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人生100年時代、長年住み慣れた「我が家」が、老後の安心を約束してくれるとは限りません。愛着による実家の維持、加齢に伴う身体機能の変化、そして災害時の避難リスクなど、高齢期の住まいを取り巻く課題は多様化しています。今回はある親子の事例から、高齢期の住まいと利便性について考えていきます。

築50年の戸建てに住む76歳男性が直面する「住み替え」の現実

埼玉県内の住宅街にある木造2階建て住宅に、田中茂さん(76歳・仮名)は一人で暮らしています。この家は50年前に新築で購入した物件です。数年前に妻を亡くし、現在は月額約15万円の公的年金で暮らしています。

自宅は最寄り駅からバスで30分ほど離れた場所。最寄りのバス停からも徒歩8分かかり、坂道もあるため、決して交通アクセスに恵まれた立地ではありません。さらに築50年が経過した建物は老朽化が目立ち、玄関や廊下には段差が多くあります。断熱性も低いため、夏は暑く、冬は寒い……正直、“住みにくい”家でした。

都内で暮らす長男の健一さん(50歳・仮名)からは、バリアフリー対応の駅近くのマンションへの住み替えを提案されました。

「駅に近いほうが、何かと便利だし、遊びに来るのも楽だから、お互いにいいだろう」

自宅を売却すれば、購入資金の一部を充当できる計算でした。茂さん自身も、一時は引っ越しを真剣に検討しました。

内閣府『令和6年度 高齢者の経済生活に関する調査』によると、高齢者の持家率は81.7%(うち一戸建てが78.2%)に達しています。老後の備えとして「住まいに関する備え(住宅の確保やリフォーム、修繕等)」に取り組む必要があると答えた人は25.5%にのぼり、今後の生活で必要だと考えるサポートとして「バリアフリー住宅改修や住み替えの支援など住宅関連の支援」を挙げた人も30.0%(1~3番目の回答合計)存在します。

住み慣れた持ち家の老朽化や身体機能の変化に伴い、自宅のリフォームや利便性の高い住宅への住み替えを検討することは、多くのシニア世代にとって避けられない課題なのです。

「最寄駅から家までは20~30分かかりますし、バス便もそこまで多くありません。時間が悪いと、電車を降りて家に着くまで1時間ということも。そう考えると、駅前に引っ越したほうが、家族との時間は増えると思いました」

孫はすでに高校生ですが、今でも何かと連絡をくれます。

「元気? 」

「この前の試合、優勝したよ! 」

そんなLINEのやりとりも、茂さんの楽しみのひとつでした。直接会う機会が増えるなら、うれしい限りです。一時は転居に気持ちが傾いていたものの、結局、“今のまま”を選びました。

住まい選びで不可欠となる「地域生活インフラ」の維持

「家族との物理的距離は近いほうがいいと思ったんですが、父は今の日常が続くことを望んだんです」

茂さんが転居を踏みとどまった最大の理由は、医療機関へのアクセスでした。

「利便性だけを見れば、駅近くのほうが圧倒的に快適です。ただ、何かとお世話になっている行きつけの診療所は、ここから歩いて5分。引っ越せば、新しい病院を探さないといけない」

茂さんは慢性疾患を抱えており、定期的な診療が欠かせません。体調に異変が生じた際、すぐ診てもらえる環境は、大きな安心感をもたらします。

病院の存在だけではありません。自宅の周辺には長年利用している個人商店や、毎日の散歩で挨拶を交わす知人が暮らしています。近所のスーパーの従業員は茂さんの買い物の傾向を把握しており、「今日は安くなってるよ」などと、声をかけてくれる間柄です。

もし駅近くのマンションに引っ越したなら……住まいの段差や暑さ・寒さといった問題はすべて解決。快適そのものでしょう。しかし、50年で築いてきた人間関係やライフスタイルは失われます。

「この年になると、ちょっとした苦労よりも、環境が変わってしまうほうがツラいんだよ」

高齢者の場合、転居など、環境の変化により、孤立化したり、体調を崩したりすることも珍しくありません。厚生労働省『高齢者の保健事業と介護予防の一体的な実施に関する資料』では、地域とのつながりや社会参加が、要介護状態の予防に寄与することが示されています。

結局、住み替えを取りやめた茂さん。長男の健一さんも、父親の気持ちを尊重しました。その代わり、自宅をリフォーム。玄関への手すり設置や浴室の段差解消など、必要な部分のみ工事を実施し、費用の一部は健一さんが負担しました。

「築50年の家のままでは、私安心できませんから」

老後の住まいを考える際、建物の新しさや駅からの距離といった条件に目が向きがちです。しかし、日常的な医療や地域住民との関係性といった「地域の生活インフラ」も含めて検討することが重要です。