「静かな退職」の何が悪いのかまったく理解できない…上司世代とはまるで違う「若者と会社の絶妙な距離感」

■「静かな退職」増加の向こう側
会社を辞めるわけではない。与えられた仕事はきちんとこなす。しかし、仕事にやりがいや自己実現を求めず、出世やキャリアアップにも必要以上の関心を持たない--近年、こうした働き方をする人びとが増え、「静かな退職」と呼ばれている。
マイナビが2026年4月に公表した「正社員の静かな退職に関する調査2026年(2025年実績)」によると、20~50代の正社員のうち「静かな退職をしている」と答えた人は46.7%だった。前年から2.2ポイント増えている。年代別でみると20代が50.5%でもっとも高く、30代49.1%、50代46.7%、40代42.3%と続く。しかも「今後も静かな退職を続けたい」と答えた人は73.7%に達した。
この数字だけを見ると、「最近の若者は仕事への熱意を失っている(けしからん!)」という話にしたくなる。だが、この数字の“向こう”で起きている変化はもっと大きい。というのも、いまかれらが失いつつあるのは、働くことそのものへの情熱というより、会社や労働社会に自分の人生を預け、そこで根を張って生きていこうという意欲だからだ。
いまの若い人たちは、会社を自分の人格や人生の一部として捉えなくなっている。会社とはあくまで、自分が現実世界で生活するための糧を得るために、決められた時間だけ入って役割をこなす場所になったのである。
■「会社員の自分」というアバター
喩えるなら、かれらにとって会社とは「全人格的なかかわり」をする場所ではなく、さながらソシャゲのように「一定時間ログインして役割を遂行する場所」なのである。朝9時になったら「会社員の自分」というアバターでログインし、そこで与えられた仕事をして、17時なり18時なりになったらログアウトして、私生活にいる「本来の自分」へと戻ってくる。
ここで特筆するべきは、かれらが仕事をするときに身にまとう「会社員アバター」と、「本来の自分」との距離である。私は以前とある読者から興味深い話を聞いた。その読者の勤務先の20代女性たちが、結婚したことを周囲にほとんど知らせなくなっているというのである。なかには結婚からかなり時間がたってから、ちょっとした話の流れでさらっと「そういえば去年結婚したんです」と事後報告する人もいるという。
話題にならなければ、聞かれることがなければ、おそらく結婚したことはずっと知らされることはなかったかもしれない。同じような経験をしたという人は本サイトの読者にもいるかもしれない。
■「隠している」つもりはない
「なぜ結婚したこと、プライベートのことを隠そうとするのだろう?」と考えると不思議に見える。しかし本人たちの感覚では、そもそも隠しているわけではないのだ。「なぜ会社の人に言う必要があるのか」というだけなのだ。会社の自分と私生活の自分が最初から別なら、結婚という私生活上の重大事を職場へ報告する必然性もない。そう、「アバター」と「本当の自分」はまったく別の存在だからだ。
「会社員アバター」の設定として必要なのは、せいぜい「○○部△△課所属」「この業務を担当」「今日はここまで進捗した」くらいで十分である。他方で「恋人がいる」「去年結婚した」「夫とは大学時代から付き合っている」「将来子どもがほしい」といった情報は、私的領域にいる本来の自分に属するものであり、それは「会社員アバター」が持っていない設定なのである。

■「会社の自分」と「私生活の自分」は別の存在
とはいえ昔から仕事の場面では「公私混同するな」「仕事とプライベートを分けろ」とは言われてきた。いまの若い人も同じなのではないかと思った人もいるかもしれない。
しかし、いま起きていることはそれとはかなり異なる。ひと昔前の会社員は建前上では公私を分けながらも、「会社あっての自分」という感覚を持っていた。勤務先や肩書きは、その人が社会の成員であることを裏づける重要な属性でもあった。いまの若い世代は違う。「会社あっての自分」ではないから、公私混同のしようがない。最初から“公”の領域に本当の自分を置いていないのである。仕事中の自分は会社員というアバターであって、私生活にいる自分とはまったく別の存在なのだ。
すこし前にSNSでは、「会社に一度でも着ていった服は、休日に着ると仕事を思い出してしまうので嫌だ」という趣旨の投稿が大きな反響を呼んでいた。お気に入りの服が物理的に汚れるわけではない。しかし「会社で着た服」という属性が付着した瞬間、それは私生活だけに属するお気に入りではなくなる。この感覚は象徴的である。
かれらにとって会社は、自分の大切なものをできるだけ接触させたくない、いうなれば「敵性の異世界」になっているのだ。お気に入りの服も、鞄も、趣味も、恋人も、結婚も、すべて「こちら側」の世界にある。そこへ会社という「あちら側」の空気を触れさせたくないのである。
だから会社には必要最低限の自分だけを持ち込み、私生活にいる本当の自分は徹底して透明化する。これは単なるプライバシー意識の高まりではない。労働社会を、自分の生活世界の内部にまで侵入させないための防疫線なのだ。
■社員旅行、社内運動会、休日のゴルフ…
ではなぜここまで会社と自分を切り離すようになったのか。理由は単純である。労働社会の側が先に若い人たちの人生と会社とを切り離したからだ。
昭和後期から平成前期までの会社組織というものは、いまの若者から見れば信じられないほど従業員の「私」の領域に入り込んでいた。飲み会、社員旅行、社内運動会、休日のゴルフ、社宅。結婚した、子どもが生まれた、家を買った、親が病気になった--そうしたことまで会社が把握し、有形無形の介入をしていた。なんなら墓まで用意する会社すらあった。

いまの価値観だと「うわっ」と引いてしまう人もいるかもしれない。文字どおりかなりウェットな世界だが、その代わり会社も従業員の人生を相当程度まで引き受けていた。長く勤めれば給料は上がる。簡単にはクビにならない。住宅や家族に関する福利厚生もある。縁談の面倒まで見る会社もあり、定年まで勤めれば退職金もある。「ここでちゃんと働いていれば、まあ人生はなんとかなる」という見通しを会社が提供していたのである。
■会社側が先に「私」を切り離した
ところがバブル崩壊後、この交換関係は急速に崩れていった。会社はあなたの人生を保証しない。自分のキャリアは自分で考え、市場価値を高め、必要なら転職する。会社に依存せず、自律的にキャリアを形成する。老後のお金も自分で準備する。企業の側が「あなたと弊社は労働契約で結ばれているだけであり、あなたの人生そのものには責任を負わない」という方向へ進んだのである。
ようするに会社側こそが先んじて、「全人格なんか預けず、アバターでログインするくらいにしてくれ」と言いはじめたのだ。「こちらもあなたをアバターとして扱う。その“中の人”の人生までは責任を負えない」と。それはお互いにとってよかった面もあっただろう。
■会社が「家族扱い」をやめたから、従業員もやめた
日本生産性本部が1969年度から続けてきた新入社員を対象にした「『働くことの意識』調査」でも、2019年度には「人並み以上に働きたい」が29.0%まで低下する一方、「人並みで十分」は63.5%まで上昇し、過去最高を更新した。「好んで苦労することはない」も37.3%と過去最高だった。
同じ日本生産性本部による2018年度「新入社員 春の意識調査」では、「残業は多いが、仕事を通じて自分のキャリア、専門能力を高められる職場」と「残業が少なく、平日でも自分の時間を持て、趣味などに時間が使える職場」の二択で、後者を選んだ新入社員が75.9%に達している。1998年の設問開始以来もっとも高い数字だった。
会社が「家族」であることをやめたので、従業員も会社を「家族」だと思うことをやめた。会社が人生を丸抱えする共同体から労働契約の場へ変わったのだから、従業員も会社を「アバターでログインしてクエストをこなし、生活費を得る場所」へ変更しただけである。若者たちは会社で働くことそのものを拒絶しているわけではない。朝になれば嫌々ながらもアバターをまとってログインし、与えられた仕事をこなす。給料が上がればうれしいし、条件がよければ転職もする。しかし、そこに「本当の自分」まで持っていく理由はない。

■消えたのは「会社への帰属意識」
--そう、冒頭で述べたとおり、ここで減っているのは単なる就労意欲だけではない。もっと根っこのところにある、「この会社の一員として生きていく」「この労働社会のなかで自分の居場所をつくる」という帰属の意欲である。
帰属意識が薄まってしまえば、組織のなかで高く評価されることや、肩書きを得ることが、そのまま人生の成功であるという感覚も薄れていく。それを得たいとも思わなくなる。だから“オキニ”の服は持っていかない。結婚したことも積極的には話さない。自分の趣味も、恋人も、休日も、会社の人間関係のなかにはなるべく持ち込まない。必要な時間だけ「あちら側」へログインし、仕事が終わったら「こちら側」へ帰ってくる。
「静かな退職」とは、その働き方だけを指した言葉ではない。その背後には、会社という共同体から自分の人格を静かに撤収させていく若者たちの大きな社会意識の変化がある。会社ひいては社会が若者の人生にかかわることをやめた結果、若者もまた会社や社会に自分を預けることをやめたのである。
----------
御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。
----------
(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)
