【伊藤 孝司】コスプレで踊る高齢女性、白馬に乗って前撮りする新郎新婦、動物園で遊ぶ子供たち…北朝鮮の「意外な素顔」
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2020年1月から新型コロナウイルスへの防疫措置として海外からの入国を停止。しかしそれが収束してからも、入国できた外国人は極めて限られており鎖国状態が続く。
フォトジャーナリストの伊藤孝司は1992年8月から2019年10月まで43回の現地取材を敢行し、約10万枚の写真を撮影。その中からベストショットを、さまざまな切り口でお届けする。
コスプレで踊る集団
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)での43回の取材では、気になるものや驚くものと出会うことがたびたびあった。そうしたものの多くは、仕事であるドキュメンタリーの記事やテレビ番組で使うことはない、と思いながらもシャッターを切ってきた。
最初にそれを目にした時は、「北朝鮮でこんなことが許されるのか!?」と思ったほどだ。平壌(ピョンヤン)市内にある緑に包まれた小高い丘の牡丹峰(モランボン)。気候が良い時期には人びとが押し寄せる広大な公園だ。バーベキューを目的にやって来るグループもあるが、仲間と一緒に踊るために仮装して踊りに来る高齢女性たちが出現しているのだ。
昔から、こうした場所で踊る高齢の女性たちはいた。かつては自前のチマチョゴリを着ていたが、次第にチマチョゴリをアレンジしたおそろいの派手な衣装へと変わり、ついにはコスプレへとエスカレート。しかもこれが過激なのである。黒のビニール袋を引きちぎって髭にしたり、顔を真っ黒に塗った人さえいる。
それらのコンセプトが分からないので何人かに聞いてみると、外国の民族衣装をイメージしている人が多かった。また、少年団の制服を着ている女性もいる。もちろん、誰もが自分で作った衣装だ。聞き忘れたが、その姿でこの公園までやって来たのだろうか。
また昔は、伝統的な太鼓のチャングを自分たちで叩いて踊っていた。ところが今やスピーカーとアンプ、バッテリーまで持ち込んで大音量で音楽を流している。そうした集団が、広大な牡丹峰の何か所かに陣取っていて、多くの見物客を集めている。彼女たちは、もはやパフォーマーなのだ。
見物していて気が向いた人は、踊りの中へ自然に入って行く。私がカメラを持って踊りの中へ紛れ込んでも、誰もまったく気にしない。女性たちの衣装が過激になっていったのは、人びとの注目を集めようとしていきついた先だ。次はどうするつもりだろうか。
びっしりと並んだ若者たち
誰でも、たくさんの人や物が密集しているようすを見ると、「何だろう?」と思うことだろう。
平壌の市街地がもっとも遠くまで見渡すことができるのは、何といっても高さ170メートルの「主体(チュチェ)思想塔」。私は平壌へ行くたび、この塔に上がっている。同じ場所へ繰り返して行けば、わずかであってもこの国の変化が分かるからだ。
2018年6月下旬、この塔の展望台にいた時に若者たちの掛け声が聞こえてきた。下の方をのぞいてみると、白い服装のたくさんの人が整列している。よく見ると、小さな木の箱に腰掛けて、何枚ものボードのようなものを抱えている。
これは間違いなく、中学生たちがマスゲームの練習をしているのだ。合図によってボードを取り換え、文字や絵を描くのだ。9月9日の建国70年の祝賀行事に向けての練習なのだろう。
平壌で地下鉄に乗るには、改札口から長いエスカレーターに乗ってホームへ降りる。この構内には売店がある。窓から見える店内は、以前は薄暗くて少しの商品が並んでいるだけだった。ところが、それが大きく変貌しているのに気づいた。
店内が、商品であふれているのだ。子どものおもちゃが多く、化粧品や雑貨などカラフルで多様な商品が所狭しと並んでいる。見ているだけで楽しい。薄暗くて冷え冷えとした感じの構内で、そこだけ別の世界があった。
平壌市から遠く離れた、咸鏡北道(ハムギョンブクド)清津市(チョンジン)。そこで、案内されるまま上った高台からの光景に、思わず息を呑んだ。そこから見える港には、赤茶けた無数の小さな漁船がびっしりと係留されていたからだ。
その多くは木造船で、それより少し大きい鉄船もある。この清津港は軍港でもあるにもかかわらず、リクエストしていないこの場所へなぜ案内されたのか今でも分からない。
近年は減ったものの、北朝鮮の木造船がたびたび日本へ流れ着いた。それには「清津」と書かれているものがあり、ここの港から出漁して荒れた海で遭難したものと推察できる。その漁師たちのことを思うと、この光景は驚きよりも悲しいものに見えてきた。
めまいを覚えた光景
北朝鮮にとって極めて重要な場所を訪れた時に、実に不思議な感覚に襲われたことがある。
平壌市の市街地の東側には「錦繍山(クムスサン)太陽宮殿」がある。1976年に「錦繍山議事堂」として建設され、1994年7月8日に金日成(キム・イルソン)主席が死去すると、その遺体を永久保存するために「錦繍山記念宮殿」へと改装。そして2011年12月17日に亡くなった金正日(キム・ジョンイル)総書記の遺体も安置され、「錦繍山太陽宮殿」となった。
ここへ入るには正装が求められ、財布や鍵を含め一切の金属類の持ち込みができない。もちろん、カメラなど絶対に認められない。
しかし観覧後に、宮殿の前庭での撮影はできる。そのため私は撮影機材一式を、金属探知機をくぐる直前に設けられているクロークに預けることにしている。
ただこうして前庭に入っても、撮影時間が極めて短い。そのため取材申請をしてみたところ、何と許可が出たのである。私はこれまで人民軍の基地内など、「撮影禁止」とされている場所でさまざまな撮影をしてきた。もちろん交渉での努力と熱意は必要だが、この国がどのようなシステムで動いているかの理解も重要だ。そうして許可が出たならば、驚くほど自由に撮影させてくれる。
通常の宮殿観覧では、宮殿と道路を隔てた専用駐車場で整列し、地下道を通って宮殿敷地内へ入る。この時点で大変な緊張感が漂い、話し声はまったく聞こえない。ところが取材で行った時、車は宮殿正面の門の真ん前に止まったのである。門の両側には、銃を持った衛兵が立っている。
間近で見ることなどあり得ない正面の扉は巨大で、重厚な装飾が施してある。いつもはこの扉は閉まっているのだが、この日は少しだけ開いていた。すると、その扉の隙間から構内へいきなり案内されたのだ。外国からの賓客でもないのに、「ここから入って良いのだろうか」と思いつつ……。
構内を移動しながら、撮影を開始する。しばらくすると、動物の鳴き声が聞こえてきた。私の周りにいる人たちが走り出した。宮殿の前庭には外壁に沿って、満々と水をたたえた大きな堀がある。人びとはそこへ向かっている。
私は撮影を中断し、あわてて堀をのぞいてみた。すると、真っ赤な手漕ぎボートに乗った白い帽子の女性が、白鳥に餌を与えていたのだ。この国にとって、もっとも重要で厳粛な場所で、あまりにものどかな光景がそこにあった。そのギャップの大きさから、軽いめまいを覚えた。
金日成主席の生家
皆さんは、これが何の写真なのか分かるだろうか。ヒョウタンを半分に切って乾かした「パガジ」やコップが置かれているので、水を飲むためのものが並んでいることは明らかだ。これを撮ったのは、平壌市東部の万景台(マンギョンデ)にある金日成主席の生家だ。
この生家は、学校や職場などから見学に来る人が絶えない。その人たちは生家の見学を終えると、その前で記念写真を撮ってから井戸へ向かう。好奇心の強い子どもたちは、この井戸からくみ上げた水を飲むために先を争っている。
入国した外国人にとって、この生家を見学することは儀礼のようになっている。そのため私はここへ数十回は行っており、日本語の解説者とはすっかり顔なじみだ。中国語も堪能なこの女性は、「近年は日本人が少ないため、日本語がどんどん下手になっていく」とぼやいていた。
肖像画へ扇風機
北朝鮮ではいたるところに、最高指導者が現地視察をしたことを示すプレートが設置されている。それは建物の入り口にあったりするが、視察の際に触ったり見たりした機械などさまざまな物にもある。そうした品物は、真っ赤な布で覆われている。
「平壌かばん工場」では工業用ミシンに赤のカバーが掛けられ、「敬愛する最高領導者金正恩(キム・ジョンウン)同志がご覧になったミシン」と表示されていた。他の工場や医療機関で見たプレートが付いた機械類は使用されていたが、このミシンは使われずにこのままなのか、気になる。
最高指導者の視察に関することで、他にも気になっていることがある。「平壌6月9日高等中学校」の正面玄関から校舎へ入ったところに、金日成主席と金正日総書記が学校視察した時のようすを描いた肖像画が掲げられている。よく見ると、2台の扇風機がその肖像画に風を送っているのだ。
「平壌かばん工場」では、この工場への金正恩総書記による視察での複数の写真を豪華に飾り立てて掲げている。そしてここでも、扇風機が向けられていた。これは、絵や写真の劣化を防ごうとしているのか。それとも、絵や写真の中の最高指導者が暑くないようにしているのだろうか。「なぜそうしているのか?」と質問しなかったことを後悔している。
私は、さまざまな事業所が最高指導者への忠誠心を競っているのをたびたび見てきた。この扇風機も上からの指示ではなく、自発的に行ったのではないだろうか。
晴天の強烈な光を浴びて輝くたくさんの胸像。1975年に完成した「大城山(テソンサン)革命烈士陵」は、1930年代の抗日パルチザン闘争以降の、閣僚級の政治家や軍人が埋葬されている。国家への功労者の墓地は他に、「愛国烈士陵」や「祖国解放戦争烈士陵」がある。
そして今年4月には、ウクライナ派兵での戦死者を追悼し遺骨を安置する「海外軍事作戦戦闘偉勲記念館」が完成。そこの石碑には、約2300人の名前が記されているという。
こんなところに新郎新婦が
車で平壌市郊外を走っていたら、見たこともないものが道路に飛び出していた。飛び跳ねる馬に、人が乗っているのだ。それは「美林(ミリム)乗馬クラブ」の看板だった。
この乗馬クラブは騎馬兵の養成所だったのを、2013年10月に一般開放したものだ。65ヘクタールの敷地に馬が120頭飼育されており、従業員は約300人だという。
屋内の練習場で撮影をしているとクラブのスタッフに強引に勧められ、生まれて初めて馬に乗った。
早々に退散して屋外へ出ると、白馬にまたがった若い男女がいた。カメラマンの指示で、さまざまなポーズを取っている。何と、結婚写真の前撮りをしていたのだ。北朝鮮の結婚式はどんどん派手になっているが、今や「白馬にまたがった新郎新婦」の写真まで撮るようになった。
北朝鮮で、白馬には特別な意味がある。金日成主席は「白馬に乗った金将軍」と呼ばれ、次の金正日総書記は白馬にまたがって記録映画に登場。そして金正恩総書記は、雪が積もる白頭山(ペクトゥサン)で白馬に乗って疾走する姿を披露した。
つまり若い2人にとって、白馬に乗って結婚写真を撮るということは、憧れでありステータスを示すものなのだろう。
他にも、意外な場所で新郎新婦を見かけたことがある。それは朝鮮戦争の博物館である「祖国解放戦争勝利記念館」。その広大な敷地には、今では戦う兵士たちの巨大な像が立ち並ぶ。これらを背景にした写真を、新郎新婦が友人たちを伴って撮りに来ているのだ。
こうした場所で結婚写真を撮ろうとすることに驚くが、米国と厳しい軍事的緊張にある北朝鮮の人たちからすれば何の違和感もないのだろう。
動物園で見た韓国
平壌の街の中で、動物と出会うことは極めて少ない。近年ではマンションで小型犬を飼うことが流行しているようで、イヌを散歩させている人は見かける。ただ野生のイヌとネコは、一度も見たことがない。
平壌市の「朝鮮中央動物園」は、1959年4月の設立。昔ながらのコンクリートの狭い獣舎で飼育されている動物たちを見ていて、かわいそうで悲しくなったため行かないようにしていた。それが長期のリニューアル工事を2016年7月に終えたというので、とりあえず見に行くことにした。
動物園は全面的に造り直され、大きな変貌を遂げていた。建物にも工夫が凝らされていて、入園するには巨大なトラの口をくぐり、水族館はカメの形になっている。行動展示を取り入れており、動物たちは広いスペースで飼育されている。100ヘクタールの敷地で、850種・1万2000以上の動物が飼育されているという。
先生に引率された、大勢の子どもが訪れていた。爬虫類館には恐竜の頭の形をした双眼鏡があり、子どもたちに大人気だ。リニューアルで子どもたちが喜ぶような工夫がずいぶんされており、いたるところから歓声が聞こえた。
園内には、セントバーナードと一緒に写真撮影ができるコーナーがある。マンションで飼われているのは小型犬ばかりなので、大型犬は珍しい。ただ、白馬にまたがって写真を撮るというコーナーでは人びとが順番待ちをしていたが、セントバーナードはあまり人気がないようだ。飼育員だけでなく、イヌのほうもすっかり諦め顔だ。
リニューアルで、イヌだけを展示する立派な施設もできた。以前、イヌが屋外のケージで飼育されていた時、取材に行ったことがある。ケージに取り付けられたプレートには、「金大中(キム・デジュン)大統領から贈られた珍島犬(チンドッケ)」と記されている。
2000年6月に、金正日総書記と韓国の金大中大統領との初の南北首脳会談が行われた。その際に南北和解の象徴として、韓国は珍島犬のつがいを贈呈。このイヌは、韓国の南西に位置する珍島で数世紀にわたって生息してきた。北朝鮮からは、狩猟犬の豊山犬(プンサンゲ)が贈られている。
それから時が過ぎ、その時の珍島犬は死亡。私が2019年にイヌの展示施設へ行ってみると、その子どもたちが飼育されていた。現在の南北関係は完全に冷え切ってしまい、北朝鮮は国内から韓国とかかわりのあるものを徹底的に排除している。果たして、珍島犬たちはどうなっているのだろうか。
(写真はすべて筆者撮影)
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