女優、芸人、弁護士……。著名人がひな壇に行儀よく並んでいる。仕切りの上手な司会者が番組を回す。誰が何を言うのだろう。誰がどんなリアクションをするのだろう……。番組を見ているうち、筆者にはテレビの画面が金魚鉢に、そしてひな壇に座る人たちが狭い金魚鉢で泳ぐ金魚に見えてきた。

「ひな壇番組」が激増している。なぜ、似たような番組が増えているのか。「女性セブン」4月4日号の「新われらの時代に」という特集記事は、「『ひな壇番組』どうしてこんなに?」と言うタイトルでこの問題を取り上げている。

記事では、「ひな壇番組」が茶の間を席巻している理由を、おもに「制作側の?大人の事情?」だと分析している。まず、社会学者の稲増龍夫氏が「ひな壇番組」のルーツは「『笑点』の大喜利」であり、本格化したのが「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」からだと指摘する。

さらに、「恋のから騒ぎ」で定着し、「アメトーーク!」で発展していった。その後は、ゴールデンタイムを中心に、雨後の筍のごとく「ひな壇番組」が放映されるようになった。元フジテレビプロデューサーの佐藤義和氏は、その理由を「`09年のリーマン・ショックがきっかけで、テレビ局の広告収入が減り、制作費が削減された結果」だと分析する。

一方、デーブ・スペクター氏は、テレビ局と「事務所とのつきあい」もあると言う。また、「売れっ子を出す代わりに売れないタレントも抱き合わせで出」したり、「ドラマの宣伝活動の一環として破格のギャラで出」したりという「?バーター?」もおこなわれていることを暴露している。

そうやって呼ばれた出演者には、「トーク力なんか考慮してない」し、「結局、純粋に力量があるから呼ばれている人はごくわずかで、8割くらいは?ワケあり物件?」だとデーブ氏。たしかに、場違いなゲストや何も話さない出演者がひな壇に座る番組も多い。

佐藤氏によれば、「かつてはどの番組にも、いかにもフジ、いかにも日テレといった局のカラーがありましたが、今はオープニングから中身、CMの入り方や戻り方、エンディングに至るまで、どの局も全部同じ作り方」になっていると言う。

記事は、「はっきりと物を言いたいけれど、自信がなくて言えない。恥ずかしくて自分をさらけ出せない。言うと嫌われそうだから、ついごまかしてしまう」といった視聴者の心理が、それらを出演者のトークで解消してくれる「ひな壇番組」を渇望しているのだと結論付けている。

たしかに、そうかもしれない。だが、「ひな壇番組」など渇望していない筆者は、「アメトーーク!!」以外の「ひな壇番組」は見ていない。たまたまテレビを付けたときに見かける「ひな壇番組」の画面を見ていると、昔、雑誌で見たことのあるタイのソープランドを連想してしまう。

客とソープ嬢とは、金魚鉢と呼ばれるガラスで仕切られている。ひな壇には、客からの指名を待つソープ嬢がずらりと並ぶ。考えてみれば、「ひな壇番組」の出演者だって、局から指名されなくなったら商売にならない。どちらも、生き残るのはたいへんなことだと思う。しかし、そのことと「ひな壇番組」がつまらないこととは関係ない。

番組の制作者には、もっと工夫してほしい。横並びじゃないと、乗り遅れてしまうなどとビビらないでほしい。冒険してほしい。予算がなくても、工夫次第でおもしろいことがいくらでもできることは、ニコニコ動画やYouTubeを見ていればわかると思うのだが。

(谷川 茂)