コンフェデ杯3連敗。それをショックに感じている人は少なくない。ザッケローニ監督にも懐疑的な目が向けられるようになっている。とはいえ、3連敗は当たり前といえば当たり前の話。ブックメーカーの予想通りの結果であり、ランキング通りの結果だ。驚くに値する話では全くない。

 結果でしかものを見られない人が、いかに多いか。その事実が明るみになったというべきである。多くの人は、勝っている間は騒ごうとしない。相手がどれほど弱くても、だ。メディアは「結果は残した」と、お約束の台詞を吐く。遠回しに、持ち上げようとする。ファンもそれにつられる。よって、問題が表面化することはない。

 イラク戦。カタールのドーハで行われたアジア予選の最終戦。ザッケローニは吉田、長谷部、本田こそ休ませたが、その他は、従来の選手を起用した。前戦のオーストラリア戦でW杯出場を決めていたので、この試合は文字通りの消化試合。コンフェデ杯の初戦、対ブラジル戦を、長距離移動込みの中3日で戦わなければならないことを考えると、ザッケローニは遠藤、今野など主力を大幅に休ませるものと思われた。

 それが常識に他ならなかった。続くイタリア戦も中3日。最後のメキシコ戦は中2日での戦いだった。

 ちなみに、第1戦が行われたブラジリアと第2戦が行われたレシーフェ、そのレシーフェと第3戦が行われたベロオリゾンチは、それぞれ軽く1000キロ以上離れた場所にある。

 イラク戦からの4連戦は、かつて経験したことのない強行スケジュールの中で行われた。イラク戦に主力組を休ませることこそが常識だといいたくなる一番の理由になる。

 メキシコ戦後の監督記者会見で、ザッケローニはコンディションの悪さを口にした。

「メキシコより疲れが回復していなかった」

 メキシコの試合間隔は日本同様、中2日。ただしメキシコは、1戦目と2戦目も中2日で戦っているので、総合的な条件は日本より不利だ。にもかかわらず、ザッケローニは「メキシコより疲れが回復していなかった」と述べた。

 メキシコは、日本戦に臨むに当たり、第2戦のブラジル戦からスタメンを6人替えた。対する日本は3人。長谷部が出場停止処分(累積警告)の身の上でなかったら、2人だっただろう。

 つまり、ザッケローニは可能な限り固定メンバーで戦い、敗因を、彼らのコンディションの悪さにした。それは言い換えれば、自らのマネージメント能力のなさを暴露したことを意味するのだが、メディアの突っ込みが甘いせいか、ザッケローニには、その自覚がない様子だ。

 そのぐらいのことは、イラク戦の前から分かっているだろといいたくなる。十分に予想できたこと。素人でも分かる理屈だ。おそらくザッケローニも、ある程度予想していたはずだ。にもかかわらず、ザッケローニはイラク戦でスタメンを最小限しか替えなかった。

 替えられなかったのだと思う。敗戦が怖かったから。「監督交替!」と騒がれることを恐れたから。つまり、結果至上主義の罠に監督自らはまり込んでいた。日本人の若手監督ならいざ知らず、推定年俸2億円を受け取る元ACミラン監督としては、あまりに情けない、恥ずかしすぎる姿である。

 イラク戦のスタメンを見たとき、コンフェデ杯の結果は見えていた。メキシコ戦で息切れすることは、十分予想できたことだった。

 しかし、少なくともメディアは、イラク戦の勝利を大いに喜んだ。ザック采配に懐疑的な目を少しも向けようとしなかった。彼らもまたザッケローニ同様、結果至上主義に陥っていた。

 しかし結果至上主義者は、コンフェデ杯3連敗にも敏感に反応する。いま、ザッケローニに向けられる懐疑的な目の多くは、結果至上主義に起因している。喜べる話でも、褒められる話でもないのだ。

 すべての拠り所は結果。何度もいうが、結果と異なる話ができない体質こそが、日本のサッカー界を覆う最大の癌だ。勝てば喜び負ければ悲しむ。すなわち、人と異なる意見がいいにくい、時のムードに流されやすい環境に支配されている。これでは洞察力、推察力は磨かれない。勝利の裏に潜むマイナス要素に、目をくれようとする人はきわめて少数派だ。

 コンフェデ杯でいえば、ブラジルがスペインを下せば、試合間隔、移動条件など勘案することなく、ブラジル強しと一斉に報じる。あのブラジルは本当に強かったのか。疑おうとしない。勝ったことと強いことは同じ意味ではない。

同じ条件でもう一度戦えばどうなるか、という方向に話に進んでいかない。本番は来年だというのに、だ。

 結果を疑え。勝利を疑え。それこそがサッカー的な行為だ。プレイする側だけでなく、こちらも相当なクセ者にならないと、サッカーのレベルは上がっていかないと僕は思う。