NISAで必死に「出口戦略」を求める投資家が築けない〈資産の正体〉
NISAや積立投資の普及により、いつ利益を確定させ現金化するのかという「出口戦略(エグジット)」が注目を集めています。しかし、企業を深く観察し、じっくりと時間をかけて選び取る「のろまな投資」において、焦って出口を探す必要はないと著者は語ります。本記事では、リチャード・ケイ氏の著書『日本株を買う外国人 外国株を買う日本人』(星海社)より一部を抜粋・再編集し、お金で測れない「非財務資産」の価値と、投資における「出口戦略」のあり方について解説します。
金銭で測ることができない「非財務資産」の価値
ここでは、金銭、お金をモノサシにして定量化、測ることができない資産を『非財務資産』と定義します。
たとえば、その企業に対して強い共感を抱いている顧客は顧客資産と呼ばれますが、この資産を定量化することはきわめて難しいものです。どうにかして数値にしたところで、唯一の正解は存在しないでしょう。こうした『非財務資産』は、企業だけではなく個人の財産にも存在しています。
私自身の財産のうち、『非財務資産』で最も大事にしているのは、手触り感のある社会や周囲の人たちとのご縁、「つながり」です。
企業調査、対話の現場で多くの経営者やキーパーソンと膝を突き合わせ、数字の奥にある「志」を語り合い、時には市場の急変という嵐の中でもその本質を見極めようとする。そうして培われた信頼関係や、そこから得られた社会への深い解像度は、私個人の財産、バランスシートに載せることはできません。
しかし、それこそが、私が投資家として歩み続けるための最大の拠り所の一つであり、何ものにも代えがたい『非財務資産』になっているのです。
お金では得られない“つながり”を生む「のろまな投資」
「のろまな投資」は、企業を深く観察し、その背後にある人々の情熱、意志、創意に触れるプロセスがベースになっています。
したがって、投資家と社会という大きなネットワークとの「つながり」は時間と共に長く、太く育っていきます。そこにあるのは「孤独」ではなく、目の前にいる人との関係性です。自分という存在が誰かの価値創造に寄与しているという、手触りのある確信を与えてくれるのです。
気になる一本の木(企業)を見つけ、その背後にいる経営者の哲学に耳を傾け、現場ではたらく人々の誇りに思いを馳せる。自分の資産が、誰かの挑戦を支え、誰かの雇用を守り、社会を少し良くしている。
その「実感」は、金銭、お金で計られる評価だけでは決して得られない「つながり」になります。
投資に「完成」を求めるのをやめ、「未完成」を楽しむ
多くの人が、資産形成ではゴールすなわち「完成」を目指しているように私には思えます。しかし、のろまな投資家にしてみると、完成予想図通りに最短で完成させることに関心はありません。
そもそも完成予想図など持っていません。自分の目で、耳で触れた、感じたことから得た納得という名の石を自分で加工しながら一つずつ積み上げていく、その「建築プロセス」「未完成であること」を楽しんでいる、それがのろまな投資家です。
財務諸表に載せられた数字(財務資産)が「過去の記録」であるのに対し、あなたが積み上げる『非財務資産』は、常に脈動し、変化し続ける「現在進行形の生命力」です。投資に「完成」を求めるのをやめ、自分自身が「未完成」であることを受けいれられたとき、私たちは初めて、他人の時計に振り回されない真の自由を手にします。
私たちが投資する対象、「企業」もまた完成品ではありません。社会の課題と正面から向き合いながら、日々形を変え、成長し続ける「未完成な生命体」です。
企業が価値を生み出し続けるのは、常に「今よりも良い社会をつくりたい」「この課題を解決したい」という、未完成ながらも、変化を受け入れ向き合い続ける情熱が常にそこにあるからです。
その終わりのないプロセス(ゴーイング・コンサーン)を、自らの資産の中に取り込んでいること。これこそが、株式投資の本質を示しているようにさえ思えるのです。
のろまな投資家が「出口戦略(エグジット)」を探さない理由
株式投資の本質が、未完成な資産のその未完成さを楽しみ、その変化を受けいれ続けることにあるとしたら、「(投資の)出口」という言葉をどう考えるべきなのか。
NISA、積立投資の普及、浸透が進んだ結果、「出口戦略(エグジット)」という言葉に触れることが増えました。いつ利益を確定させるのか、どうやって資産を現金化していくのが正解なのか。
しかし、この「出口」という言葉、企業がゴーイング・コンサーンの生命体であることに加え、私たち一人一人の命がいつまで続くかわからないことを踏まえると、真正面から向き合うべきものかどうか疑わしいのです。
出口とは、本来、火事の現場や窮屈な劇場、あるいは危険な状況から安全な場所に逃げ出すための“脱出口”を指す言葉です。もし私たちが投資に対して必死に出口を求めているのだとしたら、それは上に下に評価が不安定にブレ続ける状況から一刻も早く逃げ出したい、投資を通じて関わっている企業との関係を清算してしまいたい、なにより、こうした毎日を「苦痛」だと見なしている証拠ではないでしょうか。
しかし、のろまな投資では、出口を探しません。なぜなら、のろまな投資は、苦痛からの避難ではなく、より良い社会を共に築く「つながり」であり、そのプロセスそのものが人生の報酬だからです。
もちろん、生活のために資産を取り崩す日は来るでしょう。しかし、それは「(速く、あるいは、効率重視の)清算」ではなく、共に育てた木から「果実を収穫する」ような、温かな循環の一部であるはずです。
その状態から逃れることに安堵するのではなく、感謝しながら別れを惜しむのに近いものがあるはずです。ですから、一刀両断に一気に資産を清算するという行動を取る必要もありません。
あなたが「のろま」に歩み、丹念に育て上げた資産は、もはや単なる数字の羅列ではなく、あなた自身の人生の一部となっていることでしょう。出口を探して焦るのをやめ、未完成であることの豊かさを抱きしめる。そのとき、投資は「未来を不安がる作業」から、「現在を豊かに生きながら未来に希望を託す意志」へと変わります。
誰かの作った出口を目指して急ぐのをやめ、自分自身の「納得」という石を積み上げ続ける。その未完成な歩みこそが、あなたを本当の意味で「豊かさ」へと導いてくれるのです。
リチャード・ケイ
コムジェスト
ファンド・マネージャー

