『あの実況がすごかった』伊藤滋之/メディアファクトリー新書
「オリンピック、W杯、野球、世界水泳……。名勝負の裏側には、必ず「名実況」があった!(表紙より)
第1章「デビュー」/第2章「スポーツの醍醐味・想定外」/第3章「イントロダクション」/第4章「オリンピック」/第5章「解説者」、とテーマごとに考察されていて、非常に明快な実況論評だ。
プロ野球はいよいよクライマックスシリーズがはじまり、Jリーグも混戦のままシーズン終盤をむかえる。16年ぶりの日本開催となる世界体操は団体・個人ともメダル確実と言われ、F1鈴鹿グランプリや秋のG1戦線などレース系も目白押しだ。
10月ー。それはスポーツファンにとって最も楽しく忙しい季節。「もう、どっから見りゃいいんだよっ」とお悩みの方も結構いるはず。できればスタジアムで生観戦!といきたいけれど全部は無理だから家でもテレビ観戦をハシゴ、なんてこともまたスポーツの楽しみ方のひとつだ。でも実はテレビ観戦の方が面白い場合って多くないですか?
生のスポーツ観戦とテレビ観戦の一番の違いは「実況アナウンサー」がいるかどうか。プレーの細かい描写だけでなく選手の裏エピソードなども織り込みながら、スポーツの奥深い一面をさらに掘り下げてくれる実況アナウンサー。その言葉の数々がどのようにして生まれるのか、という背景に迫った本が『あの実況がすごかった』だ。

長野五輪、スキー原田の大ジャンプ
アテネ五輪、北島康介の平泳ぎ決勝
杉本清アナの数々の競馬実況 etc.

本書ではこれらをはじめとした歴代のスポーツ名場面が「実況アナウンサーの言葉」で再現されている。文字に起こされた名文句の数々を音読するだけで、脳裏にはいつか見た名シーンが自然とリプレイされていく。これだけでも十分なエンターテイメントだ。だが、この本は過去の名実況を並べただけではないのがすばらしい。なぜその実況が生まれたのか、その背景までも含めた「スポーツ中継の魅力」に迫った一冊と言える。
これまでも「実況アナウンサー」や「実況」に迫った本はいくつかあったが、そのほとんどが“アナウンサーの視点”からまとめられた本だった。だが、この本の著者・伊藤滋之氏はオリンピックやサッカーW杯、世界陸上などのスポーツ中継、さらには「筋肉番付」「熱闘甲子園」「Get Sports」など数々のスポーツ番組に携わってきた「放送作家」が普段の仕事。それだけに“スポーツ番組というコンテンツ”をどう作っていくか、という分析がしっかりなされている。

例えば、「競技中に何をしゃべったか」だけでなく、番組冒頭の「イントロダクション」に注目している点。
実況、と聞くとプレイごとの「点」の描写を思い浮かべがち。でもスポーツはシーズン全体の流れ、大会の位置づけなど歴史的な背景も踏まえた「線」で見ていくこともまたひとつの醍醐味だ。むしろ熱心なスポーツファンはその流れこそを楽しんでいる。だからこそ、試合や大会の位置づけをアナウンサーがどう表現しているのか、というのは非常に興味深い視点で、ここを読むだけでもこの本を読む価値がある。
具体例として挙げられているのが、“日本サッカーの生き字引”とも言われる元NHKの山本浩アナウンサー。木村和司伝説のフリーキックで有名なメキシコW杯予選、日本中が落胆したドーハの悲劇、1993年のJリーグ開幕戦、日本サッカー28年ぶりの五輪出場決定の瞬間、ジョホールバルの歓喜、フランスW杯初戦などなど。日本サッカーの節目節目に必ず山本アナウンサーの声があったことがわかる。その時、山本アナウンサーが何をテーマにしゃべっていたか、というのは大河ドラマを見るような面白さだ。

また、「解説者の言葉」に注目している点も面白い。経験とカンから導きだされる解説者の「予言」をどのように引き出すか、解説者の暴言にどう対応するか。これもまたアナウンサーの技量のひとつだ。
具体例のひとつとして紹介されるのがなんと松木安太郎氏。記憶に新しいアジアカップでの迷解説「なんなんすか、これ?」をはじめ数々の暴言迷言が一字一句文字越しされている。かつてこれほどマジメに松木安太郎研究をした人がいただろうか? ここで全文紹介したいくらいだが、ぜひ本書を買って読んで笑っていただきたい。

このほか、「ドーハの悲劇」の中継では日本テレビがラモス、TBSがカズ、フジテレビがゴン中山、テレビ朝日がキャプテン柱谷、といった具合に選手一人一人に“担当テレビ局”があったこと。イナバウワーがおなじみになった「トリノ五輪・荒川静香選手の演技」、その演技後半2分間を実況アナウンサーが何もしゃべらなかったからこそ生まれた感動など、たまにしかスポーツを観ないような方はもちろん、熱心なスポーツファンでもスポーツ中継の見方が変わるエピソードが満載だ。
実は私自身もいま実況アナウンサーを追いかけているのだが、そこで取材した永田アナウンサーも「見ればわかることを言葉にするとかえって邪魔になる」と目の前に起こったことをしゃべるだけが実況アナウンサーの役割ではないことを話していた。スポーツ実況ってホントに奥が深い!と痛感するばかりだ。本書の中で「杉本清の実況のネタを肴にすえればいくらでも酒が呑める」というエピソードが紹介されているのだが、その気持ちがものすごくよくわかる。どなかたか、この本を肴に一杯やりませんか?(オグマナオト)