『大江戸ぐらり 安政大地震人情ばなし/出久根達郎』(2011年8月5日発行/実業之日本社) 元版では、第二部の最後に「千三屋──あとがきにかえて」というエピソードを入れ、そこで「この本は著者の創作ではなく友人から提供された資料を元に書かれたものである」というジョークを書いておいたところ、それを真に受けた読者から「出版信義にもとる行為」と避難されてしまったという。そこで、今回の文庫化でふたたび誤解されることを恐れた著者が、あらかじめ誤解を解くための不本意な「文庫版あとがき」をつけているのが……とても微笑ましい。

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新刊が出たと聞けば、内容の如何に関わらずとりあえず買ってしまう作家が5人ほどいる。そのうちの一人、出久根達郎の新刊が出た。
『大江戸ぐらり 安政大地震人情ばなし』と題するこの本は、2007年に単行本として刊行された『ぐらり! 大江戸烈震録』を改題し、文庫化したものだ。

出久根達郎という人物、中学を卒業後に集団就職で上京し、月島の古書店に勤めた。そこで古本屋としての修行をしたのち、独立して杉並区高円寺に「芳雅堂」を開店した。出久根は古書店を営むかたわら執筆活動にも力を注ぎ、1993年に『佃島ふたり書房』で第108回直木賞を受賞した。つまり、本を商うことと、文学を生み出すこと、書物というもののふたつの側面を共に味わった希有な人物でもある。

おもに、長年商いとして関わってきた古書にまつわるエッセイを得意としているが、それ以外にも『御書物同心日記』や『抜け参り薬草旅』など、時代小説の名手でもある。そんな達郎(親しみを込めてタツローと呼びたい!)が、安政二年に関東地方南部で発生したマグニチュード6.9の大地震を題材に描いた連作小説が、この『大江戸ぐらり』だ。

東北地方が未曾有の大震災に襲われてから、まだ間もない時期にこんなことを言うのもなんだが、昔から大災害というのは、エンターテインメントの題材として、度々採り上げられてきた。とくに日本列島は、地震大国として世界中から畏れおののかれているという現実がある。そりゃあ、地震小説のひとつやふたつ、書かれていてもおかしくない。

ところが、あらためて地震を題材にした小説を探してみると、思いのほか「これは!」というものが見当たらない。村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』は1995年の阪神大震災をテーマにした作品だが、震災が登場人物たちの心に変化を与えるきっかけとして出てくるだけで、直接には震災を描いてはいない。
記録文学の大家、吉村昭には『関東大震災』というそのものズバリな題名の作品があるが、これは丹念な取材の成果を緻密に組み上げたドキュメンタリーとしての側面が強く、震災を描いた小説と呼ぶには、やや抵抗がある。

というわけで『大江戸ぐらり』だ。

本書は二部構成になっている。
第一部では、下谷広小路で商売をする仏具店「甲子屋」の一人娘おようが、安政の大地震に遭遇する物語。およう自身は運よく生き延びることができたが、この震災で両親と祖母を亡くしてしまう。やがて、叔父の喜之助と再会したおようは、震災後の混乱に乗じて泥棒や人さらいがうごめくなか、人々の人情に支えられ、喜之助とともに家の再建を目指していく。
後半の第二部では、震災に遭った人々の体験談を聞き集めていた喜之助が、念願かなってそれを『安政地震見聞録』として出版したという設定で、その本からのエピソードが四編収録されている。これがまた、人情ものの時代小説としてよく出来ているのだ。

未曾有の大震災を小説の題材にするとなると、どうしたってショッキングな描写、極限状況におかれた人間の醜さ、嘘や欲望といったものを散りばめ、それによって物語が進んでいくようなものを予想していた。
ところが『大江戸ぐらり』には、たしかに悪者は出てくるけれど、そうしたキャラクターに物語が引きずられることなく、どの話も読み終えての後味がいい。下衆な好奇心で物語を引っ張っていないのだ。わたしがタツロー小説を愛する所以である。

とくに気に入ったのが、「お名指し」という一編に出てくる駕篭かき人足の「しどろ」と「もどろ」の二人組だ。このコンビは、駕篭を担いでも二人の足並みが揃わないので「しどろもどろ」と名づけられた……と思われているが、本当はべつの理由がある。

江戸っ子はヒをシと発音するから、しどろは「火泥(ひどろ)」。つまり火事場泥棒のこと。もどろは「喪泥(もどろ)」で、香典泥棒。ようするに、駕篭かきを仮の姿にして、裏では泥棒稼業にいそしんでいるという、とんでもない奴らなのだ。まずは、このネーミングのうまさに、唸ってしまう。
そのうえ、二人は泥棒ではあるけれど、ちょっと間が抜けているもんだから、泥棒に入った家でなぜか人助けをすることになってしまう。そんな暖かい読後感こそが、出久根小説のいいところだ。

大震災、津波、台風。自然災害などない方がいいに決まっているが、せめて災害を受けてもなお逞しく生きようとする人々の物語を読むことで、ほんの少しでも復興の足固めの役に立てば、といまは思う。
(とみさわ昭仁)