ずっとやってる『肉じゃが戦争』って?



多くの男性がおふくろの味と考え、彼女に作ってもらいたい料理のひとつでもある「肉じゃが」ですが、発祥地を巡る争いが繰り広げられている事をご存じですか?

これは京都府の舞鶴市と広島県の呉市の間で行われているもので、『肉じゃが戦争』などと呼ばれています。今回は、1997年からかれこれ15年間も続いている肉じゃが戦争についてご紹介します。



■そもそも肉じゃがの発祥って?



まず最初に、肉じゃががどのような経緯で生まれたのかを説明しましょう。肉じゃがの歴史は明治時代、日本海軍の司令官として有名な東郷平八郎がイギリスに留学したことから始まります。留学先でビーフシチューを食べた東郷はその味を大変気に入り、帰国後、軍の料理長に艦上食として同じものを作るよう命じました。しかし当時の舞鶴にはワインやバターが無かったために、しょうゆと砂糖で味付け。そうしてできあがった「甘煮」という料理が肉じゃがの原型であると言われています。



この甘煮は脚気対策に有効だとわかり海軍全体に普及され、その後肉じゃがとして全国に広まりました。



■最初に名乗りをあげたのは舞鶴市



舞鶴と呉との肉じゃが戦争ですが、最初に世間に向けて肉じゃが発祥の地をアピールしたのは舞鶴市でした。先ほど紹介した、肉じゃが発祥の大きなきっかけをもたらした東郷元帥が舞鶴の鎮守府(軍の拠点)に初代司令官として赴任したこと、そして当時の肉じゃがのレシピが全国で唯一残っていること、これらを材料に発祥の地として名乗りをあげたのでした。



ところが……



それから2年後の1997年。広島県の呉市が「呉こそが肉じゃが発祥の地だ!」とアピール。呉市も舞鶴と同じく東郷元帥が司令官として赴任していたことがあり、さらに赴任したのが舞鶴よりも10年も前だったことから「肉じゃがが最初に作られたのは呉である!」と主張しました。



舞鶴と呉との肉じゃが戦争の始まりです。



■舞鶴と呉との終わらぬ戦い



「ウチが元祖!」と争っている舞鶴市と呉市ですが、唯一のレシピが残されている舞鶴が一歩リードしている感があります。しかし呉市は負けません。舞鶴市の肉じゃががレシピ通りではないと主張しました。



舞鶴市の肉じゃがは、肉とじゃがいもとタマネギだけを使う甘煮のレシピとは違い、にんじんやグリーンピースなどを入れた現代風にアレンジされた肉じゃが。対照的に呉市は海軍のレシピ通りの肉じゃがです。「舞鶴の肉じゃがは東郷元帥の肉じゃがとは別物!」と呉の肉じゃがの優位性をアピールしたのでした。さらに「甘煮のレシピの原型は本来別の地域にあったもので舞鶴に書き写されてきただけ」「舞鶴の家庭では現代風の肉じゃがが多いが、呉の家庭では甘煮に近い肉じゃがが主流。よって呉こそ発祥の地」と主張し、攻勢に出ました。



ここで舞鶴も反撃に出ます。



舞鶴は東郷元帥が留学したイギリスのポーツマスから、舞鶴が肉じゃが発祥の地というお墨付きをもらっていることや、NHKのデータブックにも肉じゃがは舞鶴が発祥と記載されていることなどを主張しました。



そして両者は「ならば勝負だ!」と定期的にお互いの地元のイベントに参加し、自慢の肉じゃがを振る舞うことになりました。この交流は15年たった今でも論争の終着点が見えないまま続いており、今後もあいまいなまま、ずっと続いていきそうです(笑)。



しかしこの肉じゃが戦争のおかげで、わずかながら世間の注目を浴びることになった両市。町おこしとしてはうまくいったのではないでしょうか? お互いの地域の活性化にひと役買っている肉じゃが戦争。地元民としても、この美味しい戦いは続けていってほしいものです。



(高橋モータース@dcp)