では、私はどんな質問をしてほしいと思っているのか?

よくNHKの相撲中継でアナウンサーが勝利インタビューで「今日は、仕切り線から一歩下がって仕切っていましたね」などと聞くことがある。すると力士は「おやっ」というような顔をして「先に踏み込んで廻しを取りたかったので」とか話すのだ。「(自分が)工夫したこと、考えたことを見てくれていたのか」と思うと人は、口が軽くなるものだ。

名人級の遊撃手は、塁に走者がいるときは、守備位置の前のごみを拾って捨てたり、足元を均したりすることがよくある。イレギュラーを防ぐためだが、同時に「どんな球だってとるぞ!」という意気込みを打者に見せつけてプレッシャーを与えているのだという。打者だって、投手ごとに立つ位置を変えたり、狙い球を絞ったり、いろいろ工夫している。球の見送り方一つをとっても、いろいろな駆け引きがあったりする。

そういう現場でなければわからないような、小さな、しかしプロフェッショナルそのもの、という様なプレーについての質問を選手にぶつければ、選手は今までと違ったことを話してくれるのではないか。

もちろん「何にも考えずに打ちました」という選手もいるにはいるだろうが、百年一日がごとく「がんばりました」「感動です」ばかりでは、わざわざ現場に張り付いている値打もないと思う。

記者、ジャーナリスト諸氏は「予定稿」の裏を取るために取材をするのではなく、現場で「発見」をし、それを選手や監督にぶつけて、新しい「言葉」を引っ張り出していただきたい。せっかく一般人の行けないところにいるのだから。