。前夜から陣痛の激しい痛みに襲われ、頭は朦朧となりながらも、Kは冷静だった。ただひとり寝ころんだ分娩台からは様々な人間模様や、人の「器」のようなものが見えたという。分娩室は、医師や看護師たちにとって「仕事の現場」。その立ち居振る舞いや言動には、すべての働く人が学ぶべきエッセンスがあったのだ。

■ハンサムな“松島菜々子”に一目ぼれ

出産は、エンジニアの夫(45)の強い希望で「立ち会い」になった。

夫曰く、「辛い時に励ましたいから」。私は「夫の励ましはなくてもいい」派だ。むしろ夫がいることで「血まみれの股間や苦痛にゆがむ表情を見て興醒めしないか?」などの不安から出産に集中できない恐れがあったからだ。

が、産院スタッフの「ご主人には足元ではなく頭のほうに立っていただきますので」との言葉もあり、夫の申し出をしぶしぶ承諾……。

出産当日。休みを取っていた夫は、陣痛促進剤を打つ前の午前10時頃病院に到着する予定だった。ところが、自然陣痛がその前の晩から怒涛のごとく押し寄せてきたため、夫に連絡する間もなく前倒しで陣痛促進剤を打つことになった。

助産師さんから「ご主人はいついらっしゃるの?」と聞かれながら、なんとか痛みを乗り切り、ようやく穏やかになった午前10時半。夫が陣痛室に現れた。

「ごめん、遅くなって。どう?」
「もう峠は越えたよ。麻酔が効いて楽になった」

何でも「記録」したがる夫にとって出産は人生に一度あるかないかの大イベント。それだけに「陣痛の痛み」シーンという一つの山場を見損なったことになる。だが、私の事後報告を聞き、「一緒にいられなくてごめん」と申し訳なさそうだ。案外、殊勝な夫の様子を見て、「いよいよ本番!」という切迫した空気に包まれた気がした。

ただ、一番苦しい時に傍で励まし続けてくれたのが他でもない助産師さんでよかったなと思う。心底、よかったと思う。女ならではの痛みと不安に立ち向かう時は、同じ女性に支えてもらいたい。夫がそばにいたらたぶん邪魔に感じただろう。

担当の助産師は、華奢な体つきでおっとりした話し方をする松嶋菜々子似のアラフォー美女。おっとりとした口調ながら、すべてを受け止めてくれるような包容力たっぷりのオーラがあった。多くの修羅場を体験した人にしか出せない「私に任せなさい」という感じ。言動のすべてが頼もしかった。へんな話だが、抱かれたいと思った。今度出産するなら、ヤワで理屈っぽい理系の夫とは対極にある、こんな"ハンサム"な人の子を産むのも悪くないと。頭は朦朧としていたが、そんな気持ちになったことを覚えている。

■「こちらを見ないでください!」

子宮口が大きく開いてきた午前11時前。

いよいよ分娩室へ。ぼーっとした意識のなか、いきみの練習を始める。こんな大事な時なのに陣痛でエネルギーを使い果たしたためか眠い眠い。菜々子先生に「張ってないときは寝ててもいいですか?」と聞くと「どうぞ。ママがリラックスしているほうがいいので」と許可してくれたので、2〜3分おきに来る陣痛の合間に細切れ睡眠を繰り返す。

お腹が張ってきたらすかさず「スー」「フー」と深呼吸。「フー」の時におへそのあたりを見ながら全身、特に下半身に力を入れるわけだが、そのはずみに排便しないかが気がかりだった。菜々子先生によると、実際ココで排便する人がまれにいるというので、気を抜けない。ライターとしてこれまで人に言えないような恥ずかしい取材をしてきたが、菜々子先生らが見守る今日この場で、その「失敗」だけはしたくない。死んでもしたくない。大きいほうは絶対ダメだ。

そうして時刻はお昼過ぎに。夫は菜々子先生に勧められ、昼食のために退室した。なんと、その間にお産が進み、夫が到着したのは分娩がまさに始まろうとしているところだった。

 大盛りの牛丼(つゆだく)を食べてきたという夫がドアを開くやいなや、女性院長は叫んだ。

「こちらを見ないでください! 壁を向いて歩いてください!」

私は分娩台に寝そべり、入り口のほうにパカーっと足を開いていた。だから股間が夫の視界に入りそうになったのだが、院長がそれを間一髪で防いだ。よく見えなかったが、そばにいた菜々子先生も夫が入室した瞬間、体を挺して、私の股間をブロックしていた。女性院長に菜々子先生。女が、私の股間を男に見せまいと必死の努力をしてくれたのだ。よくわからないけれど、感動して涙が出そうになった。

この産院は患者への配慮が大変行き届いており、その後もスタッフのフォローに救われることになる。それはつまり、夫が失態続きだったことを意味する。

「壁を向いて歩け」と恫喝された夫はスパイダーマンのように静かに横歩きしたあとは、状況を静かに見守り「空気の読める男」になったかと思いきや、さにあらず。ついに分娩が始まるという時、おもむろに夫はこの日のために家電店を3軒もはしごして買った最新型のビデオカメラを取り出した。菜々子先生がそれを見逃すはずはない。

「ビデオは産まれるまでは禁止です!」

しかし、なおも私の足元をうろちょろして、何かを目撃しようと画策している夫に再び!

「(妊婦の)足元のほうには来ないでください!」

さらには、出産した直後、赤ちゃんが私のおっぱいに口元を当てている様をビデオ撮影する夫に対しては、明らかに異常者を見る目で夫を睨み付け、「そこも撮るんですか……?」。 

聞けば、夫は乳首と赤ちゃんの口にじわじわズームしながら録画していたのだが、菜々子先生の一言にはっと我に返り、停止ボタンを押した。

私もこのときうっかりしていたが、なぜ夫に撮影させていたのか。できれば、シミだらけのすっぴん顔や、着衣状態とはいえ分娩台で開脚している姿も撮らないでほしかった。

夫は病院でずっと浮き足だっていた。もしかしたら仕事でも「ここ一番」にはからっきし弱く、実力を発揮できないタイプなのかもしれない。心も体もへとへとの出産直後、私はほんの一瞬、そんなネガティブな心境になった。

ちなみに、赤ちゃんは、3度目のいきみでスポッ! と出てきた。「え、もう産まれたんですか?」。まさかこんなに早く出てくるとは思わず、拍子抜けするほどだった。ボー然とする私の横で、夫はすかさずビデオを回し、赤ちゃんに「産まれてきてくれてありがとう」と声をかけていた。お約束通りのリアクションだった。この男、平凡すぎる。

■動物園の見物客(夫)と飼育係(私)

さて、産後も毎日病室に足を運んでくれた夫。嬉々としてビデオを回すその顔は、結婚後初めて見るような至福の笑み。が、そんな夫になぜか違和感を覚える。なんだろう?

はしゃぐ夫とは対照的に、私の表情は冴えない。

身体の痛みと、授乳トレーニングや沐浴指導などタイトな入院スケジュールで、ぐったりしているのだ。

分かった! 夫は「愛でている」だけなのだ。たとえていうなら、動物園の見物客と飼育係。気楽な見物客と、使命感を持ち世話をする労働者。子の世話をする親と孫を愛でる祖父の違い、ともいえる。同じ親なのに……。ただ、そんな夫も、退院後は徐々に「飼育係」のほうに転向し、ビデオカメラを回す余裕も消失してくるわけだが。

入院期間中、もっとも衝撃を受けた光景は、授乳室だ。ここでは10人近くの産婦が集合し、ふつうに胸を出して赤ちゃんに乳を吸わせる“訓練”をしているのだ。

まず驚いたのは、その巨大な乳房の数々! 私はせいぜいCカップに微増した程度だが、他の産婦らはEカップをゆうに超えている。ズラーっと並ぶ生の巨乳。推定サイズを言うと、私から順に、C、F、F、E、G、J……記録魔の夫がこんな光景を目撃したら、また「ズーム」するに違いない。

意外だったのは、母乳を吸わせることが難しかったことだ。母乳は出産後、自然にドバドバ出るものだと思っていた。しかしそんな人はごく一部。とはいえ、1日経ち2日経つと母乳が出始めている模様。一滴も出ない私は焦る。夫も母乳が出ないことを心配している。産後も貧乳で母乳が全然出ない私は、女性として欠陥商品なのでは、という劣等感が芽生え始める……。母乳を子供にあげるシーンを撮れない夫は、ずっとイラついていた。結局、スムーズに授乳できるようになるまで1カ月余りかかった。

振り返ってみると、産前〜産後を通して最大の試練はこの授乳トレーニングだった気がする。産後ウツならぬ授乳ウツになりかけていた私を常に励まし続け、ストレスがかからないように気遣ってくれたのは菜々子先生をはじめとする女性スタッフだった。

夫は病院ではKYだったが、産前産後を通し献身的に私をサポートしてくれ、大変感謝している。授乳前に母乳が出るようホットタオルを作ってくれることもあった。しかし少し油断すると、「吸ったら母乳が出るようになるんだよね。じゃあ片方僕が吸おうか?」といった発言を平気でする。出産を通じて、私の夫評価は明らかに下がった。

(ライターK=文)