オバQや沢田研二が登場し、“ビキニ姿”で海水浴も…アニメ版「サザエさん」とは大違い 原作漫画で光る長谷川町子さんの“時事ネタ”への感度
「タラちゃんは女の子?」「タマはいない?」……国民的漫画としておなじみ「サザエさん」。
今年は地方紙の4コマ漫画として産声を上げてから、80周年となる。長く愛され続けてきた作品だが、意外と知られていないアニメと原作の違いや、意外なエピソードを紹介し、国民的コンテンツの秘密に迫る第2弾!!(前後編の後編・文中敬称略)
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ミッキーにオバQ、ジュリーも登場!
毎日発刊する新聞での4コマ漫画で、時事ネタの影響は避けられない。「サザエさん」も同様で、それが作風の1つにもなっている。
日本ではゴールデンタイムの午後8時に放映のあったミッキーマウスが番組として出て来たこともあるし(63)(※括弧内数字は朝日新聞朝刊での掲載年。1900年代の下2桁)、65年にアニメ化され大人気となった「オバケのQ太郎」も、翌年、カツオのエプロンへのイタズラ描きとして掲載(*エプロンは下が湾曲しているので、オバQの頭をそちら側にした)(66)。沢田研二ことジュリーは、ワカメのお気に入りで、そのブロマイドが登場している(68)。

アニメでも、有名人やキャラクターとのコラボはあるが、それはどちらかというとサービスカットの類いで、笑いのネタとしてメインとなることは少ないだろう。ついでながら、「モナ・リザ」が日本に来ることが決まると、その翌月には、サザエが髪型をモナ・リザ風にする姿も(73)。珍しい長髪の姿だが、2コマ目で早くもワカメが意見している。
〈にあわなーイ〉(1973年10月2日掲載)
食事は、椅子にテーブル。キスシーンも!?
終戦翌年に地方紙で連載が開始された「サザエさん」だけに、特に初期は洋式の味付けが多かった。サザエは波平やフネを「パパ」「ママ」と呼んでいるし、1952年10月28日には、早くも食事がパンに(しかも夕食)。アニメでは、磯野家の象徴と言っていいちゃぶ台も、1969年(12月10日)には姿を消し、以降、一家の食事はテーブルでなされることとなる(ちゃぶ台はその後も登場も、主に物を置く場所としての役目となった)。
また、近所のご老体を気遣うカツオのおでこに、サザエがお褒めのキスをするシーンも(71)。さらにはサザエがビキニで海に出かける作品も(70)。日本におけるビキニの普及は1970年代からであり、長谷川町子のアンテナの感度が光る。内容は、ビキニが脱げてしまったサザエが、2つの浮輪でそれを隠すという、形状を活かしたもので、これまた斬新なユーモアセンスを感じさせた。
泥棒によく、入られる。
原作で、よく泥棒に入られるのがサザエさん宅(磯野家)である。10回以上はあり(脅迫状のみの場合含む)、ちょっとした風物詩である。ハートウォームなオチになることが多いし、定番ネタと言えばそれまでだが、原作がちょっとした実害を起こしてしまった例も。それが「さらしな事件」である。
1971年のゴールデンウィークに、蕎麦の出前を頼めるよう、準備しておく作品が載った。長期休暇で出かけ、帰宅した後、すぐに蕎麦が頼めるよう、電話台に蕎麦屋「さらしな」の電話番号のメモを置いたのである。メモには町子が適当な7桁の数字を書いた。
ところが、これが大騒動に。なんと実在する一般人宅の電話番号だったのである。イタズラ電話が200本以上かかって来たそうで(本当に蕎麦屋と思ってかけて来た人も多かったそうだが)、先方からの強烈な苦情を受け、町子は平謝りだった。
サザエさんカットは、原作者から!
そう、長谷川町子はサザエさんに劣らぬ、おっちょこちょいだったのである。
1978年、イギリス旅行に行く際は、アニメの主題歌ではないが、財布を空港のベンチに忘れて出発。現地に着いて先ずやったことは、JTBに借金を申し込むことだった。戦時中には空襲も体験しており、避難壕から救急袋を持って逃げだしたが、後から見ると、触感が似ているだけの、意外なものだった。
〈私は救急袋のつもりで、大きなガマガエルをしっかりつかんでいたのです〉(長谷川町子著「サザエさん うちあけ話」より)
髪型も、若い頃より“サザエさんカット”。町子の方が先だから、こちらをサザエさんに流用したことになる。さりとて、長谷川町子イコール、サザエさんかと言えば、本人を知る方々の意見は一致していた。
「似ているのは髪型だけで、本人は全く大人しいタイプ」
「人づきあいも、余りしない」
「のらくろ」で知られる漫画家・田川水泡に弟子入りし、若干15歳でデビュー。美人漫画家と評判になった。戦時中、結婚を約束したという軍人の噂もあった。無事、戦地から帰ったが、彼が入院先の看護婦と恋仲になってしまったと伝えられる。以降、表立った恋の噂はなかった。姉妹3人(町子は次女)と、世田谷の邸宅でペットたちと暮らした。
1969年の、原作のアニメ化にあたり、町子は制作に一切タッチしなかったが、内容に関して、留意して欲しいことを幾つか提示している。
・夕食時、家族みんなで観ることを考慮する。
・ブラックユーモアは避ける。
・流行ものは、基本的に扱わない。
後年、長谷川町子は、語っている。
〈物質生活が最上の物でなくて、精神生活が人生を向上させるもの〉(※4)
アニメには、泥棒も頻出しないし、犯罪も起こらない。水着が脱げる云々もない。スマホは勿論、携帯電話も基本的に出て来ないし、未だに固定電話だ。そして、ちゃぶ台で食事をする。原作が世相や情勢を加味していたのとは逆だったのだ。
原作は1974年に終了したが、アニメは今もって続いている。目先の世事を追わず、普通の生活の中で話が完結するアニメ版の「サザエさん」。近年は、マスオが「ただいま」とサザエに鞄を渡す姿や、フネの「良妻賢母」という台詞に「時代錯誤だ」などの声も上がっている(※4)。「良くも悪くも、昭和の世界観」とも……。
長谷川町子は1992年に逝去。同年、国民栄誉賞を受賞した。受賞理由は以下だった。
「親しまれる作品によって、戦後の我が国社会に、安らぎと潤いを与えてくれた」
1985年1月、鳥取で、「第40回国民体育大会」(国体)がおこなわれた。関東に比べると放送局も少ない新聞の番組表を見て、東京からやって来たある老齢者が、お付きの者に聞いた。
「ここでは、『サザエ』は、放送されているのか?」
「はい」
「そうか。それなら良かった」
その男性は、そう言うと、笑顔を見せた。
それは、昭和天皇だった(※5)。
※3:「週刊読売」1992年7月19日号。
※4:「まいどなニュース」2022年6月8日更新、「exciteニュース」2021年2月22日更新等。
※5:「週刊朝日」2014年11月14日号他(大意)
【前編は「「サザエさん」の視聴率と、日本の景気は比例するとのリポートも…国民的アニメの知られざる伝説 次回予告の「んがぐぐ」には意味があった!」】
瑞 佐富郎
プロレス&格闘技ライター。早稲田大学政治経済学部卒。近著「10・9 プロレスのいちばん熱い日」(スタンダーズ)が重版出来中。雑学にも極めて通じており、「世界の国々 おもしろクイズ1000」(メイツ出版)においては、ほぼ全問を作成及び執筆している。
デイリー新潮編集部
