同番組で長年、カメラ担当ディレクターとして活躍する嬉野雅道氏の最新エッセイ『だから僕らは出会わなければならないのです。』(集英社インターナショナル)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目)

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『水曜どうでしょう』カメラ担当ディレクターの嬉野雅道氏(写真:本人SNSより)

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ただ一度だけ「会社を辞めよう」と思ったとき

 嬉野です。『水曜どうでしょう』ディレクターの私も藤村くんも、サラリーマンですから会社の思惑の中で仕事をしているわけです。とはいえ番組開始からずっと自分たちの好きなこと、楽しいことだけをし続けて成功しましたから、会社の思惑に縛られたり強く対立したりした記憶は実のところほとんどありません。

 ただ一度だけ、私と藤村くんは会社に見切りをつけ、辞めようとしたことがありました。そのときはたしかに会社と衝突しましたね。2010年頃の話です。今さらそんな古い話を蒸し返さなくてもと思うのですが。でも、人と人とが「対立」してしまうとき、そこには「対立」してしまう構造というのか仕組みがありそうに思えるのです。その仕組みが分かれば「対立」は回避できるかもしれない。売られた喧嘩も買わずに済むかもしれない。なのでその辺りを考えてみるための書き出しとしては、この昔話から始めるのが良さそうに思えるのです。

 なので、今日は人との「対立」の話をしてみようと思います。

 そもそも我々藤村・嬉野は、2人とも会社にあれこれ面倒見てもらえる吞気なサラリーマンが性に合っているのです。それにHTBは日本のテレビ局の中では頭抜けて吞気な風土を持つ職場ですから居心地もいいのです。ところがあのときは、我々が「会社を辞めたくなるような改革」を、なぜか会社の経営陣が断行したのです。おかしな時代でした。

「なんか、今度はそうとう大規模な組織改革が行われるらしいよ」と、当時、社内で噂になりだして。いったい何をするんだろうと思っていたら、ある朝、我々の所属する制作部がなくなっていたという冗談みたいな展開が待っていたのです(でも、なくされた制作部は、それから数年後、トップが交代したら復活しました)。

制作部不要の理由は「高度な経営判断」とだけ

 地方局とはいえ、実績を出していた制作部をなぜ不要と判断したのか。当時の経営陣からはハッキリした理由は聞かされないまま。

 ただ、「高度な経営判断だ」とだけ言われました。その代わり、新規の目玉企画として、HTBで働いている全員に新番組を作るチャンスが与えられると発表され。部署を問わず全社を横断して新番組の企画が募集されることになったのです。

 採用された企画は番組化されて3ヵ月間だけ放送する。でも、3ヵ月経っても手応えがないなら打ち切りとなり。次に採用された企画がまた新たに番組化され、そこから3ヵ月間放送して、ダメならまた新たな企画を番組化して……と。ヒット番組が出るまで、始めては潰すを3ヵ月単位で延々と繰り返すというのです。

 たった3ヵ月で結果を出すような新番組とは。いや、そもそも番組の可能性がたった3ヵ月で見極められるのか。キー局と違って数々のヒット番組を作った実績のない地方局に、それが見極められるのか。そんなことのできる人物が社内にいるのか。なにより、そんなに急かされてはローカルの強みである“ゆるさ”が番組に機能できないのではないか。でも、そんな現実的な疑問などあのときの経営陣にはどうでもよかったのかもしれません。

「社員全員に機会を与え、全社を挙げて番組作りに邁進する革新的な地方テレビ局」という姿勢を対外的にアピールできれば、それでよかったのかもしれません。

 だって、全社を挙げて企画を募集するだけなら、別に制作部を解散させなくても、いや、そもそも組織を大変革しなくてもできそうなアイデアに思えましたから。あのときの経営トップは、「何か新しいことをしようとしている地方テレビ局」という姿勢を社外に大きくアピールしたかっただけ(私の憶測にすぎませんが)だったんじゃないですかね。

 だとしたら改革に紐づけて、なくす理由も見当たらない制作部をあえて解体したわけですから、「これは別の次元で、我々制作部のディレクター連中が当時の経営陣の誰かの気に入らない存在になっており、その嫌がらせを受けて制作部は解散させられたのだろう」と、我々は改革の結果からそう解釈するしかなかったのです。つまり、そこに気づいて我々は反発したんですね。

〈他局に移って「新しいどうでしょう」を作る話も出たけれど…《やっぱりそれは違う》『水曜どうでしょう』スタッフが「会社をやめる」のをやめた理由〉へ続く

(嬉野 雅道/Webオリジナル(外部転載))